久しぶりです。
が常套文句になっちゃってますね、アメーバのIDも
自分で忘れそうになってるし・・・
それにしても暑い、まだ7月だよ。
ちなみに今日は誕生日、年は秘密
って何気持ち悪い絵文字使ってんだよっなオッサン
はこの年になると誕生日すら忘れてる。
(今朝、車のナビが教えてくれて思いだす・・・)
そんなわけで、暑いと言えば忘れもしない19の夏、
じゃなかった33の夏。
そんな94年もそれはそれは暑かった(この時点で年バレ)
扇風機すら、ましてやエアコンなんか・・・な倉庫の中で
独りひたすらの作業。
そう、いよいよ9月6日のオープンに向けて商品の入荷、
そして検品をしてたっけ。
破けそうなシャンブレーのシャツに何なら破けちゃってる
ジーンズ、果ては数合わせの別ブランドのアウター・・・
RRLの商品たちとの初対面はこんな感じだったのだ。
当時ペーペーだったアウトドア好きな一社員はある日突然
ってトワエモアかっ!(しかも古っ)じゃないけど社長に呼び出しを
食らった。
ペーペーだからして、いきなりトップに呼び出し食らう事も
そうそうは無いとも思いつつ、もちろんそんな記憶も無く
頭の中は???ってね。
「お前、明日からココ」ってデスクを指さし、
「えっ?」
って訳で、まさかの当日(前日か)人事異動・・・
正式には移動じゃないんだけどとにかく即日の勤務地変更
と相成りました。
勿論、それ以前から゛シュミレーション゛みたいな事を
やらされたりしてたんだけど(当時はワープロね)、
日本でもRRL展開ってのは社内でも話に出ていた気配も無くて
(なんせペーペーだから情報降りてこなかったんだろうけど)
ある意味新鮮だった。
何にしても新しい事を始めるってのはワクワクするものだよね。
で、それからは準備期間が無いってのもあったりで
毎日バタバタだった。
日々何していたかってのはもう覚えてないけど、
「サラリーマンとして充実してたな」ってのは何となく頭の
片隅にある。
そんなこんなで真夏のクソ暑い時期にクソ暑い倉庫で
検品作業をアクセクしていたってのを思いだしたんだ。
こんな暑い日・・・
アメリカでのRRLのローンチは93年フォール、だから
日本での展開は1年遅れだったんたげど、当然の事ながら
すでに、いわゆる゛並行輸入゛なセレクトショップでは販売
していて、まぁ並行輸入とは言うもののおおむね定価で
買ってきて売ってたものだから高かった。
しかも゛ズリズリダラダラ゛なトレンドで何故かサイズで値段が
違ったり(XLが高いの、変な時代でしょ?)
まぁプレミアプライスみたいな感覚だったし高くても売れ売れ
だったんで、それにしても高かったな~。
ってそこへ本家参入!(って言い方もおかしいけど)
今の時代だったら事前告知なんかバンバンやって大々的な
宣伝するんだろうけど、そんなのもあまりしないでスタートした。
場所は原宿のポロショップ(今のとは別だよ)の地下1階で
20坪、スタッフは3人。
壁材やらプロップやら棚、其の他モロモロ内装全部アメリカ
から持ってくるって言う気合いの入れようで(送料だけで
〇〇〇〇万円!)でいよいよ9月にオープン!
で前日の夜にプレス対応のいわゆる゛プレオープン゛
だったんだけど、普通のお客さんやらなんやらグッチョグッチョ
な状態で、そりゃもう凄かったな。
左はオープンに向けてのポストカード、右はシール。
物凄いレア物だね(笑)
って全く
゛祝50周年゛になってない、今頃気づくオッサン・・・
チト込み入った数字的なものも登場しちゃうけど
遠い昔の話なんで時効って事で許してチョンマゲなんだけど
とにかく、とにかく物凄い人気だった。
オープンの日なんか、置いてる商品が全然なくなっちゃって
急きょ倉庫(例の暑い倉庫)に連絡して在庫全部持ってきて
もらったくらい&閉店後商品畳むだけで終電、とかね。
で、初年度1億円の売上予算の所2億円の売り上げ実績
で、しかも3人体制で、それはそれは原宿店のドル箱になった。
バブルがはじけ、中々厳しい状況だったからRRLはまさに
救世主になったんだ、売上2倍でも給料1倍だったし、
閉店後の残業も毎日で疲れ果てて、それでも下らない事
言いながら楽しくやってたな、
当時の部下なんかともいまだにそんな話で盛り上がったり。
で、今となっては良い想い出のRRL時代なんだけど
それが形として残ってるのの代表がさっきの商品紹介で
チラッと写ってたTシャツなんだ。
94年のオープンの時にお客さんにロゴ入りのTシャツを
配ったんだけど、原宿1周年って事で、今度は原宿オリジナル
を作ってみた訳。
なんか芸がないね~、またTシャツだってさ。
これがその"HARAJUKU '95"
当時のポロ社は物に対して凄く厳しくて、要望とか
リクエストになんて門前払いだったんだけど
RRLで世界一の売上だったし
「良いよっ」っていってくれたのかな?
本当はもっと違うもの作りたかったんだけど色んな制約が
あったりで結局はTシャツになっちゃったって訳。
それでもデザイン起こして、ちゃんとサンプル作ってもらって
(最初のサンプル・・・"HARAJUKO"になっててゲロゲロ)
そんなれっきとした物なんだよ。
確か100枚だっかな、200枚かな?チョ~レアモノだ!
で、さっきも言ったけどこんな事出来るのなんてメッタに
無い事で、かなり鼻高々だったのを覚えてるんだ。
(ちなみにポロでは゛ダマテン゛結構作っちゃいました、この場を
お借りしてお詫び申し上げます・・・)
これが背中。
何年か前に、とある古着やで普通に売ってて
それはそれは!した、しかも結構な値段で・・・
そんな訳でこの当時はまさか将来こんな事やってる
なんて想像もしなかった。
あれからかれこれ四半世紀近く経ち、御大も78歳。
みんな年取って環境も変わって今がある。
(厚かましくも同列で語ってるオッサン・・・)
当時は不満タラタラだったけど、あの経験があったからこそ
今があるんだと、感謝してもしきれない。
こんな暑い日には、あの倉庫を思いだすんだ・・・