今日であの地震から丁度3カ月。

復興に向けた行動、捏造の露呈、商売の再開、そしてこの場に

及んでの見苦しい利権・・・


未だに進まない瓦礫の処理。

こうした状況は、第二次世界大戦の東京に例えられたり、比較されたり

しています。

「まるで戦争・・・」、「東京大空襲の時より酷い・・・」云々。


ただ、決定的に違っているのは

戦争は人災、今回は天災って事。

(原発に関しては、天災だけど。念の為)


こんなトッカカリからの、この間ある人との会話。

ある人とは・・・他でもない僕の両親。


両親とも昭和一桁の生まれだから、勿論1番の「青春期」に戦争を

体験している生き証人なのです。


今回の現状を踏まえて、

「あの時は誰一人文句を言わなかったんでしょう?人災だってのに・・・」

との問いに


「言わなかったんじゃ無くて言えなかったんだ、何一つ言わせるような

国じゃ無かったんだ、人災に対して誰も文句なんか言えなかった・・・」


今のような、平和な民主主義の環境に無かった当時の日本は

それが当たり前だったんですネ。


たくあんだけで何日か食い繋いだ話や、一体何処に自分の家があったのか

分らない位の一面焼け野原、その他の壮絶な体験談。


そんな話をいくら聞いても、知らない世代、人間には実感が湧かないのが

現実です、百聞は一見にしかず・・・

しかし、こういった話を聞くだけでもこれは大変な財産です。


人によっては、財産だなんてとんでもない事言ってるんじゃ無い!とおしかり

を受けるかも知れないのですが、何せ経験していないので・・・すいません。


ここで、人災、天災と言う観点で何を言うつもりもありません。

国の対応がどうのとか、そんな事を言うつもりもありません。


でも、何も無い焼け野原から、それこそ無一文で今の東京、日本を築き上げて

来た人達をもっともっと敬うべきたと思うのです。


戦後、60数年、ご健在の人もかなり減って来てしまってますが

こんな今だからこそ、大事な事だとつくづく感じたのです。

何てったって、こういう人々の言葉、いや存在そのものが日本にとって


かけがえの無い財産だから・・・