9/28(水)

 

 

@渋谷

ホワイトシネクイント にて

 

 

 

 

LAMB ラム

 

 

2021年|アイスランド・スウェーデン・ポーランド合作|106分

 

監督:ヴァルディミール・ヨハンソン

脚本:ショーン、ヴァルディミール・ヨハンソン

出演:ノオミ・ラパス、ヒルミル・スナイル・グズナソン、ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン 他

 

 

 

山間で暮らす羊飼いの夫婦

 

ある日、羊から

羊ではないなにかが産まれてきて

 

夫婦は、それに

亡き子供と同じ “アダ” という名前を付け

育てはじめ…

 

というお話

 

 

 

予告編でも映っていたので

これはネタバレにはならないと

思うのだけれども

 

-------------

でも念のため、以下

ネタバレを含む可能性があります

苦手な方はご注意ください

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羊から生まれてきた「羊ではないなにか」

 

それは、頭と片手までは羊で

もう片手とその他は人間の形をした

生きもので

 

頭部が羊、身体が人間とくれば

なにかしら悪魔的なものを

連想してしまったり

 

加えて、羊飼いの夫婦の

妻の名前は、マリア

 

とくれば

キリスト教がらみか

 

はたまた

北欧神話とかギリシャ神話とか

なのか

 

詳しくないので

わからないのだけれども

 

とりあえず、そこはかとなく

寓話のような雰囲気があって

 

それから、本編を観終わったあとに

予告編を見返すと、既にそこで

ほぼほぼの内容は語られていて

 

かつ、予告編からイメージするよりも

もっとずっと、ゆるやかに

静かに、淡々と

 

あまり説明や台詞もなく

進んでいくので

 

忍び寄ってくる睡魔の手を

振り払いながら

 

これは、どういうこと…?

この人物はいまなにを思っているの?

このふたりの関係性は…? 等々と

考えながら観ていくこととなり

 

 

鑑賞後に知ったのですが、監督が

タル・ベーラが設立したサラエボの

映画学校で学んだ方なのだそうで

 

ちなみに、今作の制作総指揮には

主演のノオミ・ラパスの他に

タル・ベーラも並んでいて

 

ただ、タル・ベーラは、実質

製作費集めのために

クレジットされることを承諾したのかな?

という感じではあるようなのですが

 

至極、納得だったのです

 

この長回し的で

じっくりと進んでいくような

スピード感とは真逆の感じ

 

極力排されている台詞に説明

 

そこはかとなく漂っている

謎めいた、不穏

 

タル・ベーラ作品の空気感と

どこか通じている気がして

 

 

ゆえに、感想もさまざまで

 

同じ映画を観ているはずなのに

解釈がいろいろとあって

それがまたちょっと

おもしろかったりして

 

 

おもしろいと言えば

 

鑑賞後に流れてくる

会話を聞くのが好きなのですが

 

この日、耳に届いたのは

男女のふたり連れの

 

男性「難しかったな…」

 

女性「人のものに手を出すなってことでしょ」

 

というもの

 

 

確かに、そうなんですよね

 

因果応報というか

 

自分のしたことが

しっかりと打ち返されてきて

その報いを受けることになるお話で

 

 

そう言えば

ラストシーン周りを観ていたときに

ふっと頭に浮かんできたのが

『グレムリン』で

 

『グレムリン』も終盤

ギズモのもとの飼い主

(という言い方でいいのだろうか)が

迎えにやってくるのですが

 

その姿を見て、ギズモが

「パパ…!」と声をあげ

 

そのときに、ハッとしたんですよね

 

そうか

クリスマスのプレゼントとして

ギズモを買って帰ってきた父

それを受けとった息子

そして母の、この家族

 

ギズモからしたらば、人さらい

(ならぬ、モグワイさらい?)的

立ち位置だったか…!と

 

そして、そのことに

本人たちはまったく気がついていない

 

というか

対象が人間でない(ペット的立ち位置の

モグワイである)がゆえに

そういった意識がそもそもないわけで

 

 

それと似たような状況が

この映画にもあり

 

特にマリアが顕著で

 

その意識のズレによる行動が

まさに因果応報な事態を引き起こし

 

とすると、あのラストシーンは

連鎖はさらに続き

さらなる復讐劇の幕開け

ということなのか、それとも

 

マリアが、それが自身のしたことへの

報いなのだと気がついた表情

だったのか

 

はたまた、後述の営みで

子どもを宿していることに気づき

アダへの執着から解放されたシーン

だったのか

 

もしくは、夫の弟

帰しちゃった(追い出しちゃった)じゃん

呼び戻さなくっちゃ

だったのか

 

 

半羊半人の彼(でいいのだったか)は

人間の言葉を話すことはなく

羊顔ゆえに、あまり表情も読み取れないので

その心のうちが、そこまでわからず

 

それは人間の登場人物たちも同様で

 

さらにはほとんど説明もないので

 

例えば、この羊飼い夫婦の妻と

突然やってきた夫の弟との関係性は

いったいどういったものだったのか

 

なにやら訳ありのようだったけれど

夫の弟が一方的にマリアに

劣情を抱いているだけなのか

それとも、過去に交際していた等

密接な関わりがあったのか

 

それこそ

キリスト教やいずれかの神話なんかに

似たようなエピソードがありそうな…

と思ったり

 

途中、その夫の弟と半羊半人の彼が

おでかけし、その間に、羊飼い夫婦が

営むシーンがあるのですが

 

もしかしたら、子供を亡くしてから

そういったことはなくなっていて

 

半羊半人の彼を育てることで

夫サイドがそういった気力を取り戻した

としたら

 

妻の狙いはそこだったのか、とか

 

そして、これで妊娠したとしたら

半羊半人の彼は、お役御免に

なってしまったりするのかしら、とか

 

さっきの

人さらい的観点に戻ると

 

これは「自然」から

搾取の意識もなく、無自覚に、強欲に

そうすることが当たり前のものとして

奪い続けている

(人さらい、ならぬ、自然さらい、な)

人間に対しての

 

「自然」サイドからの報復

もしくは、警告

その壮大なる比喩だったのか、とか

 

はたまた、ビジュアル的には

半羊半人の彼らの方が

悪魔的に見えるけれども

 

はたして、本当に

悪魔的なのはどちらなのか…?

という話なのか

 

 

公式サイトに掲載されていた

ゲームクリエイターの

小島秀夫さんのコメント

(一部抜粋)

 

「…ただ胎内に入り込んだ

“説話”は消化出来ず

何度も繰り返し咀嚼する事になる。

 

観客を反芻動物(LAMB)に

変えてしまう映画。」

 

というのが、とても言い得ていて

 

いまだ、もぐもぐもぐもぐ… もぐもぐ

 

 

 

 

 

おまけ

 

 

ヒグチユウコさんバージョンの

ポスターも掲出されていました