先日、能登と佐渡が「世界農業遺産」に登録されました。
佐渡と言えば、以前かなりいい思いをさせて頂いた土地です。
というのも・・・
最後に訪れてからもう8年にもなるけれどそれまでに何回か行った島です。
(何故か島って好きなのです)
目的は勿論魚。
一般的に佐渡と言えば、黒鯛とかブダイとか、沖のブリなんかがメジャー
でしょうか?
ところが僕の目的は川。
大分前に、かなりのマイナー情報を基にわざわざ関越、フェリーを乗り継いで
テント生活をしました。
確か3~4回そんな事をしたと思うんだけど、最初に行った時に
「こんなチョロチョロの川で・・・んっ、ガセネタかっ?」って思った。
小川規模の川が何本か海に流れ込んでいる、まさに小川と言うのがピッタリの
川で「やっちまったか・・・」と思ったのです。
まぁ、ここまで来たんだからやるしか無いって事で河口から必死に登って
行くと、あらま不思議と気が付けば立派な渓流に様変わり!
と言う訳で、落ち込みの至る所でお目当てのイワナちゃんが出てくれる。
1回凄かったのが、同じポイントから尺上が2本も立て続けに出たこと。
まぁ、そんないい思いをさせてくれた佐渡の渓流も今はどうなっている
のか分らないけど、確かに世界農業遺産に認定された一部の「棚田」も
素晴らしかった記憶があります。
風景と言うよりは、むしろ絵を眺めているようで、言葉では言えない美しさ
があったのだ。
自然遺産もそうだけどこういった類に認定なんかされるとどっと人が
押し寄せるんでしょ、もう佐渡にも行けないな・・・
そこで思ったのだ。
これって東北地方で利用できないのかと。
伝統的な農業や文化、なにも北陸だけの物ではないはず。
東北にだってそういった物は当然あるだろうし、何てったって豊かな自然
が沢山ある。
こういった「資源」を活用できないのかと・・・
勿論、松島やその他観光資源はあるけれど、あくまでも観光地でしょ。
そうじゃなくて、あくまでもあるがままの物や文化を伝える事で継続性を
持たせられないかな。
「自然教室」「伝統農法セミナー」・・・こんな物で人呼べないのかな
とっくにやってるよって言われるのかな。
でも、1回で終わりっていうものばっかりな気がする。
継続性を持たせるような画策があるはず。
そこで、またまた思いついたのが
”AMISH”
ご存知の方も多いのかも知れないけど、とっても良い見本のように思う。
詳しくはウィキで調べてもらうとして
一昔前に結構はやった「カントリー」の元祖。
ハートのモチーフ物や、レース、風見鶏、それからシェーカーファニチュアや
その他の雑貨、結構そんな関連の店もあったでしょ。
18世紀の生活をかたくなに守っている宗教団体なんだけど、うまく日本の
田舎に当てはめられないかな。
アーミッシュには厳格な規律があるようだけど、そういう事じゃ無くて
自分達が長い間培ってきた生活や文化を他の人達に伝える、共有する事が
商売として成り立たないのかな。
柔らかアーミッシュの日本版みたいに・・・
それが、無形の物でも良いし、伝統工芸品のような有形の物でも良いですネ、
物だったら、ただ売るんじゃなくて、伝えられるようにすれば継続性が
生まれるでしょ、例えば陶芸のように・・・
お客様で、今回の震災にかなり近い環境にある方が言ってたんだけど
とにかく東北の人は控えめらしい。
ボランティアを頼むのも申し訳なくて・・・こんな人たちがかなり多いらしいの。
もっともっと、良い物を前面に出してそれを経済活動に繋げられないのかな。
その能登の話題の中で、「赤ガエル」の画像が流れたんだけど
強烈に懐かしくなっちゃった、昔は川崎にだって普通にそこいらに
はびこってたのに・・・
今の子供はつくづくかわいそうだと思う、そもそも土が無いし・・・
その一方で、特に男の子は悠久の時を超えてなおも動物好きでしょ、
「ゲンゴロウが、ミズカマキリが泳ぐ小川」
地元の人が当たり前に思っているそんな土地も都会の子がみたら
果てし無い感動の風景かも知れないのです。
そんなワンシーンから虫博士になる子も出るかも知れません。
伝統工芸を受け継ごうと言う若者が現れるかも知れません。
そんな発想ももしかしたらアリなんじゃないのでしょうか。
「〇〇〇の直営店て、原宿にしかないのよ!」と言う地方の人
「〇〇〇サンショウウオてここにしか居ないんだって!」と言う東京の人
同列に考える事って無理なのでしょうか・・・
お粗末様・・・