更に続いた!
ここから、また下手な分析に
入ってみようと思う。
こうして会話をしなくなり、会話が
苦手になって行くと、こう言う事が
起きて来ると思う。
勿論、中の良い友達なんかとは
それこそ、楽しい会話をしていたとしても
共通の話題や内容については話を
しないだろう、なかなかネ。
で、分かりやすく服の事を例にして見ると
ファッション業界や、凄くファッションの事が
好きな仲間がいなかったら、当然そんな
話は出ないだろうと思うんだ。
って絶対って事は言えない。
ただ、ソコントコは誰もが苦手な物だから
自信がない、せいぜいテレビやネットで
読んだ、見た事をそのまま自分の意見として
知ったかするのが関の山だろう。
そうするとどうなるか?
みんなが、横並びになっちゃうんだよネ。
テレビで誰それが言ってた・・・そんな
人の意見や提言を受け入れちゃうから
誰もが、それに
前ならえしちゃうんだろうネ。
結果、人と違うと不安になったり、言い方を
変えると人と一緒じゃ無いと安心できなくなる。
これが1つのトレンドの流れでもあると思うけど、
しかもこういう事ってのは前々から当たり前に
あった事だけど、もっと前には
こんな感じの゛メジャー組゛とそれに否定的な
゛マイナー組゛が必ずいて、そのバランスで
成り立っていたような気がする。
1つのメジャーが50%をしめて、その他の
マイナー組のいくつかが残り50%のシェアで
そうして、そのマイナー組の1つが次に
メジャーに昇進して・・・こんな感じの流れが
合ったはず・・・
ところが、そのマイナー組が最近はものすごく
少ないと感じるんだ。
「人と同じじゃイヤダ」
「みんな着るようになったら終わりだろっ」って言う
まぁ悪く言うと反逆分子だけど、そうして新しい物が
生まれてくるのもまた事実。
ここんとこの、若者の格好を見ていると本当に
個性が無いと言うか、着せられているって言うか
失笑なコーディネイトが凄いと思うよ。
決して「アバンギャルドな服を着ろよ」みたいな
事を言ってる訳じゃ無いってのは
言わずもがなで、じゃ無くって
何の節操も無く、流行り物を(例えそれが
トラディショナルでベーシックだったとしても)
着て、全身固めてるのを見ると
゛頑張っちゃってる感゛がマンマンで
゛着せられてる感゛がこれまたマンマンで
物凄く不自然なんだよネ。
自分なりの個性みたいなのが全く見えてこない
んだよ。
見たまんまの格好をしちゃうものだから
誰もが一緒で、本当はそんなの嫌なのかも
知れないけど、おそらくそれが怖かったり
仕方が分からなかったりなんだろう・・・
特にアパレル関係にいたりしたら
みんな同じ方向いて、
「今はコレだろっ」みたいなノリで行っちゃう
物だから、余計周りが見えなくなっちゃう
傾向もありそうだしネ。
昔は「これが売れるだろう」じゃ無くって
「次はこれだろっ」って常に先を見てて
良い意味で、流行りの物は既に終わってる
そんなアグレッシブさがあったのに・・・
で、これも会話の減少が少なからず
あると思うんだ。
もっと広い視野で、例えばうちの店に来て
「そもそも服ってなんぞや」みたいな会話が
あれば、違った視点で見られるかも知れないし
新しい発見だってあるかもしれない(?)
という訳で、店の前で一服して通りを
眺めてるとほぼ、アパレルとそれ以外の
人の見分けが付くんだよネ。
アパレル以外の通行人の方がよっぽど
自然で、これ見よがし感が無いんだ。
と言うか、基本がなってるような気がする。
まぁ、こんな事言ってる時点ですでに
化石に近いオッサンな訳だけど
とにかく、ウォークマンなんか取って
会話をすりゃ、何かが見えて来るかもよ。
どんな時代になったって、どんだけ機会が
優れていたって、基本何でも作ってるのは
人間なんだからさ・・・