今日の話は別に提案も、愚痴も、文句も、何にもない。

だから読む必要はありません。

要は自分が書きたいだけだ。

 

さて、まつこが2歳と9か月になった、うちに来てからは2年7か月だ。

この間の何と早かったことか!

その間、年に数回の留守番、避妊手術の数時間と一晩だけ入院したことがあるけどほぼ一緒にいる。

だから約24700時間中約24500時間は一緒にいる計算になる(笑)

「おい、まつこ。こんなに年がら年中一緒にいて飽きないのか?」

なんてたまに話しかけてみるけど、返事は返ってこない。

ただ、今でもシャツの中に入れれば安心しきって寝ちゃう位だから

まぁ少なくとも嫌じゃないようだ。

 

思いだしてみるとそれは突然の事で、いつかは犬を飼いたいと思ってはいたものの、飼うなら絶対に柴犬って決めてて、そのうち保護犬でも見に行くか、とは言え毛が抜けるし・・・なんて言いながらの゛犬のいない゛日常゛だった。

(まつことのナレソメは前にも書いたけどね)

ところがそれはある日突然やってきた。

まさか、金魚のエサを買いに行って犬が付いてきちゃうとは!

 

って訳で柴犬でも無く、何なら犬種もわからず性別も知らず、おまけに値段も聞かずに我が家にやってきたまつこだ。

(その後、色々と犬関連の話題や記事を目にすると゛値段゛とか゛買う゛って言葉に凄く違和感と抵抗がある。保護犬を引き取ればよかったな・・・そんなことも思うけど、まつこも1つの命だ。って考えるようにしよう)

そうして2016年の1月に我が家に゛家族゛が増えた。

「えっ、犬だよね?家族って?」って思う人もいると思う。

人間じゃないよ、犬だよ犬・・・

実は何を隠そう、自分も思いっきりそう考えていた1人で、

「何が男の子だ女の子だ、犬だろっ雄雌だろっ」とか

「ご飯だ?、エサだろっエサって言えよ」

「犬に服なんか着せて、キモッ!」な感覚だった。

 

うち(実家)には昔っから犬が途切れることなくいて、ただ時代が時代だったから、その多くは庭で飼っててエサ、いやごはんも残り物って言う典型的な昭和の風景な、そんな飼い方だった。

ドイツもコイツも可愛かったけど、やっぱり立ち位置は犬であって猫っ可愛がり(犬っ可愛がり?)するような意識は無かったんだ。

で、全部で10匹以上いたのを覚えているんだけどどれもこれもが

断片的な記憶でしかない中、1匹だけ凄く印象に残ってるのがいて、名前は゛ももこ゛って言ってコレが凄く可愛かった。

大学生の時にどっかからもらってきて、多分テリアの雑種なんだろうけど黒くて体重は10キロくらいだったかな?

勿論ももこも庭の一員だったんだけど帰ると速攻で、いわゆるヘソ天って言われてるお腹を上にしてしっぽがちぎれるくらいに振って

「お帰りっ!」って歓迎してくれた。

こっちは別に何してやってるわけでも無いのにね。

ももこが多分8歳くらいの時に自分は家を出ちゃって、結構゛疎遠゛になっちゃったんだけどたまに遭うとそれまでのように

「うれしいうれしい!」ってカラダ中で喜んでくれた。

で、そんなももこを1回だけキャンプに連れて行ったことがある。

車に乗るのを思いっきり嫌がって(多分どっかに捨てられると思ったんじゃないか)それはそれは大変だったけど、真っ暗な中テントの前で番犬ぶりを思いっきり発揮してくれて、本当に健気で可愛い犬だったな。

で、つくづくもっともっと可愛がってやればよかった・・・

そんな事今更言ったって遅いのにね・・・・

そのももことまつこ、何だかとっても似てる気がして。

ちなみにまつこはトイプードルとマルチーズのミックス(昔は雑種って呼んでたよね・・・ああ時代)で色はベージュ、専門的にはアプリコットって言うんだけど、体重は2.5キロ。

だからテリアのミックスのももことは犬種も色も大きさも全然違う。

でも、思いだすももこの顔と凄く似てるし、すぐにヘソ天したりする天真爛漫さが(かなりの思い込みもあるけど)共通しているように感じるんだ。

要は゛生まれ変わり゛じゃ無いかと・・・・

だから、大事にしてやらなかったももこへの罪滅ぼしの気持ちがどっかにあって、その分まつこを溺愛しちゃってるのかもしれない。

こんな事を書くと、なんか不気味~って思われるかもしれないよね。

実際不気味だと思うし、そういう類は何も信じない人間なんだけどこれが不思議でまつこはそう思わせちゃう存在なんだ。

犬好きの間では

犬は死ぬと虹の橋を渡ってなんたらかんたらってファンタジーみたいな世界が語られるけど不思議なもので

そんなこた~無い!ってタモリ風に言ってはみても気が付くとそんな極楽を想像しちゃってみたり、こっちも死んだらまた会えるかな?なんてふと思っちゃったりする。

こんな年のましてや毛が無いオッサンがそんな事想像するなんて全く以て、それこそ不気味以外の何物でもないけど(笑)

 

そんな訳で、犬にはそんな不思議な能力って言うか存在力って言うかとにかくかけがえのない生き物だって思う。

 

犬の寿命はは当然ながら人よりも短くて大型犬で10年ちょい、小型犬で15年とかが平均だ。

それでも昔に比べたら医療の進歩とか食べ物の進歩とかもちろん環境で倍くらいになってるらしい。

ももこは確か11か12歳まで生きたから当時としては長生きだったんだけど、もうすぐ3歳になるまつこは大体ももこの一生に追いついちゃった位だ、上手く老衰で一生を全うしてもらう

「えっ、後10年といくばくか・・・なのか?」

 

で、問題なのが自分の方。

さっき言ったように今から゛虹の橋・・・゛何てことを考えちゃってるんだから、こりゃ重症だ。

何がって、゛ペットロス゛ってヤツだよ。

 

で、やっぱり犬を飼い始めた人のアルアルだと思うけど

犬との生活を書き留めたブログなんかを読むよね。

内容が面白かったりすれば最初にさかのぼって小さい頃の画像を見ては「ありゃりゃ可愛い」だのと一人でニヤッとしたり、成長していく姿に喜んだり、でも当然最期にもつき合わされたりもするわけだ。

そうすると、もう駄目だ。

会ったことも無い飼い主、会ったことも無い犬なのに読んでて涙が止まらなくなっちゃう。

再度言うけど60前のハゲのオッサンが・・・だぞ。

で、これも誰もがやっちゃうと思うけど自分が飼ってる犬にリンクさせちゃうんだよね。

そんな時は思わずまつこをシャツの中に入れちゃって(迷惑だワン!)

「その時は・・・」なんて、感極まっちゃう(オッサンです、はいっ)

 

それが、なんて言うか今ここにいるまつこと何故か虹の橋にいる(笑)ももこ2匹に対しての物みたいで

2倍2倍って、マルハチ真綿をかぶせられた感覚になっちゃう。

ちなみに、良く冗談半分で人に

「今からペットロスで・・・」なんて話すけど、ここの下りは実はここで書き下ろしだ、貴重だぞ(また笑)

 

なんて事も言ってみつつ、

重症のペットロスに陥る人の多くは

「もっとしてあげられることは無かったのか?」って後悔するらしい、「果たして幸せだったのか?」って。

で、例の虹の橋云々の話はそういう人たちに向けた慰めの概念でもあるようだ。

 

で、結局はそんな後悔をしないようにいつでも毎日可愛がって暮らそうよってのが、やがて来る別れにあたっての対策なんだろう。

だから、これからも出来る限りまつこと一緒にいるんだ。

 

どう?

完全に家族でしょ。