オウムの思い出 | 行き詰まった人生に気づきを得るためのブログ

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いろいろな出来事が起こり、行き詰まってしまう人生の曲がり角には考えることがたくさんあります。でもそれは飛躍の時かもしれません。明日への飛躍のために一緒に考えましょう。

日本には二つの五稜郭があります。一つは函館の五稜郭。もう一つは無名ですが長野県の佐久にある龍岡城。写真にあるように、小さいですが五角形の石垣に囲まれた城でした。

 

 

 さて、今日はなぜか急にオウム真理教のことを急に思い出して、あれこれ記憶をよみがえらせていました。で、昨日までの話題と全然違いますが、ちょこっと横道にそれて書きます。ごめんなさい。

 

🌠オウムの道場に行ってみた昔の記憶

 

 まだオウム事件が起こる前のこと、オウムの道場が東京・世田谷の松原にあったのです。普通のマンションの2階。世田谷線の窓からも見えました。当時のオウムはチラシなどで広範囲に広告をしており、まだ若かった私も興味津々でオリエンテーションに出かけて行ったのでした。会場に入ってみると、パープルカラーの修業着を着た20歳くらいの青年スタッフがたくさん。私と一緒に集まったビジターも20人くらい。ほとんど若者です。

 

🌠まず水を飲まされて……

 何の説明をされたかよく覚えてないのですが、最初に聖水を飲まされたことだけはよく覚えています。今から考えるといったい何を飲まされたんだ?という話ですが、説明によると普通の水よりも光の透過率?(または屈折率?)が違う、麻原彰晃が念を注いだ貴重な水だそうです。それを飲まされたというか……、とにかく飲みました。

 

🌠麻原彰晃登場!に「子供を返せ」の怒声

 

 さてそうこうしているうちに一種異様な念仏?(「オ〜ム〜」という)が突然沸き起こり、隣の部屋から(道場と言っても、少し広めのマンションの普通の部屋です)麻原彰晃と取り巻きがしずしずと出てきたのです。存在感は確かにありました。なにしろあの風貌ですからね。

 そうしたらですね、ビジターの中に混じっていた中年の男性がいきなり立ち上がり、「子供を返せ!」と叫び出したんです。びっくりしました。統一協会などでは被害者家族の会などがあると聞いていましたが、オウムにもあったのかという感じ。

 その「子供を返せ!」の顛末がどうなったか、男性がどうなったのか実はよく覚えてないのですが、とにかく集会は続きました。麻原彰晃の説法があり、何十万円もする修業のコースの説明があり(学生相手にこの値段?)終わった後はビジター1人1人が別室に呼ばれてカウンセリングでした。もちろん、私も受けました。

 

🌠オウム事件後に死刑囚になった新実

 

 しかし、そのカウンセリングは拍子抜けするほど穏やかなもので、何も強制ということはなく、入会を説得されるでもなく、ここに来た動機や今考えていることを聞かれただけ。とても人柄のいい人に思えました。

 しかしその後例のオウム事件が起こって報道を聞いてびっくり。私のカウンセリングをしたのは岐部哲也。本当に人柄が良さそうな人でした。でも彼は逮捕されました。殺人には加わっていないようなのですが明らかに犯罪計画の一翼を担ったのです。そして麻原彰晃の隣にボディガードのようにしていたのは新実智光。彼は死刑囚となりました。

 

🌠あの青年たちはその後どうなった?

 

 今思い返して思うのですが、あの時道場にいたたくさんの青年、ほとんど20代と思える男女の青年はいったいその後どうなったんだろうか?と。松本サリン事件、地下鉄サリン事件、そして上九一色村のオウム施設強制捜査、警察庁長官狙撃事件……。人生を狂わせるようなことが次々と起こりました。

 しかもそれは一般信徒の知らない世界で幹部が犯した犯罪です。少なくとも松原道場にいた青年は無関係だったのでは。彼らはアルバイトなどをしてあの高額な修業料を払い、宣伝に惹きつけられて何かを求めたにすぎません。それとも、犯罪に加担した人もいたでしょうか。しかし少なくとも、あの段階ではそんなことは考えていなかったと思います。岐部だってそうだったと思えます。だって本当に穏やかな人でしたよ。