商品紹介です。


http://ameblo.jp/reflex-nakameguro/entry-11793315475.html


久しぶりに付帯業務も無くて、

しかもこんな天気だものだから、暇で暇で(笑)


という訳で、ネットでいろんなニュースを

眺めていた。


で、STAP細胞の話題に関しての゛ツブヤキ゛を

ダラダラと眺めてたんだけど、

まぁいろんな意見があるんだな・・・

一億総評論家時代だよネ、まさに。


論点としては、おおむね

論文のコピペって事で、やれ

「出てこい!」

「博士号剥奪だ!」

「日本のハジだ」とかそんな感じ。


問題のコピペに関してだけど、これだけ

の大きなニュースにもなればみんな大騒ぎ

だけど、極々些細な話題として

(例えばフェイスブックのネタ作りとか)

こっそりと拝借しちゃってる人もいるんじゃないか?


おそらくこのブログ内のウンチクも

もしかしたら、パクられてるかも(?)


なんて思うと、さっき言った一億総評論家

と同じように、一億総作家時代ともいえるよネ。

しかもキーワードを打ち込めば、得たい情報

は、分野にもよるんだろうけどかなり深い部分

まで会得できる。


で、゛丸写し゛をしないで文章を倒置したり

、言い回しを替えればばれる事も

何だかなさそう・・・


こうして今の時代、誰でもある程度の文章は

書けるよネ、あとは文章力の問題だけ。


例えば、今この時点でもちょいと調べれば

STAP細胞に関してある程度調べて

「かくかく云々・・・」な物も書けそうだよ。


・・・そんな訳で、

これを一般的に゛シッタカブリ゛って呼ぶ。


そんな情報満載の現代社会だけれども

もしも、そういうネットでの情報に゛うそ゛が

含まれてて、残念ながらそれを鵜呑みに

してしまったら・・・

そして、さも自分の、自分だけの

持っている情報や見識みたいな感じで

公開しちゃったら、そしてそれがばれちゃったら

それこそ、赤ッパシ゜、知ったかぶりも

大概にしろよ!って話になる。


とくに、知ろうとする情報がニッチになれば

なるほど情報量は少なくて、複数の情報を比較、

精査するのが難しくなるよネ。

そんな数少ない情報が、実はウソだったりしたら

それをそのままに信じちゃったら、

かなりデンジャラスだよ。


もしも、正確な情報を知っている人がいて

しかもたまたま、その人がウソの情報の

サイトを眺めて、更に指摘をしてくれれば

その時点である程度、制止は出来るけど

そんな事はそうそうないだろうし、

ウン良く、そういう事がなされたとしても

既に広く拡散しちゃってるかも知れないし。


こんな感じだから、パソコンってのも

めちゃくちゃに便利だけど、めちゃくちゃに

危険なツールだと思う訳だ。


あの、STAP・・・にしても、もしコピペされた

方に書いてある事がいい加減だったとしたら

一体どうなっちゃうんだろうネ?

まぁ、流石にそんな事はないのか?


という訳で、くどいようだけど

誰でも、ある程度の事は

例えばブログだったりで゛自分の意見゛

゛自分の見解゛として書けちゃう。


そして、あの、割烹着のお姉さんは

「雲隠れ」とかなんやかんやと言われてる

けれど、出て来られない理由として

こんなのはどうだろうか?と考える。


人の書いたものを引用(パクリとかコピペ

とか言われる物)するにあたって

実は、悪意とか、いけない事だって言う

意識が全くなくて、

要するに、引用することがどうしていけないのかが

分からなくて、やっちゃった。


で、自分の判断基準とは別の基準が

世の中を席巻しちゃった。

「私、いけない事したのでしょうか?」

こんな感じで困惑していたりってネ。


やばいから人前に出られない・・・とか

叩かれるのがイヤ・・・とかそんなんじゃ

無くて、自分の中のスタンダードが

ずれちゃってる事自体にパニックなんじゃ

無いかって。


これって何かに似て無い?

そう、一時のバカッター騒ぎ。

事が事だけに同列で見るのはいくらなんでも

乱暴だけど、アレにしても、コレにしても

至って軽い考えや気持ちが発端にあると思える

所では共通している。

(今回の本質が装だったとしたらの話だけどネ、

あしからず)


「゛うちら゛の中では悪い事じゃ無いけど

世間の常識からみたらいけない事なんだ」

って事が大きくなって初めて気が付いた。

(しかも、裸のバカッターと割烹着の

お姉さん、どちらもW大学って言うオチまで

ついて・・・ってのはいくらなんでも

アレだけど・・・)


そんな訳で、インターネットが普及してからって

物、何をやるのも手軽、気軽になった。


食べ物だって洋服だって、何なら車だって

出かけないで買えちゃうんだから

よくよく考えると恐ろしくもあるよネ。


するとどうなるか?

って実はここからが言いたい事の本質

だったりするんだけど

「やる事の精度が下がってやしないか?」


いくらか前に、とある会社と、チト大げさな

表現だけど、プロジェクト的な事をやって

ちなみに、その大元がアメリカだったんだけど

その時に凄く感じたんだよネ。


当然、文章や写真のやり取りをするんだけど

あったりまえに、そういう物は瞬時に相手方

に届けられる、なんて便利な世の中!


これがもし、インターネットの無い時代

だったらどうだろう?


勿論それ以前にもファックスとかそんなのが

あったから全部が全部って事でもないけど、

仮に写真を撮って、「どうよ?」って事に

なれば、送るのに一週間、1日でチェック

して、OKになれば良いけどもしもダメダシに

なったらまた一週間・・・


な感じで物凄い時間がかかるんだよネ。

だから、何をするにしても極力

やり直しにならないように何度も何度も

チェックして、万全を期す。


ところが今は、「ダメだったらすぐに訂正

出来る環境」にある物だから

「とりあえず生」みたいな感じで

まずは、こんなんで如何でしょう?

みたいな感覚になっちゃうんだと思うよ。


まさに、気軽にだよネ。


そして挙句の果てには人の物を拝借して

自分の手柄、自分の意思としての物を

作っちゃったりもする。

で、持ってきたものに不備があったりしたら

゛爆死゛と言う結果だ。


インターネットになじみが無かった世代、

世代ってくくっちゃうのもどうかとも思うけど

総合的に、団塊の世代以前あたりになる

だろうけど「パソコンもいじくれないのか?」って

バカにされっぱなしなオッサンも

いるかも知れないけど、って確実にいる。


だけど、パソコンに頼らなかったからこそ

精度の高い仕事も出来ていたって事も

充分言えると思うんだ。


「部長、資料作りました」

「バッキャロー、やり直しだ!」

「なんだよ、ったく・・・だったら自分で

パソコンいじくってやってみろ」

なんて言う光景も想像出来るけど


そんなオッサンは、機械に頼らないで

日々、業務をこなしていたのも事実。


で、パソコンなしの世代が完全に

経済社会からいなくなるのも、あと少し。

って言うかもうそうなってるのかな。


そんな時に、果たしてそれまでの

精度の高い仕事が出来るのかしら?


そんな事をついつい考えてしまうんだ。

極々単純なペラ1をつくるにしても

手書きであれば、間違えようも無い

文字もエクセルで打ち込んで、軽く

変換ミスなんて事もあるしネ。

まぁ、こんなのはそれ以前の問題だけど

一週間に一日位パソコンなしの会社

なんかが出てきても、面白いんじゃないか

なんて事も、考えたりして。


゛トップレス会議゛をやっている会社も

けっこうあるんでしょ?


くれぐれも、パソコンに支配されないように

したいよネ。


なんて事は、今の自分に何1つ関係

無いんだけど、ココントコの話題をみてみて

ふと、そんな事を思った雨の1日でした。


最後に

「勝手にコピペしないでね」なんて

こんな文章誰も見ないか・・・