資料的な物を色々と整理していたら面白い、って言うかただ
懐かしいだけの物が出てきたので、そのつながりで今日から
「懐かしファション3部作」をお送り致します!
それでは始まり始まり。。。
で、その懐かしい写真は後ほど
学生運動の時代も終わり、ヒッピーカルチャーも落ち着いて
ヘビーデューティーブームを経て、VANが倒産・・・
その頃から、海外のブランドが沢山日本に入って来ました。
雑誌「ポパイ」の創刊が1976年、アメリカの文化やカルチャーを
タイムリーに紹介してくれるこの雑誌は、若者に大きな影響を
与えた訳です。
ファションで言えば、ようやく開港したって感じでしたネ。
それまでのファション誌と言えば、誰もが知っている「メンズクラブ」
こちらはもうまざれも無く、バイブルでした。
当然僕も、メンクラでファションの基本を勉強した訳です。
「ルール」・・・これがとっても大事でした。
そして、メンクラにポパイを重ねると・・・アラアラ不思議
自由が見えて来たのです。
「メンクラで教わったルールを守りつつ、ポパイの自由な発想で
ファションを楽しむ」 こんな感じで。
主観なんだけどこれが日本の「プレッピー」の始まりだったと思う。
この時代って自分が1番興味があった時代ってのも勿論あるけど
凄くファションの面白い時代だったと思う。
あした、明後日と書くつもりだけど、メンクラとポパイって言う二大雑誌
に象徴されるこの辺のファションは、その後(同時)につながって行く
「ニュートラ」、「サーファー」の原点でもあったんだろうネ。
オイルショックも落ち着いたり、日本は本格的に大国へと成長していく中で
海外のブランドも色々と入ってくるようになって、ファション業界も豊かに
なって行く、輝かしい時代です。
必ずメンクラに広告が打たれていた”Gim”のセーターはあったけど
”McGregor”のジャンパーはデパートに売っていたけど、
アメ横には当然501は売っていたけど
新たに、「デザイナーブランド」と言う強敵が現れたのです。
ヴァンのボタンダウンにマクベスのチノパン、Jプレスのセーターに
リーガルのローファーと言う、「安心コーディネイト」から脱却したくて、
しようとして、みんな頑張ったのです。
だいぶ前にも似た事書いたと思うけど、ラルフ・ローレンやアレキサンダー・
ジュリアンなんかのブランドがコーディネイトの幅を広げてくれたのです。
そして、プレーンフロントのパツンパツンのマクベスのチノパンは
バリーブリッケンのゆとりのあるプリーテッドのパンツに替わり、
無地のシェトランドセーターは、ローレンのミックスヤーンを使った
フェアアイルのセーターへと替わって行ったのです。
こうして、ファションと言う狭義の「プレッピー」が出来上がりつつあった。
80年代初頭の元祖プレッピースタイル。
とっても時代を感じさせます、身の回りに売ってる物がこんなんばっかり
で、他に選択肢が無くてこういうスタイルになってるって、今だから分る
んだけど、当時はこれが最高のファションだって勘違いしていたんですネ。
言い換えれば、スタイルとファションが混同していたわけです。
色々と選択肢が広がり、自由がきいてくると一方では崩れてくる物です。
外国人からみたら、当時の日本の若者のファションて滑稽だったのかも・・・
それは、ともかくとして・・・
とにかく、この頃のファションは何時になってもまぎれも無く原点であります。
ブレザー、タータンのブランケット、ガムシュー・・・
30年前・・・つくづく本当に良い物が普通に売ってました。
この後に続くニュートラ、サーファーファションもコーディネイト云々は
別としても、良い物を身に付けると言う気構えだけはしっかりとありました。
何だか、言いたい事が上手く伝えられない文章力の無さって感じで
それでももっともっと色々と言いたいんだけど、これ以上長くなると
ますます何言ってるんだか分らなくなっちゃうのでこの辺で止めときます。