「人には優しくしよう」
子供の頃から
耳にタコができるほど聞いてきた言葉。
けれど最近は、
「まずは自分に優しくしよう」が
主流になったらしい。
否定する気はない。
けれど、
大前提はやっぱり
“人に優しくすること”だと思う。
人に限らなくてもいい。
動物でも自然でもいい。
“外側に向けた優しさ”こそ、
社会が回る根っこだ。
では、なぜ今はそれが難しいのか。
現代は「余裕がない」と言われるけど、
余裕とは何のことだろう。
時間?
お金?
それも一部の正解だろう。
将来不安が膨らめば、心の余裕も削られる。
けれど、ここで一つ疑ってほしい。
本当に“無いから不安”なのか?
それとも、
無いことにしているだけじゃないのか?
時間はあるのに、有効活用できない。
学ぶ気があるのに、
スマホで気づいたら1時間経っている。
運動する時間があるのに、やる気が出ない。
お金も似ている。
普通に暮らせているのに、「もっと欲しい」と思う。
なんとなく「月100万くらいあれば…」と口にする。
この“なんとなくの不足感”が、
心の余裕を奪っていく。
満足の基準がバグっている。
本当はもう充分持っている。
五体満足で、
衣食住に困らず、
誰かと会話できる。
未来を想像できるから不安が生まれる。
その“不安を抱けている”状態すら、
本当は恵まれている。
まずは、この「あたりまえ」に満足してほしい。
満足したうえで、
そこで止まらないことが大切。
あたりまえを整えたら、
次は“望むもの”に向かえばいい。
他人と比べても意味はない。
自分の基準で、自分の歩幅でいい。
そうして内側を整えたら、
今度は外側に少し目を向ける。
社会、誰か、小さな命。
どこかに“困っている何か”が見えてくる。
そのとき、そっと手を差し出してほしい。
これなら「優しさの代償」は必要ない。
「まずは自分へ」は、優先順位の話であって、
“人への優しさを捨てていい”
という意味ではない。
本当に困っている誰かを前にしたら、
放っておけないのが人間。
だからこそ、日頃から蓄えておく。
心の余裕を。
心の余裕はモノから生まれない。
考え方、捉え方、経験の積み重ねから育つ。
急には変わらない。
急ぐ必要もない。
けれど、歩み始めなければ育たない。
何から始めればいいかわからないなら、
まずは“自分を知るところ”からでいい。
外側に届く優しさは、
いつだって内側から育つものだから。
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