白と黒しか色を識別できない世界を仮定してみてほしい。
その世界の住人は「白と黒が可視=真実であり、そうでないものは不可視=幻想だ」と主張するだろう。
一方、多様な色を識別できる世界の住人は、白と黒しか識別できない住人を見て何とか色の知識を知ってもらいたいと思うだろう。だが、白黒の住人は「不可視」という理由で強硬にそれを否定する。彼らにとって、可視が「まとも」であり、不可視は「異常」なのである。
では、我々の現実に戻ろう。
私たちの世界の科学は概ね唯物主義の上に成り立っている。つまり、可視であるものが科学的に真実であるとされ、不可視であるものはその存在の有無について原則的には認められない(※厳密には、不可視であっても間接的に存在を証明できる場合は除く)。この思考モデルを端的に表現するなら、「論より証拠」というやつである。
よってこの世界の人々は、不可視=「幻想」「異常」と思っている。
だが、これには偏見が伴っている。
可視の世界と、不可視の世界の集合を考えてみてほしい。無限に限りなく近い膨大な大きさの全体集合の中に極小の集合体が1つある。それが可視の世界である。その補集合(=残りの9割以上、限りなく無限に近い)が不可視の世界である。
その極小の集合が「可視=真実である」というのは分かるが、それをもって、残りの膨大な不可視の集合を「幻想」だと言うことはできない。そもそも、私たちは自分たちの目に見える可視の世界についてすら、完全に解明できていない。ましてや不可視の世界をや。