希望をもつということはだね、可能性を作り出すことなのさ。
*
まず彩夏は今日会ってきた人たちに対してどう思ったのかと聞いてきた。なんだかさっきとは打って変わって前のような軽い態度に戻った彩夏に対して、また、あんなことを言ってしまった引け目もあってかどう接すればわからなかった僕は素直に思ったことを言ってしまった。
初めにあった彩夏の印象。ミスズとかいう少女。しきりに探ってきた金髪少女、久世さん。やけに親しげで解説役兼友人第一号の蓮杖。そして聞かされた話の諸々の推測と大まかな理解。
「――つまり、早朝から日本刀を少女に突きつけてていたいかにも怪しいお前と出合って、やる気があるんだかないんだかわからない、戦争だの可笑しな妄想を言いやがる純血と話して、やけにやかましい何でも話せて何でも教えてくれた同じ小さな友人と会って、それで異様に俺のことを気にかけてくる瞬間移動の眼鏡の少女にあって、罰ゲームで逆立ち数時間してた朝に会ったお前とまた会ったんだが、総じていえば全部イカれてる」
「あははははっ!」
爆笑しながらスニーカーを履いた足をばたばたと揺らす。
笑い事かよ。お前もはいってんのに。どの辺に笑い所があったよ?
「結構的を得てるよね、時津彫クン。色々ちゃんと見てるっていうか、特徴を捉えているって言うか」
「それは過大評価だよ。俺はそんなに他人に深く関わっちゃいない。その前に敵かもしれない奴に、」
「しっかり、出会った人、みんなに感情移入してるよね」
やはりなんの脈略もなく会話に入ってくる彩夏の言葉はその通りだと思わされてしまい、僕はさっきと同じように横の彼女を呆然と見る。キャミソールの紐を直しながらベンチに座りなおしている彩夏は面白そうに顔を笑顔にして目を伏せている。
何が嬉しいのか鼻歌まで歌ってやがる。
感情移入、と言われてしまえば――その通りだと僕は思う。
ミスズには『あいつ』の面影が見えてしまったようで愛おしく感じられた。
久世にはその突き放した態度があの人とダブってしまったかのようで厳しさを思い出された。
蓮杖にはまごうことなく、友人としてみれた。
成実にはあの気遣いから本部のあいつと同じようで親しみを持てた。
そしてこいつ――彩夏には――。
感情移入どころじゃなく、ほとんど友人のようなレベルで接していたのは、今更意固地になって否定するのが馬鹿らしくなるほどの事実だった。探るために潜入したくせに戦争だのに出鼻をくじかれ、その彼女たちに『共感』していた。彼女だけじゃなく、住民たちにまでも。
それは誰もがなるものじゃないだろう。元々の僕の性格が原因だということは僕は蓮杖じゃないが、骨身に染みて知っている。父親のことを潜入のために逆に利用したように思っていたくせに。
僕はここで生活するのも悪くないと――思ってしまっていたんだ。
全て忘れてここで彩夏達と、知らない人たちと全てなしにして。それはどれだけ楽だろう。でも、僕はどうしてもやらなくちゃならないことがある。そんな僕の欠点と言えば、
「――それは優しさ、かな? 非情になれないなんて、人としては最良だけれど、人を守るものとしては最低かもね」
そんなふうに、やっぱり彩夏は僕の心を先読みしたように唐突に言う。
よくよく考えたが、こいつは見透かしたことを言うがそれはよく人を観察した結果なのだろうと、僕はなんとなく思った。
「優しさ、ね。なぜそう思う?」
少しの反撃のために僕は足掻いてみるが、
「優しさというよりも相手を思いやる気持ち? っていうかまぁ色々言葉は当てはまるだろうけれど、あなたはなにか非情になって事を成すには向いてなのよ。多分」
そう彩夏に的確に打ち落とされる。
「優しさっていうのはね、相手に押し付けるものじゃないと思うの。相手が差し出してくるものを私たちはありがたく頂戴しているんだよね。つい忘れがちだけど相手が求めているような素振りでも、それは相手がそこにはいる隙間を空けてくれているっていうこと。だから自分から無理やりそこに入り込もうだなんてことは押し付けがましいことこの上ないんだよね」
…………言っていることはわかるがつまり遠まわしに見境なく人助けすんなということだろうか。
優しさからくるものが感情移入だとして、その結果僕が誰かを助けているというならば、それはまったく持って正解だった。ミスズにしろリニアトレインであった少女にしろ、とにかく善意で行動してしいたことは間違いない……。
「……素晴らしいほどの的確な指摘だな。まあ、否定はしないけどさ。それで何が言いたいわけ?」
彩夏は腕組みをして笑顔をはりつかせ、目を伏せたまま僕に言う。
「特別なことじゃない。ただあなたが私の思っていた人の通りだったって事」
……え? 意味がわからん。なにが?
「報告にはないけど多分祀ちゃんあたりにも同じようなこと言われたと思うんだよね。あなたが私たちのしていることをちゃんとわかってくれるか。これから話すけどそこが大事だから。だから色々聞いてたんだけど多分、あなたなら大丈夫」
そう言って紅色に染まった夕日の照り返しを浴びた彩夏は僕にしっかりと笑顔を向ける。
蓮杖にも……。奪うよりは、奪われたほうがいい、か。諦めるのが早いだったか。
「よくわからないんだけどさ……、これは説得か勧誘かなにかなの? どこから来たかもわからない奴を勧誘って、それってどうなの?」
「勧誘でもないし、説得でもないよ。どうこうするつもりもないし。でも時津彫クンにはこのまま、ここで私たちと一緒にお仕事してもらわなくちゃならないのは、純然たる事実だから。クリスちゃんがこうやってメンバーにわざわざ話を聞かせたのも、まぁ、そのために私がうまく情報を聞きだすように仕向けたんでしょうねー」
なんの悪びれもなく言う彩夏に僕は少し呆れてしまった。なんの嘘もなくぽんぽんと身内の秘めていたことを口に出す。それは信頼しているのか、僕が絶対に裏切れないという核心からなのか。
「俺が脱走を図ったり、要人暗殺しようとしたらどうすんだ」
「それの答えは、」
そういって彩夏は自分の頭を指差す。
「さっき話したとおり、だけど」
そんな彼女をしばらく呆けてみて思わず頭を抱えてしまう。
――生体型ナノマシンか。
有機チップを数兆個脳幹に作って感情を制御するための、本来は医療に使われるものだったやつだ。それをどこかの製薬会社が軍向けになにか開発してるっていうのは聞いていたけどまさか。
「それはクリスちゃんというサーバを介して情報をやり取りするだけじゃなくて、位置や個人情報、または危険だと判断したらそのチップは脳の新皮質だけを焼いて植物状態にするようになってんの」
「あー……なんていうか、つまりくそったれだ」
ベンチに背を預けて大きなため息と一緒に瞼を閉じて目を指で押す。
なにがプレゼントだあの鬼畜少女。つまりは脱走防止用とかそういうものじゃねーか。
彩夏のほうをみると、そうでもないよ、とスカートのポケットからガムを出して噛み始めた。
「それは悪い方向に考えた場合だよ。戦闘のときどこにいるか、怪我はないか、またこのトーラスにいる限りこれのおかげで最低限以上の生活保障はされる。あんまり深く考えないほうがいいよ」
「そういうのを楽天的って言わないのかよ」
さぁね、と彩夏はガムを膨らましては噛むのを繰り返した。なぜかずっと楽しそうな雰囲気なのはなぜだろう?
「うん、ま、話題ずれたけど時津彫クンばっかり話しさせちゃ悪いから次は私ね」
そういってガムを紙に包むと向かいのゴミ箱に向かってバスケのシュートのフォームをとって投げると見事に入れた。
「ナイッシュー!」
「そういうの自分でいわねーぞ」
なんだか彼女のそんな仕草に笑ってしまう。彩夏もニッカリと笑顔を見せてきたが、今度は表情を引き締め、先の濃淡な蒼の瞳で僕を見てきた。
「そういうわけで時津彫クンにはもう後戻りできない。でも私はそういうのは間違ってるって思うの。だから私の話を聞いてからどうするか判断していい。私たちのしていることを理解してくれないときっと――大変なことになるから」
もう夏の夕日は遠くにみえる海に沈もうとしていて、下から焼かれた雲の群れが黄紅色から上に向かって灰褐色に彩られ、すでに陸がわからはその雲たちを夜が覆うとしている。
彩夏はなぜこんなにも僕に説明するのだろう。もっと言い換えれば。なぜ僕のためにここまでしてくれるのだろうか。同情とかそういうものじゃない、どうしても僕に話をきかせて納得してほしいという感じだった。
強制的にすればいいんじゃないのか。なぜ同意の上で、なんて面倒なことをするんだろう。でも、一つ思い当たることがある。それは自分の家のことだ。時津彫家といえばこのトーラスの軍事をほぼ全て担っている家だ。そこの長男をどうこうするということなら、こういうふうにやんわりしたほうがいいってことか?
少しまた僕の腹の下で黒く重い、塊が沈んでいくのを感じた。
「何怖い顔してんの?」
また暫く顔を下げていたのか、顔を上げると近距離に彩夏の顔があった。っていうかびっくりして思わず顔を引いたらベンチの縁に思いっきり後頭部をぶつけて頭を抱える。
「…………さっきから何してんの」
呆れたような声が聞こえてくるが、会った時から言いたかった。
「お、お前さぁ、少しは自分が女子ってことを理解しろよ。色々」
「え? めっちゃ理解してるけど? なにどういうこと?」
ふーん。無自覚なのね。僕は手のひらをふってもういい、と告げるとしきりに首を捻る彩夏。
「よくわかんないけど、とりあえず、話すわよ?」
「はい、どうぞ」
僕は頭を擦りながら肩を竦めて促す。黒色とした気持ちは依然として僕の心に渦巻いていたが無視を決め込んだ。
「簡潔に言うわね、概要は聞いてるだろうから。私たち、法化制圧部はこの中央方面の治安維持をある敵から守っているの。このトーラスは八つに区分され、区ごとに約数人から数十人の法化の部員が配置され迎撃にあたっている。特に激しいのはこの五区と六区、三区。そしてそれぞれの区を担当している法化の部員は顔を合わすことをしてはいけない決まり」
「なんで?」
「そのへんは難しい話になっちゃうんだけど昔から続いていることだから各区ごとに縄張り意識が強いのね。でもそうじゃない所もあるから一応交流はあるんだけど」
「ふーん……」
全員仲間、っていうわけにはいかないのか。色々と大変なんだなぁ。組織には組織の暗黙のルールってやつがあるわけか。
「それでその敵ってのが連邦のやつなわけ?」
未だにここまできてわかっていない肝心な敵、というもの。久世さんはよく教えてくれなかったし、蓮杖は彩夏にとめられていると言って話さなかった。僕を警戒してのことだと思っていたけど。
彩夏はやはり癖なのか腕組みをして目を伏せながら話す。
「連邦から送り込まれてくるって多分聞いたはずだと思うけど、もっぱら先も言ったように迎撃、つまり私たちは侵入してくるあいつらを迎え撃つのが主なの。専守防衛ってわけじゃないけど、こっちから喧嘩ふっかけてるわけじゃないから。で、そいつら、敵っていうのが、」
彩夏は片目を開けて僕を見る。
「連邦の素体」
「――――っ!」
僕は思わず目を見開いて身を乗り出す。でも彩夏の紺碧の瞳は一切揺るがない。それに焦燥された僕は思わず口を開いた。
「素体って…………、連邦が作ったっていう戦闘用無人機とか、じゃなくて、人の転写体のこと?」
「どうしてそこまで知ってるの?」
自分で言って固まる。
自分で言ってしまって僕はようやくそこで思考が冴えた。どうして? それは自分でそこまで調べたからなんていうことは言えない。そもそも素体の情報自体ブラックボックスでもし知りえたら国家反逆罪に問われるものほどだと言うことも知っている。ただ逆に言えばその存在自体が隠されているということでも、ある。
彩夏はじっと僕の顔を両憧で見つめ、少し首を傾げて肩にかかった髪を指で弄り始める。
不思議なことに彼女は何も言ってこなかった。疑問、疑惑、猜疑。何も言ってこなかった。そんな彼女とまともに目を合わせると少し、なぜだか不思議と安心したような気分になった。
そう、彩夏との沈黙は全然苦じゃなかった。
「……なんだか知ってるようだけれど。まぁどこまで知ってるかどうかなんていいんだけどね。とりあえず話続けるね。『ご存知の通り』、素体、正式には素数情報蓄積体。先の大戦でオセアニア連邦が大量に作り出した戦闘用アンドロイドと擬似生態型機械群、また無人機の総称。でも末期になってからはISP細胞を使った人間の転写体、ま、ざっくり言えばクローン体が出回ったわけね。今はそっちのほうを指して呼ぶけど私達の敵は、それよ」
やっぱり。あった。そう心が躍った。いや、揺さぶられたのかもしれない。素体は本当に『市場として成立し出回ってる』。僕としては不幸なことに。でも幸いかもしれない。
僕はどんな顔をしているのだろうか、彩夏は珍しく少し眉を顰めながら続けて言う。
「大体の概要がその転写体、クローン体が敵であるとするんだけど、厄介なことに最近はティーア系の素体も出始めて手を焼いているの。もちろん力は拮抗するから、そこで生み出されたのが干渉という武力のシステム」
彩夏はそこまで言って何気ない動作のように片手を前方の空間に向けた。そう、蓮杖のように。
「『フォトルゾ』」
反響するような声がしたかと思うと、彼女の指先から腕にかけて光が走った。青白い円状の光。光は粒子状にちると花火の火の粉のように散った。
だけどそれだけだった。何も起こらない。何かがでてくるということもなく、何かが消えるということもない。ただ彩夏の細い指先が空間をさしていた。
「ま、こんな感じ。法化はただこの武力を独占しているわけじゃない。対抗するために、ティーアがティーアより抜き出るために自衛手段として持っているわけ」
説明してくる彩夏はなぜかどことなく悲しそうな顔をしていた。感情の緩急が激しいんじゃなくて常に明るく振舞っているだけなのかもしれない。
「……それはわかったけどさっきのフォトルゾってアディスタ教三詞神の一つか? それがなぜ干渉の?」
言葉足らずの僕の言葉に彩夏は口角をあげてにんまりしながら言う。
「干渉を行うには『彼ら』と同調するためアクセスしなければならない。それを補うために祀ちゃんみたく補助装置をつけたり、きまった動作をインプットしている場合もある。私の場合は始動キーとして音声認証に三つを指定しているの。さっき言ったフォトルゾ神、アレガルゾ神、ディアルクイス神の三詞神の名前をそれに指定してるって感じ。これらは容易に干渉っていうでっかい力を本人以外使えないようにするっていう目的もあるんだけどねん」
「お前、アディスタ教徒なの?」
「そゆわけじゃないけどねー」
なんだか言葉を濁す彩夏。ま、別にどっちでもいいけど。
「……、概ねわかったけど、『彼ら』って? インプット? 少しわからないところがあるんだけど」
「それは今は教えられない」
ばっさり拒否られた。
「でも祀ちゃんも言ってたでしょ。わからないけど出来る科学現象みたいなものだって。そのぐらいの理解でいいの。特に時津彫クンはあんまり知っちゃうと自分で自分が困ることになると思うから」
やはり彩夏は話の中心を話さない、というか話したがらなかった。ふと、彩夏は本当に悲しそうに目を伏せ、泣いているんじゃないかというぐらい濡れた瞳で夕焼けの陸と海へ目をむける。
「私達もあまり乱用したくないし、戦わせたくないの。彼らだってきっとそうだから」
「…………お前、何言って、」
僕がそういいかけて言葉を詰まらせる。彩夏がこちらに向けた瞳は本当に綺麗だった。息を呑むどころか、息が止まったかと思った。それぐらい流麗な輝きが、そこにはあった。
ついっと彩夏が顔を背け、またいつものように笑顔を張り付かせて表情を戻すのをみると、もしかしてさっきのは泣いていたんじゃないのかと思えてくる。
「干渉は自己と世界が繋がっていることを認識しなくちゃならない。その自己と世界は彼らに繋がっている。つまり彼らが世界、全てを感じているの。それを私達が使わせてもらってるだけにすぎないわけ」
「彼らね。というかそこまで俺に話す理由は?」
彩夏は少し黙考した後に、
「これからあなたにちゃんとそれらをわかった上で、使ってもらわないと困るから、かな。ああ、あと今話したことは私と一部の人しかしらないから。ぜーったい喋っちゃだめねー」
すんごいことを仰りやがる。機密をじゃぁそんなぺらぺら喋るなと言いたい。
「そのために成実っちが立ち去るように仕向けたわけだし」
「うわぁ……」
そのへんは聞きたくなかった。あんまり人の打算的なところとか聞きたくもない。それに引っかかる成実はそんなイメージじゃないし。あれ演技だったの? でも本当っぽかったし。わかんねぇ。
「じゃ、とりあえず、」
そう言って彩夏はベンチから立ち上がると、右手を拳銃の形にして右斜め前方、つまりガラスの向こうに広がる海に向ける。
「第一次領域開放」
鋭い目線で短く言う。
「座標、任意。視界優先。――ドン」
そう撃つ仕草をした。なんだかチラッと得意げにこちらを見たような気もする。
なんだかかっこよく言っているように聞こえるが傍目では何やってんだアホかこいつという風景だった。
その直後に遥か遠方、沖合い何十キロだろうか、目測じゃ全然わからなかったけれど突如巨大な水柱が飛沫を上げて噴出した。
巨大な爆弾か水雷かなにかが水中で爆発したかと思わせられるほどのデカイ水柱が轟然とその存在をゆっくり僕に示す。外地街の向こうに広がる振興街が擁する高層ビルと比較しても百メートルはあるだろう。
と、そこで巨大な爆発音が来て思わず両手で耳を塞いでその現象に驚愕する。多分あの水柱から発せられたものだろう。音速は光速超えられないのねぇとかなんとか常識で現在の異常さを分析する。
耳を轟かす滝が目の前で破裂したような音が伝わったけど、周囲をみてもさほど騒ぎにはなっていなくて不思議に思った。あと、気づく。
「……衝撃波が、来ない?」
あれだけのでかい爆発でこんな近くにいるのに衝撃波が来なかった。あれだけのエネルギー、家が吹っ飛ばされても可笑しくないほどのもののはずなのに。
「ドン!」
彩夏が楽しそうに人差し指を動かすごとに百メートル級の水柱が上がっていく。まるで彩夏がどこかに爆弾のスイッチを持っていて、バン、バンという声と一緒にそのスイッチを押しているかのようだった。
水柱は上空へ吹き上がるような水流の流れのそれで、沈んだ夕日の光をきらきらと乱反射して呆然としている僕からしてみるとまるで大きな噴水のようだった。四つのそれは濁流の音を伴って数分でゆっくりと海へ帰っていく。
そんな様子に満足したのか、しばらくそれを見ていた彩夏は右手人差し指にむかってふーっと息をかけて拳銃をしまう真似をする。
「ま、こんなことが出来るのさー干渉は。私の場合始動キーを解除した後の一定時間は有効なの。感想は?」
「……バカじゃねーの」
本当にバカかよ。指先一つで尋常じゃない爆発力を海中に生み出した。そういうことだ。遠隔爆撃。そんなものをなんの装置や武器もなしで。僕は耳から両手を離して疲れたかのように目を揉む。
あの眼鏡の少女のようにいまなら魔法っていうのもすげぇ納得できる。
「確かにねー!」
そう言ってなにがツボだったのかあはは、と彩夏は笑い出してまたベンチに戻ってくる。僕は海の様子を見るが何事も起きなかったかのように静寂が漂っていた。
「確かに。こういうふうに自分が持ってるチカラを見せびらかすような行為ほどバカなことはない」
彩夏は真剣な顔でそういう。嫌悪が滲み出ているような気がしたのは気のせいだろうか。
「…………干渉が凄いことはわかった。素体を敵にこれを使うのも納得は出来た。だが、ほかに被害はでないのか? 俺が会った市民は、法化の人が頑張ってくれるから平和だとかなんとかって言われたんだけど」
あんな爆発がこの外延部頂上で起きたら市内外にもいくらなんでも被害は及ぶだろう。さっきもなぜか衝撃波はこなかったし。
「ああ、そのあたりはうちらの管轄じゃないんだけどさぁ。障壁張ってんの障壁。このトーラス全体と周辺の都市、あと外延周囲に。そのおかげで私達は存分に戦えるってわけねー」
「障壁? なんだそれ。それも干渉かなにか?」
「質問クンだねー、時津彫クン。残念ながらそれも今は教えられない」
「…………」
障壁、ね。障壁……。不可視の防音壁の対物バージョンかなにかだろうか。まぁ、考えてもわからんけど。
「さってと。ま、だいたいこういうわけデス。ほかにも質問あったらあとでヨロシク。さて次はまた時津彫クンの番だよー」
「へ? 俺の番?」
そっ、と言って彩夏は僕を見る。相変わらずの陽気な笑み。
「さっきのことで大体わかったけれど、素体のこと事前に知っていたみたいだし、それにこのトーラスとか干渉についても少なからず基礎知識はあったような感じがする。さすがにそれは話してもらわないとなぁってね。申し訳ないけど。ちゃんと聞くから。大丈夫」
そう言われて僕は逡巡した。口が言葉を飲み込んで固まる。
でもその葛藤はすでに前にやり過ごしたことで、いまさら迷うことじゃないということも――さすがに僕もわかっている。
だから僕は今度は、彩夏の碧眼を真っ直ぐ見て話す。
「俺も……、あまり話せないけど、俺の家は知ってると思うけど時津彫家だ。今、世界の軍事シェアの第一位にいるまた政界でも通じるという事を知らない人はいない家系だよ。お前も『蓮桐』なら、色々知ってるんだろ?」
そう僕は言ってみたが彩夏は微動だにしなかった。ちゃんと聞く、それには嘘偽りはないのだろう。彩夏の長い髪が人口風でふわりと浮いた。
現在日本の政界、財界、経済は、三世紀前の大戦によって恐慌に陥りその後日本を救った三つの家系が掌握している。政界は蓮桐家、財界は蓮杖家、経済は時津彫家が支配している状態だ。財閥という初期の段階を最初の一世紀で超え、いまではこの三家が企業の枠組みを越えて日本国、トーラスを動かしている。
さらにもっと特異的だと言えば、全てティーア系人種の家系であるということだろう。どういう過程があったかしらないけれどティーアが日本国を救ったことは公然で、その分日本国もティーアには友好的以上だ。
だから僕もここが国であると聞いた時はあまり驚かなかった。そういうことなら納得がいくから。
もちろん、このことは一般人は知らない。日本国は日本政府が統治していてトーラスは難民保護地だと思い込んでいる。
「だからよろしくないと思う輩も、当然いる。六年前起こったうちを襲撃した事件がそれも発端だと言われてる。その結果、祖父と妹が死んだ。でも妹は生きていることがわかった。だから俺に親父のするだろうことを先読みしてここへ来た。だから潜入というよりまさにそうだな、送り込まれたみたいなもんだ」
簡潔に。事実だけを言う。どれだけ彩夏に伝わっているのだろうか。でも僕はそのまま続ける。
「俺の目的は妹の解放。解放しにきたんだ」
久世さんに言ったように、そう同じく言う。
「襲撃事件に関わっていたのは『素体を中心にした特殊部隊』。素体運用ができるのは日本のごく一部の企業と、トーラスの法化制圧部、だけだ」
ここの真実――というか事実にたどり着くまでいったいどれだけ苦労しただろう。軍に入ったり、大学で色々やったり。そんな苦労もあるけれど、そこまで彼女に話すことじゃない。
僕は一回息を吸って吐くと、
「だから俺は確かめに来た。ここの法化制圧部が関わっているならば、潰す、そう覚悟に決めて来た。潰して妹を助ける。でもそうじゃないかもしれない。あの事件は謎が多すぎて確定じゃない。だからこそ――俺は迷ったんだと思う。関わっているっていうのはあくまで可能性だ。だから直に彩夏達にあってそれがわからなくなった。街の様子も、人の思想も、想像していたのとは全然違っていたんだ。だから俺は、お前たちとならこのままでもいいかなって。そう思ってしまったんだと思う。妹を見つけてそれで――」
後半はほとんど僕の独白だったけれど彩夏はじっと動かずに僕の話を聞いてくれた。俯いたり、余所見なんかもせずに僕の目に見入っているかのように、僕の挙動の一つ一つを見逃さないとするように彼女は両手を足の上において身体を僕に向けて話を聞いていた。
「俺は別に優しいわけじゃない。ただ街の人たちと、彩夏達に触れて共感したんだと思う。誰かを思いやる気持ちっていうのが、そのなんつーか全員が全員考えていて、それがよく伝わってきて。だから俺は心許したんだろうと思う。彩夏だって俺が時津彫の長男だから、さっきの説明だって了承を得ようと、」
「それは違う」
静かに、だが彩夏の刃物のような言葉に遮られた。僕は跳ね上げられるように彼女を見る。彼女は相変わらず無表情で僕を見つめていた。
「それは違うよ。時津彫クンちょっと勘違いしてる。別にあなたがそこの家出身だからっていうことでここまで機密を話して、あなたの判断に任せるようなことをしたんじゃない」
そしてまた、沈黙した。
外地街の端からぽつぽつと夜が迫ってくる闇に対して明かりがともり始めた。湿った空気が僕たちの髪を揺らす。
「私達が使う干渉というのは凄い尊いものなんだ。今はやっぱり話せないけど、さっきのように軽々しく使っていいものじゃない。だから時津彫クン個人が全てを見て判断して、どうするか。使うに値するかまたは自分で使うと決断出来るか、それを決めてほしかった。ただ、それだけだよ」
彩夏の言葉はいやに優しく感じられた。事実、彼女の表情は柔らかく崩れていた。それだけ言うと彩夏は身体を背け、背筋を伸ばして眼前のガラス越しにもうすでに夕闇に飲み込まれようとする外地街へ目を向けた。
何か言ってくれることを期待していたわけじゃない。むしろその無言が嬉しかった。
話の途中で遮られたけどこれ以上いうことがあった気がしたがそんな彩夏の様子に見惚れて忘れてしまった。
It is not only what I do not understand.