部下が不正をしようとしていた。それを見つけたのはまずは私だったが上司にいくので間に私が入って止めた。
やはりというか自覚が無かった。やろうと思えばやれるというのは常識だが、そのために法律が存在し、それが抑止力となっている。それが認知できなくなった状態が犯罪を犯す。
もとより彼は異常であった。がそれの表在化と精神面の相互性をみることができなかったにもかかわらず演じすぎるのがうまく見えたのだろう。演技によって利益が生じる錯覚にいたっていたとはいい難い。
まずは産業医の資格を持つ私が1時間話を聞いて先生をお呼びしてコンサルテーションを行い、上司を同席させアプローチを試みた。
クライアントである彼は異常である。異常である病識を持たせるには大変難しい。そもそもの、異常とは広義的な異常ではないのだが、これがうけいれられないと長期化するのは必死である。
了解の元私が付き添い、学会で知り合った先生の病院まで同伴した。
人は大変不完全な物質である。不安というものを必死に払拭させようと日夜努力ばかりをしている。手段問わずそれを行う人間とはなにか?未だに答えがわからない。人はなぜ容易にこわれるのであろうか?
こうして私は人の不完全さをまたよく認識することができた。
社内では彼の進退を問う動きがある。社則に反していない以上、原則解雇は法的に不可能である。コンサルトの立場から進言もするが休職が妥当かもしれないが、退職すべきであろうと思う私は恐らく加わらない。
こうして私は人の関係が容易に崩れる様を認識することができた。
人のデータをとりいくら統計やスケールにはめようとも流動的な物である以上、現場にでなければ人という存在に触れることは出来無い。人は必ず正を求めて暗を隠す。これはきっと誰にでもわからないことだろうと思う。