3連休が明けました。

春分の日を過ぎてなお寒いのであります。


被災地の方々はさぞ辛いだろうと・・・


そして、ガソリンスタンドの列も、パニック状態のスーパーも

ここ東京ではようやくひと段落と言った所でしょうか?


自由が丘も申し訳無いほどに穏やかな1日です。


ここ何日かは、通勤のたびにどこも長蛇の列、そして持切れないほどの

ビニール袋・・・

トイレットペーパーが歩いているのかと思ったら人だったよ。


そう、そんな光景を眺めていたら

ふと、遥か遠い記憶が甦ってきたのです。


僕らの世代は、色々な物の発展、進歩をまざまざと見てきた世代

ですよネ。

白黒テレビからカラーテレビへの移行、ダイヤルの電話からプッシュ式の

電話、そしてケータイ。


車もしかり、そしてトイレなんかもそう。

和式だけだった所へ様式が現れ、そして暖かい便座、ウォシュレット。


その遠い記憶と言うのは、まさにそのトイレットペーパーです。


小さい頃、たまに行く親戚の家があってトイレは勿論和式のドボンって

ヤツ、あっトイレと言うよりは便所って言った方が当たり前にシックリと

しますネ。


当時、今じゃ当たり前のロール型のトイレットペーパーなんかあるはずも

なく、「便所紙」って言う名前が極々一般的だった気がする。


で、その「便所紙」なんだけど詳しく説明すると

記憶があっていれば、確かA5サイズ位の木のトレーが便所の隅に


置いてあって、その中に綺麗に納まるように重なっていた。


その紙はと言うと、色はグレー(ネズミ色)で、ブツブツな訳。

今そんなのがあったら、かえって高価な物になっちゃいそうな

和紙みたいな風合いの物で、もっと格好良く言えば

”SALT&PEPPER”のイメージだな。


感触は、現トイレットペーパーなんかに比べれば、こりゃ当然酷い物でした。


しかもこの「便所紙」をたまに切らしていて、そんな時は・・・って?


大体想像つきますよネ、そうです、正解!


新聞紙がピンチヒッターとして登場するのです。

しかも律儀に、綺麗にさっきの木のトレーに収まるように切ってある。


そのもっと昔と比較したらキリが無いけれど、まだまだ紙がそこそこに

貴重だった時代なのでしょう。

昭和40年台の最初の頃の話です。


今は紙1枚とって見ても一体どれ位の種類があるのか想像もつかないけれど

代用できる物は代用できるのです。


無い時代は無くて当たり前、あればあって当たり前。

この文句自体が当たり前だけど、それこそ昔の人はハッパなんかで

拭いていただろうし、縄で拭いていたって話も聞いたっけ。


これ以上は、何も言いません、自分だってあれば当たり前の感覚の人間

だし・・・


ただ、大量のトイレットペーパーを抱えた光景を眺めて

そんな懐かしい想い出を書いて見ただけなのだ。