僕がわかっていないことは彼に分かるはずもない。
Le Chasseur Ⅰ
その後エメと狩人との遭遇は多くなった。
最初は二度目の道での遭遇だった。最初と同じようにエメが抗議をすると、狩人はやはり同じ事を言った。
「この道は僕が通って来たのだから、後から来たあなたが退くのが道理だろう」
最初こそ怒ってはいたものの、三度、四度と続けばさすがにエメも怪しく思うしかない。
馬車だけではなく、道ですれ違いや野外での散歩などでもちょくちょく出くわした。連れている大きな狼だが、あう度に数は疎らで、最大で八匹、全て色が違ったが必ずあの白毛の狼は青年の傍にいた。
その数のせいでそんなことを言うのかもしれない、とエメは当初思っていたが、ある時からエメはもしかしたら青年は自分の事が好きなのかもしれない、と。だから隙をみては偶然を装い自分と接触して好意を上げようとしているのではないか、と。
エメは即断でそのことは信じたが、もし仮にそうだとしても、どうやって自分に会うことが出来たのかまでは、考えなかった。そのようなことを両親に言ってみたが、ただ失笑されただけでエメは憮然とした。
ある日、晴天にエメは短めのドレスに帽子と言った軽装で屋敷の近くの小川へ行った。片手には本が一冊と菓子とお茶が入ったバスケットを持ち、気晴らしに出かけただけだ。
小川に差し掛かったところでもう見慣れてしまった白毛の狼を見つけてしまった。川の斜面に二匹の狼を座らせ、自身も座って小川を見ている狩人に出会った。いつも担いでいる弓は手元にある。
エメは即座に引き返そうとしたが、ここで引き返すと彼が理由で戻らなければならないという事実に納得がいかず、少しの葛藤の末に小川と草原のほうへと出た。
エメは草原に座ると、なんとなく狩人を見るがやはりこちらを気づいたらしく、軽く右手を上げてくる。会釈もしない青年にエメは少々憤然としながら、荷物を置きやはり立ち上がってしまい、数十メートル離れた彼の手前まで言ってしまった。
目の前まで来ているというのに狼はこちらをみるというのに、青年はこちらを見ようともしない。
「あなた、女性がいるのに会釈もないってどういうことなの?」
腰に手をやって立つエメを狩人の青年はようやく見てきて言う。
「おかしな事を言う。僕は手を上げて挨拶したというのに、あなたのほうこそ挨拶がない。それなのに挨拶をしろ、というのは意味が分からない」
青年の言うとおりだったのでエメは黙り込むしかなくなった。だけども反論する。
「お辞儀してこそ挨拶だといってるの」
「なら、なお初めに今日会った貴方からお辞儀で挨拶すべきじゃないか?」
エメは怒りに顔を震わせていたが、この押し問答は何度も続けていたためにしばらくしてどうでもよくなった。
そしてそのまま立っていると青年に横の茶色の狼を場所を空けさせると言った。
「いつまでそこに立っているつもりだ。座ったらどうだ」
無表情でいう物だから作法もなにもない彼の指示に従い座ってしまった。座った後にその恥を激しく後悔した。
なにをするでもなく、狩人は小川の対面にある草原を見つめていた。その沈黙の中でエメは狩人ようやく声をかける。
「あなた、なんでいつも狼を連れて歩いているの?」
「それは僕に必要だからだ。だから連れている」
「答えになってないわ。狩りにでも使うんでしょ?」
「いいや、使うのはこっちの弓だ」
エメは自分の投げっぱなしの質問によくわからない答えを返してくる狩人に、怒りを感じながらそれでも続ける。
「その弓に使う矢はどこにあるのよ。矢がないと射られないでしょ」
「ああ、矢はあってもなくてもいいんだ。今日はたまたま置いてきた」
その回答にエメはますます青年のことがわからなくなる。
「あなたって狩人なんでしょ?」
「そうだ。だけどあまり人に見せたくない」
会話にならない会話をしながら、エメは立つと小川の縁までいって足先で石を転がし始めた。
「あなたっていつも私の行く道で邪魔ばかりしてくるけど、あれはなんなの?」
青年はその髭面を始めて微妙に困ったように表情を変えて言う。
「……あなたが分からないならそれでいいが、人のことを思いやるという気持ちも持ってほしいということだ」
エメは初め、また何を言ったのか理解できなかったが、つまり「人に道を譲るというぐらいの嗜みを見せるのが貴族だ」と解釈した。
「……だったらちゃんと口でいってくれないとわからないわ!」
エメが振り返り言ったが、青年が「でも――」、と言いかけた時、エメは石に足を取られあっさりと小川へ転落した。派手な水音に悲鳴も漏れなかった。浅い小川に濡れたまま腰を着くエメは少し呆然としていると、目の前にきた大狼に目線を移した。口に白い手タオルを銜えてたからだ。
「いつまでもそんなところにいると風邪を引いてしまう。とりあえずそれで水気を取ってくれ」
「あ、あなたが、ここに、」
エメは恥かしいのか憤激したいのか自分でもわからない状態のままでうわ言をいい、狼からとりあえずタオルをひったくると小川から上がって服の水気を取った。ただそれだけで乾くほどのものじゃない。
エメはタオルを振り回すように近づいてきた青年に投げつけ、言う。
「あなたっ! 見ていたなら少しは助けようとは思わないの!」
「また無茶な。見てから行動できていたら既にしている。それよりあなたの状態が今問題じゃないのか?」
エメはとりあえず怒りながら濡れそぼった自身の姿見渡す。
ドレスは腰の帯まで濡れて重く、履き物から下着まで濡れていた。タオル一枚で足りるはずもない。こんな格好で屋敷に帰ったらきっと両親に全て聞かれるだろう。別に聞かれてもいいのだが、貴族でもなにもないただの狩人と話していた事実は伏せたかった。
そうエメは困っていると狩人当然のように言った。
「その格好ではご両親が心配される。この直先に僕の休憩小屋がある。そこで服を乾かすといい。変えの服もある」
それをエメは聞いて唖然とした。
目の前の青年、男性は女性を自身の家、さらに「小屋」に来いと誘ってきたのだ。無礼にもほどがあるしマナーを知っているならこんな発想すらないだろう。
「あなたは私のことをそんなところへ連れ込もうというの? あなたは常識というものがないわ」
「常識がないのは君だ。僕はマナーは知らない。家柄も知らない。だけど目の前で困っている君がいるということはわかる。なら助けるのが普通だ」
「……」
理屈が分かるがそんな考えをする人間にエメは初めて出会った。大きくため息をつくとどうしようもない気持ちになり、青年の提案を受け入れようと思った。
「分かったわ。案内して頂戴。それに荷物ぐらい持ってくれる常識はあるのでしょうね?」
「もちろん」
青年は軽く答えるとさっさと少女のバスケットを持つと口笛を吹き、大狼が二匹、前後護衛するかのようについてくる。
エメは道すがら情けないやら寒いやらで気分はすっかり落ち込んでいたが、そのせいかふいに疑問が口にでた。
「さっきあなたなにか言いかけたわね。何を言うとしたの?」
「『でも、分かっている事は変えられない』。そう言おうとした」
完結に言う青年の言う言葉はやはり理解出来ない。つくづくおかしな人物と出会ってしまったエメは落ち込んだ。
しかし、青年はエメの顔を見て初めて笑顔を見せた。
「でも、君に会いたいという気持ちは本当だ」
その言葉にエメどんな求婚よりも衝撃を覚え、顔を赤くした。そのまま無言で道を歩いたが、ある時狩人は泊まった。担いでいた弓を手に持って、ある方向、魔女がいるという森を見つめていた。
「どうしたの?」
二匹の狼もそちらを見ていたが狩人は「いや、気のせいだ」と言うと再び歩きだした。
エメは不審に思いながらもついていくと、畑が点在する隅に二階建ての木造の小さい家が見えてきた。
狩人に案内され、エメは埃臭く、汚い馬屋のような室内に眉を顰めるだけだった。
I cannot understand my hotness.