高校の頃、全校集会や学年集会の壇上から教師が何度も言った。
本校の校歌を作詞したのは森繁久彌氏で、氏が本校を訪ねられたとき、しっかりした感心な生徒ばかりだ、と大いに褒めていただいた。
ただのリップサービスだろう?
あるいはその頃ここにいた連中が分厚い猫の着ぐるみ着てただけだろう?
だいたいお前たちみたいな教師が気に入る生徒が本当に感心なわけねーだろっ!
御都合主義、日和見主義、長いものには巻かれながら陰口だけはしっかりたたき、時には暴力に及ぶという、今だったら訴えられても文句はいえない、その高校の教師たちのやり方が好きでなかった僕はほとんど反射的にそんな話に反感をもつのだったが、その際、森繁氏まで面白くない人種に入れてしまったのは僕のダメ加減を示しています。
すみませんでした。
去年森繁久彌氏が亡くなったとき、氏の長男泉氏の葬儀で、泉氏の名前を叫びながら慟哭する久彌氏の映像を見て涙が出た。
演技に見えるほどの慟哭。
演技に見えてしまうほどの真情の表現。
役者は真情を表そうと演じるのだから、演技の結果形成された感情表現が、たとえステレオタイプとなってしまっても、真情を表すのは当然かもしれなくて、僕も瞬間的にはまがいものに思えてしまった本物をいくつも見てきた。
森繁氏の慟哭は、僕の中のいろんな人と結びついて、校歌が生徒を学校に結びつけるよりもはるかに強く、僕を過去と現在に結び付けてくれている。