3/2(水)

 

 

@高田馬場

早稲田松竹 にて

 

 

 

 

Summer of 85

 

 

2020年|フランス|100分|PG12

 

監督・脚本:フランソワ・オゾン

原作:エイダン・チェンバーズ

出演:フェリックス・ルフェーヴル、バンジャマン・ヴォワザン、フィリッピーヌ・ヴェルジュ、メルヴィル・プポー、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、イザベル・ナンティ 他

 

 

 

監督の前々作『2重螺旋の恋人』が

公開当時とても気になっていて

観に行きたかったものの

スケジュールがどうにも合わずに

観られずじまい

 

そしてこの『Summer of 85』も

公開当時、気になってはいたのだけれど

やっぱりタイミングが合わず

観られずじまい、だったのですが

 

名画座の早稲田松竹さんが

かけてくれていたので

飛びついてしまいました

(うれしい&感謝)

 

というわけで

フランソワ・オゾン監督の作品を観るのは

これが初めて

 

 

フランソワ・オゾン監督が

思い入れのある

エイダン・チェンバーズの小説

「おれの墓で踊れ」を映画化した作品とのことで

 

舞台は、1985年の夏

フランス、ノルマンディーの海辺の街

 

16歳のアレックスが

18歳のダヴィドと出会い

初めての恋、そして、その恋人(ダヴィド)との

永遠の別れを経験する

6週間のお話

 

その出会いから別れまでの6週間の時間と

別れのあとの現在の状況とが

同時進行で進んでいく形になっていて

 

 

フィルム撮影だという

クリアでない、粒子の粗い質感の画面が

時代背景やストーリーとよく合っていて

とてもしっくり、美しく

 

少年たちの初恋(恋愛)を

そのままに、素直に、シンプルに

写しとっているようでいて

 

あのちょっと呆気なくも感じられるような

ラストシーンからすると

通過儀礼的な意味合いもあったのかな、と

 

 

 

以下は、私の個人的で勝手な解釈

(想像も含む)だけれども

 

そしてネタバレにも

なってしまうかもしれないので

苦手な方は回れ右されてくださいね

 

 

 

ダヴィドは父を亡くしてから

バイクのスピードや危険な運転からしても

視線が「死」へと向いてしまっているようで

 

どこか自暴自棄のような

「生」ではなく

「死」に寄り添おうとしているかのような

そんな空気感があって

 

だからこそ

ゆきずりの相手と関係を持ったり、と

その行動も刹那的になり

 

対するアレックスは、初めての恋に

 

ずっといっしょにいたい

いくらいっしょにいても足りない

 

と、一直線でのめりこみ

 

ダヴィドも同じ気持ちかと思いきや

 

ふたりの6週間の終盤には

アレックスの目の前で女の子を誘惑し

そのまま関係を持ってしまい

 

そのことに関して口論になると

ダヴィドはアレックスに対して

「飽きた」と口にするのだけれど

 

これはダヴィドの「生」に対する

拒否反応だったんじゃないか、と

 

視線が「死」に向いているダヴィドは

アレックスとの恋愛によって

アレックスと同じように

深い気持ちを持つようになり

 

そうするとそれは

愛情や執着、果ては「生」へと

結びつくことととなり

 

「死」と寄り添っていたいダヴィドは

その、「生」へと結びつくこと、が怖くて

 

「飽きた」なんて思ってもいないことを口にし

いまや彼にとって

「生」そのものとなりつつあるアレックスを

遠ざけようとしたんじゃないかと

 

だからこそ、口論の最中

アレックスを傷つけることで

自身も傷つき

涙をこぼしていたのではないかと

 

 

その後、口論の場から飛び出した

アレックスを追いかけて

ダヴィドはバイク事故を起こし

亡くなってしまうのですが

 

「生」を追いかけて

「死」にたどり着く皮肉

 

 

それから

原作小説のタイトルでもある

「おれの墓で踊れ」

 

「どちらかが先に死んだら

残された方はその墓の上で踊る」という約束を

言い出したのもダヴィドで

 

それは、俺の死を踏み越えて

おまえは生きていけ、という

そういう意味合いだったのかな、と

 

 

呆気なくもあるラストシーンはでも

アレックスが乗っているのは

ダヴィドと過ごしたダヴィドの舟で

 

同乗しているのは

ダヴィドのかつてのゆきずりの相手で、と

 

それは、ダヴィドとの記憶とともに

それらを血肉にしてこの先を生きていく

続く人生へと漕ぎ出していく

ということだったのかな、とも

 

 

それからこれは余談ですが

 

アレックスは

もともと才のあった文章にすることで

 

ダヴィドが死んだというつらい現実から離れ

ダヴィドとの6週間の記憶をなぞり、反芻し

文章にすることで、追体験し

 

それによって整理がされ

自分の中での落としどころがつき

 

そうしてダヴィドの死を

乗り越えていくのですが

 

書くことでの浄化(消化?)作用とともに

 

期せずして、この日の午前中に観た

スタンド・バイ・ミー』も

主人公が過去を回想し、それを小説として

文章にしていて、その内容が

メインのストーリーとなっているという

 

構造のリンクがあって

なんとも不思議な一致の偶然

 

そして、この次に観にいく予定の映画には

タイトルに「偶然」という言葉が入っているという

 

映画のリンクは続く…?