二つ分かれの恋の歌 心をオリカエス 0/9 | ひっぴーな日記

ひっぴーな日記

よくわからないことを書いてます

 

 

 

 

 

 

 

数を寄せない嘘は優しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕も同じように外の風景へと目線を向けた。
「蓮桐とか法化制圧部とか聞いてた時から、てっきり全部知られていたと思っていたけど、そうでもないみたいだな」
「それ、買いかぶりすぎ。時津彫家のことはニュースで報道されてる情報以上のことはしらないよ。逆に蓮桐家のことはほとんどしらないでしょ?」
「ああ……。ま、そっか。そうだよなぁ」
「………………」
「………………」
 沈黙が流れる。視線の先では赤い航空警戒灯が無数の高層ビル上で明滅し始めた。
「妹さんって言ったけど、兄妹いたんだ?」
「……ああ、知られてないけど、いる」
「妹さんを解放しにきたって言ったけど。どうしてこのトーラスに捕らわれてるって思ったの?」
「――ごめん、それは今は言えない」
 別に彩夏の言葉尻を真似したわけじゃない。本当に今は言えない。
「解放が目的っていったけど……、事件の首謀者を見つけたら復讐するの?」
「妹が見つかればそれだけでいいかもしれないけど、俺個人としては首謀者を見つけたい。もちろん罰は与えたいけど俺はそいつに多分質問したいだけなんだ」
「なんて?」
「なぜ俺を殺そうとしたのか」
 そこで彩夏の言葉が途切れてしまった。
「そして、――一発分殴りたい……かな」
 僕がそう言ったけどまた沈黙がしばらく続いた、けど、急に彩夏が含み笑いをした。
 綺麗な顔を歪めて何か面白いことがあったように膝の上に置いていた手を腹に添えて、細い身体を折り曲げて笑いを堪えている。長い黒髪が背中に広がりそれが波打つように揺れている。
 何が可笑しいんだ? こいつ。
「おい……、人が真剣に話してるのに」
「いやー! ごめんごめん、すっごいこと言うんだなぁーって思ってさー」
 凄いこと? 家族を探したいっていうことがそんなに凄いことなのか。彩夏は髪を跳ね上げるように顔をあげると僕を見ながら笑顔を向けてくる。
「時津彫クンのいうことは大事だよ、とっても大事。妹さんを探して首謀者を探すのは。でも『それだけでこのトーラスに単身乗り込む』のは、それは凄いことだよ」
 ……それは凄いことなのだろうか。誰もが諦め、全部なかったことになったことを、暴こうとすることは――確かに凄いことなのかもしれない。でも僕にはあまりわからなかった。だってそれだけを考えてきたんだから。
「敵はどれだけいるかわからない。トーラスの内情はまったく知らない。法化制圧部の勢力はわからない。時津彫家の者に連れ戻されるかもしれない。首謀者に見つかって殺されるかもしれない。そもそも妹さんを見つけてそのあとどうトーラスを出るか。全部のイレギュラーを無視して、一つの目的だけに頑張れる、万進出来るっていうことは他人は真似出来ないよ。それはきっと、凄いこと」
 そう言うと首を傾けて夕焼けから夜景に変わろうとしている外へと目線を流した。
「……過大評価だよ。俺はそこまで考えちゃいない。ただ流れに乗ってここまで来たって感じだし」
「それが凄いんだよ。無自覚で行えるって所がさ」
 それだけ言うと彩夏はまた黙ってしまった。誰かのために何かを無自覚でやれること。それが凄いというのだろう。
 さっきからそうだけど、僕は彩夏との沈黙は嫌じゃなかった。むしろ何故か安心できた。彼女は僕の言うことをしっかりと聞き、僕の思っていることを先読みのように言う。まるで友人、いや、家族と話しているかのようだった。
 このトーラスに来てからずっと腹の奥で渦巻いていた黒い気持ちがなぜか和らぐような気がした。塊のようなこの気持ちは――きっと言葉にするなら『寂しさ』、なのだろうと思う。久世さんに信頼されていないかもしれない寂しさ。成実に全て知られているかもしれないが告げられない寂しさ。そして彩夏に家のことで気遣われて説明されるという寂しさ。
 僕は、ガキのような気持ちでそれから目を背けることがよくあった。でも自覚はしたくない。自分が強くなったと思っておきたかったから。でも、僕はまだ弱いのかもしれない。だから勝手に信頼してその相手に勝手に期待して、勝手に落ち込んでいるのかもしれない。
「――――俺って弱いのかな」
 つい、口から出てしまった。彩夏が目線を僕に固定して不思議そうに首を傾げる。
 僕が慌てて取り繕ろうとする前に彩夏が少し口元を綻ばせて言った。
「弱くはないよ。ただ優しいだけ」
 動かそうとした口が止まる。
 ――それは、会話の初めにも聞いた。
「言ったでしょ? あなたが私の思っていた人の通りだったって。優しいっていうのはこういう仕事じゃ邪魔になるって言う人が多いの。でも私はそういう風に考えない。きっと優しさも強さになるんじゃないかってそう思ってる。現に、時津彫クンがその証拠」
「俺が?」
「そう、他人のためだけに行動できるっていうことは、『凄い』ことだよ。それはだって、他人に優しくできるって言うことだから」
 ああ、そうか、と思った。彩夏はもしかしたら初めから僕のそういう「弱い」ところを「強さ」としてわかっていたんじゃないか、だから彩夏はこうやってまどろっこしいことをしたんじゃないだろうか。
「でも、優しさはもちろんデメリットがある。私が見せた干渉も時津彫クンの感じ方によっては嫌悪して使いたくなくなるかもしれない。でもそれじゃ誰かを守れない。優しさを捨てて優しさを人にあげる、それってとっても難しいことだけど、多分あなたなら大丈夫」
「…………どうしてそういい切れる?」
「だって私は時津彫クンと同じだから」
 同じだから。
 それは、同じように優しいから。
 非情になれない。
 干渉を使いたくない。
 だから。僕に説明をした、のか? こうやって、抵抗を感じないように。
 武力を使う罪悪感を。そのために贖罪を求めてしまうことを、伝えようとしたのか。
 それも「他人に出来る優しさ」じゃないのか。
「お前は――」
 昔は僕のようだったのか、と言おうとした。でもそれは言っちゃいけない気がして言葉は口の中で霧散してしまった。
 彩夏は穏やかな表情で肩に掛かった髪を弄りながら、夜景を見つめていた。じっと動かずにその青い目を暮れなずむ街のほうへと向けてる。彼女の横顔は暗色の光に照らされて余計悲しげに見えた。
 彩夏は、今、何を考えているんだろう。
 無性にそう思った。そう聞きたくなった。
「あ、そうだ、そのお前ってのやめてよねー」
 いつもの軽い口調で彩夏が言ってきたので僕は少し驚く。
「は? 何が?」
「何が? じゃないっての。私の名前は彩夏。だからちゃんとそう呼んで」
 勢い余ってまた眼前まで迫ってきた彩夏に僕は気圧される。頭の後ろで一つに束ねた長髪が僕の顔に一瞬ふれていい匂いがした。
「おう……、わかった、彩夏! わかったから離れろって!」
 肩を掴んで彩夏を押し戻すとなぜかにんまりと笑ってわざとらしく右手を顎に添えて難しそうな声を出す。
「うーん、そうすると時津彫クンもなにか呼び名考えないといけないよねぇ……。何がいいかな。トキ、トキトキ、ときちゃん、りゅう……、りゅうちゃん……」
「ちょ、おい、待てその、彩夏。考えるのはいいから膝の上から脚をどけろ! 何気に痛いっつーの! いい加減離れろ!」
「りゅんりゅんとかどう?」
 聞いちゃいねぇよ! この女。
 突飛な事を言い出しては熱中するのは癖なのかもしれない。とか考えながら自分から彩夏の脚から逃れた、っつーかスパッツ丸見えなんですけど。パンツだったらどうするんだこいつ。
「別になんでもいいよ、トキとかリュウとか言われてたけど、」
「じゃぁありきたりだけどリュウスケクンでいいかな」
 なんてことだ過去の某友人二人と発想が被った、とは言わなかった。
「なんでリュウスケなの……」
「龍之介なんて時代劇じゃあるまいし。真ん中の『之』とったら古臭いのからなんかそれっぽい現代人のような名前になるじゃん? だから」
 なにこれ何気に苛められてない? 全国の龍之介さんに謝れよ。
「でもあだ名に君づけってどうなの?」
「別にいいじゃん私の癖。時々ドラゴンとか呼ぶからそれでいいじゃん」
「そこまで被るのかよ……」
 言われた経験がないわけじゃない僕。ていうかよくねーよ。
 そうしてまた沈黙する彩夏。気に入ったらしく変な節をつけて「りゅう~りゅ~」と鼻歌交じりに街を眺めている。
「それでりゅうクンはこれからどうするのー?」
「名前変わってるし。どうするのっていわれてもな……。とりあえず宿舎ってとこにいって色々考えるよ。まだ考えはまとまらないし」
 そこまで言って僕は頭を掻きながら傍の彩夏を見た。こいつとはかなり近しい存在だということがよくわかった。もしかしたら僕のように迷いながらここに来たのかもしれない。
 そんな僕を助けたっていうのか? 優しさとはいったけどそれはつまり、お人よしってことじゃないか。
 でも、それも悪くないかもしれない。そう思えた。
 いざとなったら誰かを殺してまで妹を探そうと考えていたのは事実だけれど、彩夏と話をしたことで余計どうすれば分からなくなった。
「ちょっと私は干渉があんまり好きじゃない理由、きっとそのうちに言ってあげれると思う。でも今は駄目なの」
 潤んだ、それでいて綺麗と思わせられる瞳で僕をみてそう告げてきた。
「『彼ら』に干渉をすることを便宜的に干渉、そう言っている。でも私はそれが好きじゃないの。きっとただの我がまま」
 少し下を向いて目を伏せて、
「リュウスケクンにはとりあえずしっててほしいから言うけど『彼ら』は私たちと同等なんだよね。だから敬意も尊敬もある。それに私は干渉とは言わないで精霊って呼びたいんだ。理由があるけど今はいえない。精霊のように綺麗だから」
「精霊?」
「おかしいかな?」
 伏せていた目を悲しそうに歪めて微笑する彩夏。その表情の裏にきっと僕が想像できる以上の感情を隠しているのだろうとはわかった。
「おかしく、ない」
「……うん、ありがと」
 細く礼を言うと彩夏はすっきり晴れたような表情で夕暮れの空に顔を向ける。
「私は干渉なんて無機質なことであれを呼びたくない。精霊っていう綺麗なものと繋がってる、そう思えると頑張れる気がするんだ」
「そう、か」
 精霊。童話によく出てくる種族だが、その区分には彩夏にとってなにか特別な意味をもっているようで、真意を聞くのは憚れた。
 ――はぁ。
 空を見上げると航空機が連続して発着していく。そんなのをぼんやりと見ていると、ふと彩夏が言う。
「ねぇ」
「ん? なんだ?」
「私達、結婚しない?」
「……………………」
 僕は目だけで彩夏を見る。考えていた思考が急停止した。
「あー。はっ? え? なに? なんだって?」
 僕が答えになっていない自分でも変な返答を返すと、苛立ったように彩夏は勢いよく僕に顔を向け、乗り出してもう一度言った。
「だから、結婚しない?」

 

 

                         *

 

 

 どれだけ沈黙していただろうか。周囲には通行人もいなく、その公園の木々達は人口の風によって雑音を奏でていく。周囲はいよいよ青黒色に染め上げられて夜の陰影が浮き上がり始め僕たちの影を作り上げていく。
 そんな中。まだ街灯もつかないベンチの上で僕は息を潜めるように真直の彩夏を凝視していた。首は泥で塗り固められたように動かなく、間接も接着されたかのように不動。そのくせ心臓と体温だけが熱と鼓動を吐き出し続けていた。異常な動悸のせいで自分の身体が傍目揺れているんじゃないだろうかっていうぐらいだ。僕は揺れるような目線の中で彩夏だけを見つめる。
 濃密に立ち込めてきた夜のせいで一層彼女の目は色素が濃くなったように見えた。白い肌も黒髪もすべて闇に沈もうとしている。でも左腕一本で身体を支えて僕に向かって乗り出すようにベンチに座っている彩夏はそれだけで、それだから目立っていた。
 そして――彩夏は何もなにも言ってこなかった。僕はむしろ彩夏からの反応を期待していたからこうやって、じっと黙られてしまうとどう反応していいのか困る。
「えー…………。えっと、あの、それ、どういう、意味?」
 僕がからからの口の中で舌をようやく転がしながら意味不明なことをけど、やっぱり彩夏はなぜか僕を一心に見つめてきているだけだった。
 聞こえてないのだろうか?
 さすがにその様子に僕が疑問を持ち始めた時、ようやく彼女の表情に変化があった。
 まるで今まで何か――一心不乱に物事に集中していたような――そんなところから我に返ったような表情をした。徐々に目を開け、口を大きくし、真剣なものから驚きへと。むしろなんでそんな表情をするのかさえ僕にもわからなかった。
「――あっ」
 彩夏はようやくそれだけ言った。急に慌てふためいたように僕から顔を逸らし、身体を離す。この距離からでも彩夏は顔が真っ赤に染まっているのがわかった。さっきまでの凛とした、それでいて儚げな雰囲気とはまったく違う、そう、言ってみれば年相応な少女らしい反応だった。先ほどの会話をした今の僕でも純粋に彼女が可愛らしいとも思えた。そう思ったあとにその考えを消したけど。
「ち、違うのっ!」
 そう彩夏は言う。
 違う? 何が? どこが違うのだろうか? 結婚が? 俺が? 地球が? っていうかそもそもその話題はなに?
 僕が固まったままで頭の中で思考をわけもわからずぐるぐる回している内に、彩夏は赤く染まった顔を隠すように横目で僕に視線を送ってくる。
 まるでさっきとは違う瞳だった。動揺で揺れる蒼の瞳。心なしか涙で濡れているように見えた。
「そ、その結婚っていうのはそういう意味じゃなくて、いや、そう意味でもあるんだけど、でもそれってやっぱり違うかなぁーって思って。私としてはその、とりあえず、違うの!」
 そう最後に叫びながら僕をきっと睨む。勢い余って顔を僕に振り向いたためにアップにしていた長髪が顔に掛かった。睨まれることなんかしてませんよ僕。
 そこまでの狼狽となんだか話が繋がってないような彩夏の言葉でようやく思考が少しだけ冷めてきた。
 違うのって。つまり結婚しようってことが?
 じゃあ、何をしたいんだこいつ。そもそも僕に何をさせたいんだろう。急になんの意味もなくそんなことをいう奴じゃないってことはさっきの会話でよくわかったつもりだ。でもじゃあ、恋愛云々になにが意味あるんだ?
 彩夏に向けていた顔をようやく少しだけ引くと、かなり硬直していたらしく首がぼきぼきと音が鳴る。なんて言ったらいいのかわからずそのまま髪を掻き揚げる仕草を繰り返した。
 彩夏も俯いて自分の髪を指に巻きつけるようなことをして気まずそうな顔で俯いている。
 というか実際気まずい。この沈黙。静寂。
 もし僕に召還能力があれば今蓮杖を呼び出したいところだ。あいつなら僕の無茶振りに平気で何でもやってくれて彩夏を大変和ましてくれることこの上ない。あいつって何ポイントで呼びだせんだろ。とかなんとか現実逃避をしながら、嫌に女の子らしい彩夏にどう声を掛けるべきか迷っていた。するとまた彩夏から言ってきた。
「あ、じゃあ、さあ。つ、付き合わないっ?」
「へっ!?」
 僕がダチョウの首を引っつかんだような声を上げた。何言ってんのこいつはさっきから。どういう話題振りだよ。わけがわからない。
「付き合うって……、え? 恋人同士になれってこと、かよ」
「こっ!? こ、ここここ、」
 また勢いよく僕を振り返って鶏の早口みたいなことを言ってくる。顔は真っ赤のままで口をすぼめながら怒りと動揺を混在させた表情。こんな顔でも様になるんだなあ、と心落ち着かせる僕。
「恋人だなんてっ! あんた何言ってんの!」
「そりゃこっちの台詞だ! お前が何言ってんだよっ! つまりそういうことだろが!」
 なんかだんだん言ってきてまた僕のほうも顔が熱くなってきた気がする。ああ、こいつはなにがしてぇんだ。
「そういう意味だけど……。そういう感じじゃなくて」
「じゃ、じゃあどういう意味だよ」
「聞いたとおりの意味よ!」
「だからわかんねぇっての!」
「分かるでしょっ! フツーわかるでしょ!」
 あ、なんか不毛だなこの会話。ふとそう思った。どうして僕はこんなこと話してるんだろう。確か真剣で重要な話をしているんじゃなかったっけ。
 彩夏は少し憮然として口を尖らせ、髪を弄りながら、片目を瞑ってしぶしぶといった感じで言う。
「じゃあ、わかった。友達になりましょう」
「…………そこに結論が着地すんのはいいけど流れ的にどうなんだよ」
 結婚の次に付き合ってくださいの次に友達になりましょう? 最上級から最下級へ転がっといて友人? それは当然僕のこと好きなのか嫌いなのか考えちまうぞ。というかそういうふうに考えさせるのが目的なのかこいつっ!
「えーと、もはやどっから突っ込んでいいのかわからないけど、お前は、」
「彩夏」
「……彩夏は急になんでそんなこと言いだすわけ? 俺は互いに確かに秘密をかなり話したけどつまりそういう関係になっておけば後々なにかと楽とか、そういうことか?」
「違う」
 またそう言って彩夏が首を振る。違う、と。今度は悲しそうに。どうして僕がそれに分からないのかと言った風に。彼女は違うと言う。
 僕はそこで徹底的に取り返しがつかないことを言ってしまったような気がした。違う、と繰り返す彼女を、何気ない見えない刃物で切りつけてしまったのだろうか。自分が気づかないうちに。
 僕はまた無自覚に人を傷つけてしまったのか。
「そういうことじゃないの。でも、その、うんごめんね唐突に言っちゃって。でも友達になりたいって言うのはその、本当だから」
 まだ照れてるのか流し目に僕をみる彩夏の碧眼は濡れているように見えたけど、言葉は揺ぎ無かった。
 こいつはもしかしたらずっとこれを言いたかったんじゃないのか……?
 僕はそう思った。好きとか嫌いとかはわからないけど、僕は彩夏に似てるから。優しいから。だから――友達になりたい。そう思ったのかもしれない。そう考えると僕は少し、なんだから身体が浮くような、風に乗れるような気持ちになった。身体が今空に見える蒼穹の雲のように思えた。さっきまでの黒い岩のような気分はどこかへ行ってしまったかのようだった。
「うん……、ちょっとわかる気がする。俺もそういうふうに考えたことはないからさ。でもそれならそうと最初から友達にならないって言えばいいのに。結婚とかさ。もしかして彩夏って俺のこと好きな、ぶっ!」
 喋ってる途中で思いっきり視界がぶれた。俊速の平手打ちが僕の右頬に綺麗に決まった。衝撃で脳が揺さ振られる。
 早すぎて僕は顔を逸らすことすら出来ない。つーかこの野郎!
「いってえーっ! てめぇ何しやがるっ! 急に照れたり悲しそうになったり怒ったり、お前は情緒不安定すぎだろっ! 一体なんなんだよ!」
 散々叫びながら右頬に手を当てて振り向くとすでにベンチには彩夏はいなかった。そのもっと延長上、三十メートルは離れた公園沿いの歩道の上で、顔を真っ赤にしてキャミソールの上に腕を組んで立っていた。なぜか僕のほうを向いて仁王立ち。
 いつものように片目だけをあけてそしてさすがに暗がりのために動作はわからなかったが、髪を解いたように見えた。
「ぜっ――んぜんわかってない! リュウスケクン全然駄目駄目!」
「なにが全然わかってねぇだ人のこと引っぱたいといて! さっきから言ってることが、」
 痛みからくる怒りの勢いで思いっきり互いに大声で叫んでいたが僕は段々と尻すぼみになる。
「――彩夏のしたいことがその、さっぱり、」
 わからないのか? いや違う。僕が気づいていないだけじゃないか?
 でも僕はさっきのやりとりを思い出しても全然やっぱりわからなかった。だから、
「……わからないの?」
 すこし元気がなさそうなかろうじて聞こえた彩夏の声に自分の気持ちがぐちゃぐちゃとかき混ぜられる。分からないわけじゃない。
 ただ僕は、分かりたくないだけだ。だから、分かろうとしてもきっとわからない。
 でもそんなこと彩夏に言えない。きっと言ったら悲しむ。それぐらい『分かる』。
 止まったままの僕に構わず少し興奮したように彩夏は言う。
「そんなんじゃこの先思いやられるよ! まったく。これからリュウスケクンも仲間なんだからねっ。これから一緒に行動するんだからっ」
 そう言って僕にこれから喧嘩を売るように右手の人差し指を突きつけ、左手を細い腰にあてて。
「友達だからねっ!」
 彩夏は大声で、僕に言った。
 そこにはなんの迷いもなく、怒気は孕んでいたけど、僕の耳に静かに鋭利に入り込んだ。
 やっぱり、彩夏は僕に似ている、そう思った。
「友達、で、いいからねっ! もう、その、じゃあ、帰るっ! 帰るよもう。じゃあね! また明日っ。指揮官の立花さんとかは明日でいいよ」
 なんか変な言い方で言葉を残していくと、綺麗な長髪が薄明かりの元で翻り、彩夏は走り去って行ってしまった。まるで逃げていくような彩夏の姿を、その後姿が消えていくまでずっと見つめていた。
 しかし変なこといってたな。指揮官? 立花って確か成実も言ってなかったか……。
 僕は叩かれた頬を摩りながら少しそれを見ていたが無駄だと悟ってベンチに深く腰掛けた。
 僕の耳にはまだ彩夏が叫んだ「友達」という言葉と「結婚」と言う言葉がわんわんと戦慄いていた。
 ガラスの外の街はすでに夜を迎えてたくさんの光を湛えている。一つ一つに生活と人生が宿った光。僕もあの一つのどれかなのだろうか。
「台風、ていうかハリケーンみたいな女だったな……」
 なにもかも僕を見透かしたようで、それでも嫌らしくなくて、僕のことをなぜかよく分かっていてそれで最後にぐちゃぐちゃにかき乱していった彼女。
 違う。違う、ね。
「分からないっていうか、分かっちゃったらそれ、まずいだろ……僕はそれがわからねぇんだよ」
 彼女が意図することはわかった、様な気がした。でも間違ってるかもしれない。所詮は僕程度が考えたことだ。彩夏のことはまだわからない。
 彩夏は僕を優しいと言った。でももう逃げられない僕に全て、親切に説明した彼女は――優しくないのだろうか。そもそも、その動機が「僕と関係を持ちたいということであっても」、それは……。
「あー、わかんね」
 僕は頬をもう一回頬を摩ってみる。意外なことに痛みも腫れもすでに引いていた。なんだろうこれ。異常、とまではいかないけど凄い回復力。例の生体型ナノのおかげなんだろうな。
 ナノに彩夏の話、敵に……。
「……素体か」
 腕を曲げて、屈伸をして首を回す。
 とにかく。とにかくだ。彩夏のことは今は置こう。素体の情報。一番の収穫といったらそれに尽きる。
 僕が探し回っていたものがこんなにもあっさりみつかるなんて思っても見なかった。いつかは出会うだろうと思っていたけどこんなに簡単に。
 人のクローンにして言葉通り、『人をそのままコピーして人を作り出す』、その技術の結果の産物。転写体。
 きっと。妹はこのトーラスの中央に捕らわれているはずだ。
 そう、信じて、ようやく街灯がつき始めた公園を振り返ろうとした時。

 視界が――突然開けた。

 

 

 

 

 

 

 

I want to surely only come to like her.