商品紹介です。


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5月4日~6日、お休みします。


毎年今頃の季節って言うと

綺麗に晴れ渡った空の元、そろそろTシャツ

で、ウロウロする位なのに、今日なんかは

もうすぐ冬がやって来るんじゃないかって

位の、そんな4月の最終日。


そして明日は早くも5月・・・

明日、5月1日と言えば、そうセナの命日だ。

今年で没後20年と言う事で、1日、1年、

20年が本当に早く過ぎて行く・・・


で、伝説のセナに関する諸々って凄く

沢山あって、そりゃあれだけのF1ドライバー

ともなれば当然なんだよネ。


だけど、忘れちゃいけない。

セナが亡くなる前日、要するに20年前

の今日、セナの陰に隠れて忘れ去られている

もう一人のF1ドライバーが無くなっている。


ローランド・ラッツェンバーガー

享年33歳・・・


1994年と言えば、F1の最悪の年とも

言われていて、特に第3戦のサンマリノGP

は、まず金曜日の予選1日目

(当時は2日間に渡って予選があったんだっけ)

に、ルーベンス・バリチェロが鼻骨骨折を

負って、そして次の土曜日には

ラッツェンバーガーがウォールに激突して

亡くなった。

そして決勝の日曜日には、セナが・・・


・・・そんな訳で、セナばかりが注目されてしまう

悪夢の94年のF1。

何だか今日のこんな空模様は、日本とも

縁があった、ラッツェンバーガーが

悲しんでいるような気がしてならない・・・


ここで、今のF1界では考えられない

ラッツェンバーガーの経歴を書いてみようと

思う。と言うかウッキを見てくれた方が

早いんだけどネ・・・


まず、キャリアのスタートが大学中退って所から

始まる。

レーシングスクールでメカニックを2年間やって

資金をため、23歳でようやくデビュー。


マクラーレンやレッドブルの育成ドライバーが

既にチャンピオンを獲っちゃってる年齢で

ようやくレースデビューなんて、今のF1からは

考えられない位の遅いデビューなんだネ。


それから日でF3000(今のスーパーフォーミラ―

の前身)やツーリングカーのレースに出たりした。


そして、念願のF1デビューが94年。

シムテックって言う、最近F1を好きになった人

は聞いた事も有るかもしれない

ヴァージンレーシング(今のマルシァの前身)で

テクニカルディレクターをやっていたニック・ワース

が作った、最弱チームと契約した。

といっても、今みたいに

年間正ドライバー2人、リザーブドライバーが

ナンチャラカンチャラ・・・って言う時代でも無く、

ラッツェンバーガーは5戦だけのアバウトな契約。


苦節10年でようやく念願のF1にたどり着いた

のに、最弱チームでしかも5戦のみって言う

そんなラッツェンバーガー。


同じ年齢(3月生まれなのでこの時点で1つ

上だけど)のセナと言えば、もう既に

カリスマ、天才、音速の貴公子って訳で

゛ラッツェンさん゛とは別世界の所にいた。


そして、たった3回目のレース(決勝にも

出られなかったんだから2回半位)で

亡くなってしまった・・・


F1を知らない人でも、アイルトン・セナと

言えば、かなり有名だろうけど

ラッツェンバーガー、誰?


でも、F1までに長い苦労をして

ようやく最高峰までたどり着いた

そんな一人のドライバーがいた事も

忘れちゃいけないんだネ。


なんて言っても、あの悪夢の2日間、

それ以降、F1で死者は出ていない・・・


アイルトン・セナ、

ローランド・ラッツェンバーガー

この二人が見守ってくれているのかも・・・