いつからだったのか、
はっきりとは思い出せないけれど
「笑うことで誤魔化すこと」
を覚えたのは、
ある時期からでした。
困ったとき、求められたとき、
無表情だったり、意見を口にすると、
場の空気が重くなることがありました。
でも「笑う」を選ぶようになってからは、
何も問題がなくなったように思えました。
だから困ったときは笑ってごまかす。
よくわからないときも、とりあえず笑っておく。
そうしているうちに、
周りは勝手に
「穏やかな人」「明るい人」と認識してくれました。
“害がない人”という称号まで得て。
これでいい、
そう思っていた時期もありました。
けれど、いつからか
「どうして笑っているのかわからない」
という感覚が生まれました。
意識しないと笑えない。
本当の笑顔がわからなくなる。
それと同時に、“私自身の個性”も
どこかに置き忘れてしまったように感じました。
“害のない人”というのは、
いてもいなくてもいい存在。
意思を示したり意見を求められることもなく、
空気のような存在になっていきました。
たまに自分の意志で行動や言葉を発すると、
「どうしたの?」と心配される。
「本音」を出すことが、
異常なことのように扱われていきました。
そうしているうちに、
私には「自分を表現する場所」が
なくなっていました。
世の中がなんとなく、
つまらなく感じるようになりました。
どうしていいかわからなくて、
お酒に頼ってみたり、
話を聞いてくれる誰かを探してみたり。
我慢しているだけで、
何も悪いことをしていないのに、
気づけば堕落のきっかけばかりが
増えていきました。
自暴自棄になったり、
暴飲暴食をしたり、
眠れない夜が増えていったこともあります。
でも、それでも私は
「自分の可能性」を完全には否定できませんでした。
否定したくなかったのだと思います。
人の力も借りながら、
少しずつ自分を知る時間を
持てるようになりました。
自分が喜ぶこと、悲しむこと、安心すること。
それを一つずつ取り戻していきました。
小さな満足もしっかりと嬉しい。
意味のない我慢は減っていき、
「目的を持って向き合うこと」が、
自分の軸になっていきました。
今は、意志を持って
過ごすことができています。
本音で人と関わることもできています。
嬉しいことも悲しいことも、
ちゃんと「自分ごと」になっています。
きっと世の中には、
我慢して生きている人が多いのだと思います。
我慢すること自体は悪いことではありません。
けれど、その我慢が「何のためなのか」を、
自分の中で理解し、
納得しておくことが必要だと感じます。
あなたはどんな生き方を望んでいますか?
感じるものがあるなら、
それを言葉にして外へ出してみるのも、
ひとつの方法です。
声に出す、言葉にする、紙に書く。
きれいな理由や正しさなんて必要ありません。
敵を作る必要はありません。
ただ、自分と向き合うだけで十分です。
少しずつ、
ゆっくりと、
でも確かに進んでいくことができます。
どんな経験を重ねてきても、
どんな年齢になっていても、
自分の人生はこれからも、自分のものです。
あなたの笑顔は、
誰のためにありますか?
それをもう一度、
自分自身に問いかけてみませんか?
―*――*―――――**――*――――***―――――