私、保育士を全うし、園長先生になるのが夢だった✨
22歳で夢への一歩を歩み始めたけど...
保育園の先生から
今、なぜマッサージの先生になったのか?
波乱万丈な人生を今振り返る。
与えられた状況を、行ったり来たりしながらも
ただ夢中に歩んできた。
瀬戸圭子のMY STORY
良かったら読んでくださいね。
私は、昭和43年1月生まれ。
両親が21歳の時、長女として産まれた。
若かった両親、
どんな想いで私を産んだんだろ?
それは、あえて聞いてはいない。
私、幼児期は
とってもカラダの弱い子だった。
ぜんそく、すぐに熱を出す、入院もしたりで。
年中、親を心配させてばかりだったそう
環境を変えるためにと
群馬の田舎に引っ越してきた。
(正確にいうと戻ってきた)
その頃の記憶はある。
3歳下の弟も産まれた。
両親は良く働く人だった。
さみしかったけど、我慢してた。
私は、就学前の5歳で
初めて幼稚園に入園した。
幼稚園は
ほとんど行かなかった。
いつもずる休みして、
いつも決まってアパートの階段に座って、
持って行くはずのお弁当を一人で食べてた。
側から見たら、
かわいそうな子?
ですかね?
幼稚園にいくよりまし。
ジャイアンのような意地悪してくる
男の子が怖くて仕方がなかった。
先生も、助けてはくれない。
先生は、すぐ怒って叩く人。
大嫌いだった。
【先生に手を叩かれ悲しかった記憶は
今でもはっきり残っている】
いつもメソメソ泣いていた。
だから、
みんなにイジメられてたんだな。
( 家でかわいい、いとこといっしょに)
「あんな人にはなりたくない
私は優しい先生になりたい!!」
私は、この悲しい、辛い経験をもとに
優しい先生(保育士)を目指したのだと思う。
私は、
友達もいなくて、いつもひとりぼっち。
自分から人と話すこともなかった。
その分、
家では、(今思うと)
その反動で
弟とけんかをしたり、
威張っていたんだな。きっと。
忘れもしない、
小学生の時。
家族でデパートに行った。
ソフトクリームを買ってもらうことになった。
お金を渡され
自分で買うことになった。
店員さんの前にいくと、
緊張してしまい、
「ソフトクリーム1つ下さい」
その一言が恥ずかしくて、
全く何も言えなかった。
ずっとその場に立ちんぼ。
見兼ねた親からは
「言えないんだったらそこにずっと居なさい!!」
その場所に置いて行かれました。
泣きじゃくって、家族を追いかけた。
その後の記憶はありません...
のちに、親からは事あるごとに
「内弁慶な子」
と言われ続け・・・
外では、意気地なく、何も言えないくせに
家では、威張っていてる。
情けない子。
そんなダメダメな私が
出来上がってしまっていた。
【私は、
親からも嫌われているんだ...】
そんな私に、
大どんでん返しが
今の時代だったら事件でしょ