4/11(月)

 

 

@妙典

イオンシネマ にて

 

 

 

 

アネット

 

 

2021年|フランス・ドイツ・ベルギー・日本 合作|140分

 

監督:レオス・カラックス

原案・音楽:スパークス

人形制作:エステル・シャルリエ、ロミュアルド・コリネ

出演:アダム・ドライバー、マリオン・コティヤール、サイモン・ヘルバーグ 他

 

 

 

ポップバンド、そして

兄弟バンドである「スパークス」の

ストーリー仕立ての

スタジオアルバムを原案に

 

攻撃的なユーモアセンスで人気の

スタンダップコメディアンの ヘンリー

(アダム・ドライバー)と

 

有名一流オペラ歌手の アン

(マリオン・コティヤール)

 

恋に落ちたふたりの間に

やがて アネット(人形)が生まれ

 

その三者をめぐる物語が

ミュージカル仕立てで描かれている

ダーク・ファンタジー・ロック・オペラ

 

 

 

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以下、ネタバレを含む可能性があります

苦手な方はご注意ください

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恋に落ちたふたりの間に生まれた

娘の アネット が、なぜか人形

 

というところからして

そこはかとなく不穏

 

 ただ、この人形の造形や動きは

 個人的にとても好みで

 見入ってしまったのですが

 

アネット がなぜ人形なのか

という問いを抱えながら見進めていくと

 

やがてこの広告ヴィジュアル↑の

シーンに行き当たり

 

広告ヴィジュアルとして見ているときは

これはロマンティックなシーンなのかな

と思っていたのですが

まったく真逆のシーンで

 

このシーンでもちょっと

アン(マリオン・コティヤール)が

ヘンリー(アダム・ドライバー)によって

人形のように扱われているように見える

瞬間があって

 

それは、ヘンリー にとっての

人(他者)に対する感覚の表れなのかな、と

 

とすると、アネット が人形なのも

ヘンリー にとってはそういう風な

(人形=おもちゃ=生身の人間ではない

というような)感覚ということなのかな、と

 

それから、その他の、彼について

もたらされる情報も含めて推測すると

 

彼は「愛」を知らないのではないか

 

幼少期に、愛された

愛されて育ったという経験がない

 

だからこそ、自身の子どもへも

ひいては、他者への愛し方がわからない

 

その一方、アン と恋に落ち

アン から愛されることによって

初めてその愛されたいという

飢えが満たされ

 

けれど、それによって

詩人や作家、画家等々、表現者にとって

必要である場合が多い

なんらかの欠乏、それによる渇望

(彼の場合は攻撃性?)がなくなり

いままで通りの力が発揮できなくなる事態

 

そうして、愛するものたち(妻や娘)がいて

満たされているはずなのに

まるで反比例するかのように、不安定に

うまくいかなくなってしまった「自己」

 

そこへきて、変わらずに

活躍し続けている アン の存在

 

それに対する嫉妬

 

「愛」だったはずなのに

いつの間にやら「憎しみ」へと

変容してしまっていて

 

このあたりでの

ヘンリー 役のアダム・ドライバーの

ひとり芝居の段は、迫真で

ヒリヒリ、ハラハラ

 

「自己」というのは

なんとやっかいなものなのか

 

 

そうしていろいろとあったのちの

あの結末

 

ようやく、娘を

ひとりの「人間」として

認識することができた…?

 

もしくは、愛する、ということが

どいうことなのか、理解できた…? 

 

はたまた、「自己」と他者という

二極化的視界から脱することができた…?

 

けれど、時既に遅し…

 

 

もしくは、 アン に関しても

 

例えば、アネット を抱えあげて

ランララ唄いながら、くるくると

回り踊っているシーンがあるのですが

 

微笑ましいシーン、かと思いきや

 

だんだんと、加速していくスピード

そのままの勢いで、ポーーーン、と

アネット を放り投げてしまうんじゃないか

という、なんとも言えない

不穏さ、危うさ、が漂っていて

 

彼女( アン )にとっても

娘( アネット )は人形(=もの)

だったのだろうか…?

 

例えば、アクセサリーのような…?

 

と考えていたところで

ちょうどアップされていた

フォローしている方の感想を読み

はっ、と

 

そうなんですよね、アン 

ヘンリー に対する復讐のために

娘( アネット )を利用するのでした

 

そして当の ヘンリー は金儲け

あるいは、名声欲?のために

娘( アネット )を利用する

 

そうして、自己を搾取する存在であった

両親( ヘンリー と アン )が

いなくなって初めて

 

彼女( アネット )は

人間として生きていくことができる

 

操り「人形」であった状態から

解放された

 

ということだったのでしょうか…

 

 

というのが、私の解釈で

 

「愛」と「自己」と

そもそもの、歪な「人間」とが

描かれている作品なのかな、と

思ったのですが

 

ダーク・ファンタジー・ロック・オペラ

の通り、ダークなファンタジーに

彩られ、包まれ、仮装され

ロックなオベラで唄いあげられているので

 

一筋縄ではいかないというか

 

なかなかこう、観ているだけで

すんなり、すとん、とは

いかないというか、で

 

いまだ、あれこれと考えてしまう作品

 

ブログや映画サイトの感想等を読んでいても

解釈や感想が様々なんですよね

 

それだけ好みが分かれそうな

作品でもありますが

 

私はこんな風に

あれこれ考えてしまう

いろいろが含まれている

 

そして、個性的な作品が

好みでもあったりするので

 

この「愛」と「憎」と「自己」等々が

ごった煮になっているような

 

歪で不穏な世界に

劇場でどっぷりと浸ることができて

よかったな、と思います

 

 

そうそう、そういえば

 

あの アン がいくつかのシーンで

食べていた 林檎

 

終盤に近づくにつれて

どんどんと濃くなっていく

 ヘンリー の頬にある あざ のようなもの

 

それぞれに意味がありそうなのだけれども

いまのところ私は解釈に至っていなくて

とても気になっています

 

もしわかっている方がいらしたら

ぜひ、コメントで教えてください

 

 

そして、やっぱり

唄声の威力ってすごいな、とも

 

今年はなんだかミュージカルも含めて

唄っている作品を鑑賞することが多く

そういう年、もしくは私の

センサー感度の方向性、なのかしらん キョロキョロ