小学校高中学校でダンスの授業が始まったらしい。
って何年前の話だよっ!ってツッコミが入るよね。
その辺は何時からか知らないし、今日の内容とあまり
関係ないから別に良い・・・
さて、ダンスと言えば社交ダンスからヒップホップまで、
盆踊りもダンスって言えばダンスになるんだろうか?
ブッチギリのリズム音痴の自分にはまるで縁が無くて
やろうと思ったことも無ければ、もちろんやったことは無い。
で、学校でダンスを教えるとなるとどういう教え方に
なるんだろうね?
先生が形や動きの模範を示して、それに従って生徒が
マネをして・・・そんな感じなんだろうか。
う~ん、言葉で表現できないものだから中々難しいと
思うんだよ、多分先生が
「ここをこうして、ここはそうして・・・」って
要は先生の完コピなんだろう。
これが合ってるかどうかはわからないけど、はたして
こんな授業が必要なんだろうかって思っちゃう。
普通の体育じゃダメなのかな?
むしろ音楽の授業でやれば良いのに・・・
って実は音楽の授業でやってるの?
そんな訳で、?ばっかりになっちゃってそんなんで偉そうに
書いて良いのかよっ!って本日2回目のツッコミが
入りそうだけど、何が言いたいのかと言えばこういう事だ。
物事には言葉で説明できるものと出来ないものがあって
職業で言えば、何だろう。
バックリ言って゛堅い職業゛は言葉で説明出来て、
゛柔らかい゛職業は説明できないものが多いよね。
公務員の仕事はほぼ言葉で説明できるだろうけど
画家とか作曲家とかクリエイティブな仕事ってのは中々
言葉で説明できない。
中には、自称評論家が無理やりに言葉で説明したり
してるけど、むしろ言葉にしちゃう方に無理があるよね。
で、小学校や中学校の義務教育に゛ダンス゛が必要か?
って話になって来るんだけど、
身体的な成長で体育、感性の成長に音楽。
これで充分なんじゃ無いかって思うわけだ。
しかも、跳び箱何段跳べたとか、50メートル何秒とか
体育はおおむね結果を理解できるし
音楽は、♪の読み方を学んだりできるでしょ?
それくらいで事足りる気がするんだよね。
まぁ、時間に余裕があるんなら別に良いとは思うんだけど
もっと必要な授業があるんじゃ無いかって考えちゃう。
で、いつものように話がパンチョとずれちゃうけど
しかも愚痴になっちゃうけど、
最近(に限ったことじゃないけど)目に余る来店者が多い。
汗ダクダクの体で平気でシルクのウェアを着ようとしたり、
汗ダクダクの頭で黙って帽子かぶったり・・・
余りのマナーの悪さに閉口しちゃうよ。
良く日本人はマナーが良いとか、お隣の国の人のマナーの
悪さには・・・なんていうけど、そんなの国民性がどうのじゃ無くて
個人個人の問題だってのをつくづく感じた。
しかも、それが何の悪気も無く当たり前のこととして思ってる
から余計にたちが悪い。
ちなみにさっきも高いシルクのシャツを平気でハンガーから
落としたまま帰って行った女の子がいたけど・・・
店内に限らず、たかだか5分も歩くとそんなマナーしらずが
大勢いて、日本も落ちたなってこれまたつくづく感じちゃう。
小うるさいオッサンって言われればそうかもしれないけど、
何も「今どきの若い者は・・・」じゃ無くて年は関係なくね。
で、これってやっぱり根本は教育にあると思うんだ。
権利ばかりを訴える親が多い学校教育もかなりのウェイトを
占めているのは明白だよね。
強く言えない、怒れない教育になってるんだろうね。
問題は゛なんで?゛って所にあって、小さい頃から
何でダメなのか、何でいけないのか?って事を教えていないから
自分で考えられず、シルクに汗を付けたらシミになっちゃって
商品じゃ無くなっちゃうとか、そんな事すら想像できないんだろう。
゛なんで゛と言うのを理論的に教えなくちゃいけない親や学校が
それを出来ないんだから、民度が落ちるのは当然だ。
で、言ってしまえば
ダンスの授業をする暇があったら道徳の時間を増やせ!
って事だ、道徳なんていう時間割そのものが無いのかな(笑)
良い事、悪い事を教えるのが教育であって、その゛何故?゛を
教えるのが道徳の時間のはずだよ。
体育の授業、サッカーの試合をして喧嘩になった。
1人が怪我をした。
親が怒鳴り込んだ、ところが悪いのは怪我をした方だ。
さて、どうする?
ってのが、最初っから何故喧嘩をしちゃいけないのか、
喧嘩をして殴ったら怪我をする・・・
こんな事をあらかじめ教えていれば、親もそうした教育を
しっかりと受けていたら怒鳴り込むこともしないし、そもそも
ルールのもとにサッカーをするんだから喧嘩にもならない
だろう。
そんな誰でもわかるような事を分からない連中が多すぎる。
゛何で?゛が分からないから言いようもないし、全然通じない。
何て言う悲しさ・・・・
だから、ダンスなんかやってる暇があったら道徳の授業だ!
そんで更に言うと、是非とも道徳の授業に゛身だしなみ゛の
時間を取り入れて欲しい。
話は戻るんだけど、さっきの目に余る連中の多くは
゛おしゃれ゛なんだよ。
あっ、おしゃれってのは今時の恰好してるって事ね。
だから、このブログの敬虔な読者はわかってると思うけど
イコール゛ださい゛って事。
今時の流行に乗っかっちゃってるって事は自分で着るものを
選べないって事で、言っちゃえば自分の趣味嗜好や主張が
無いって事、人が良いって言ってるものを着てるだけだ。
じゃなんでそうなっちゃうのか?
これは元をたどっていくと、゛何たるか゛を知らないから。
何回も書いているから、耳タコだとは思うけど
゛おしゃれ゛の前には身だしなみ、TPOがあるわけで何を
こういう場では何を着ちゃいけない、何を着るべきか?
って事を分かっていない、ここに尽きる。
そんな訳で、話しがまたクルリンパと戻るわけで、
ファッションってのは言葉で表現できないもの、要はダンスと
一緒なんだよ。
ファッションは言葉で表現できないけど、身だしなみは
表現できるでしょ?
小さい頃から身だしなみを教われば、それが基盤になって
何を着れば良いのかがわかるから、大きくなってからも
着るものを自分で選べるようになるはず。
右倣えで人と同じ物を着なくても胸を張っていられるって事だ。
だから、ダンスは体育をしっかりと学んでからで良い、
そしておしゃれは身だしなみをきちんと学んでからにしろ。
そういう事だ。
こういう職業をしていると、こう言っちゃなんだけど
そこそこ服装で、その人となりが見えちゃうんだ。
たまに外すこともあるけど、大体初対面で商品の扱い方とか
そういうのを含めて、何なら物を大事に扱う人かどうか。
そんなところまで読めるようになっちゃうんだよ。
叱る教育がダメだとか、褒めて伸ばす教育が良いとか、
なんとかかんとか、本が出たりしてるけど
たかが服装とかって考えないで、しっかりとした身だしなみを
教えるのはとっても大事なのです。
これを読んでるお父さん、お母さん。
将来自分の子供が服装で判断されることの無いよう、
服装で判断されても大丈夫なよう、
しっかりと身だしなみの大事さを子供に教えて!
あっ、そのためにはまず自分がしっかりと勉強しないとね。