で、次に。

そうは言っても便利に越したことは無いって訳で

キャンプ道具やウェアも含めてどんどん進化してる(と思う・・・)

って言うかゴージャスになってるでしょ。

何時だか行ったキャンプの時なんか、テントにプロジェクターみたいなの持ち込んでなんか見てたよ、WHY?

 

そういう物か、家で良くね~?

 

まぁ、何度も言うけどそれはそれで人の価値観の問題だからとやかくは言うつもりも無いけど(言ってるけど)

なんだかな~って思っちゃう。

楽しみ方の変化って言われればそれまでだけどせっかくそんなところにいるんだから、静寂を楽しんだりするのが醍醐味なんじゃないかってね。

 

アウトドア生活にも日常を持ち込むと楽しいってどっかの作家が言ってたけど、それってかなり長い期間での話だし、1泊や2泊だったらやっぱり非日常を満喫した方が良いでしょ?

 

だから野外生活の楽しみの1つが゛不便゛だと思うんだ。

 

霊長類人科は太古から、

「いかに快適に生きていけるか?」をテーマに発展してきたけど

考えうる限り、もう十分に快適じゃ無いだろうか、なんて思う。

石って割ると刃物になるんだ、って知り

地球は平面だ、ってのが実は丸かったと知り

電気が暗い夜も明るく照らしてくれ

会わずとも話ができ

知らない国の情報がリアルタイムでわかり

そして機会が何かを教えてくれる

そんな21世紀だ。

 

もうこれ以上良いんじゃないかって・・・

 

1つの発明、1つの発展がすぐに当たり前になりそれに不具合が出ると当たり前のように不満が出る。

 

小さい頃には、夕立なんかが降ればかなりの確率で停電になり、断水なんてのも日常茶飯事だった。

それが不便だとかって文句をいう事も無く、あごの下から懐中電灯を当てたりして遊んだものだ。

インフラの整備で、そういう不具合も殆ど減ったし

お父さんが出ちゃったらマズイ!ってビクビクしながら固定電話からかける電話の緊張感も味わえない、そんな便利過ぎる世の中だ。

 

そんな便利過ぎる日常を当たり前に傍受しているからこそ、不便という非日常を過ごすのがキャンプやアウトドアライフの意義でもあると思う。

パートⅠでの、アメリカ人のアウトドアライフも

゛原点回帰゛、フロンティアスピリッツへの憧憬が大きいと思うし、

そう考えれば、不便は楽しいのだ。

 

一年中蛇口をひねれば出てくる水も冬のキャンプじゃタンクの水も外に置いといたら凍っちゃう。

炊飯器は無く、飯盒の底はかなのり確率で焦げる(これが美味!)

これはほんの一例で、そのほかにも日常では゛味わえない゛不便がゴロゴロしている。

 

これが楽しいんじゃ!

って千鳥風に叫んでみるけど、何度も言ってるように価値観の違いだから押し付けは出来ない、しない。

 

そんな野外生活を何日か過ごして、また文明社会に戻ると今度は日ごろ意識してなかった便利さに感謝出来る。

スイッチ入れればたちまち明るく照らしてくれる電気、即座に出る水に感謝しつつ、過酷な環境で生きている野良猫もジャケにできなくなるはずだ。

 

少なくとも自分が思うアウトドアライフってのはそういうものだ。

じゃ、何処まで不便にするか?ってのが問題になるかもしれないけど、線引きは自分でするものだし

不便を楽しめる範囲で良いと思う。

本当にストイックな考えでしようと思ったら、

歩いて行く、野草だけで過ごす、火は自分で熾すって事にもなっちゃうし、下手したら修行にもなりかねないからね。

 

と言う訳で、その辺を基準に物も選べば良いと思う。

 

じゃ次に、不便を楽しめるような物選びを考えてみようと思う。

まだまだ続くよ。