僕は…ブルマよりスク水が好きだ! | ひっぴーな日記

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よくわからないことを書いてます

大事なことなので三回言いました。

なんで面白回をまとめてやっちゃうかなぁw

というか今回のかなこさんの顔芸も素晴らしかったです。

しかしゴッド一体何歳なんだwあの描写昭和初期ぐらいじゃねw

ベルリンさんの履歴書が少しスルーさらたけど、そのあとのほのかちゃんの発言が原作と違っていたね。

原作
「ウッカリさんさんのウッカリ発言に勘違いした西ドイツ市民達…彼らが一斉に壁を越えようと―」

アニメ
「ウッカリさんさんのウッカリ発言に勘違いした東ドイツ市民達…彼らが一斉に壁を越えようと―」

えwどっちwwwwwwwwww
これどっちが誤植?w原作者?wアニメ?w世界史の選択問題じゃねーんだからw

なので少し調べてみた。

中略 こうして東ドイツ国内外での混乱が拡大すると、

中略
11月9日、「旅行許可の規制緩和」の政令案が東ドイツ政府首脳部に提案された。クレンツをはじめとする政府首脳部は国内のデモや国外に流出する東ドイツ市民への対応に追われ、また2日前の11月7日にヴィリー・シュトフ首相が解任されて、翌11月8日にハンス・モドロウを首相に任命することが決まったばかりの混乱の中であったため。大した審議もされず、政令の内容を確認したかも怪しい状態で、政府首脳部の審議を通過した。この政令の内容を発表する東ドイツ政府のスポークスマンであったギュンター・シャボウスキー(社会主義統一党政治局員)は、この会議には出席しておらず内容をよく把握しないまま、現地時間19時頃から記者会見を始めてしまった。

この記者会見場に詰め掛けたジャーナリストは当初半信半疑で、「(この政令は)いつから発効されるのですか?」と質問したところ、実際には翌日の11月10日の朝に発表することが決められていたにも関わらず、それを伝えられていなかった(文書に記載されていなかったとも、次の紙に書いてあったのを気が付かなかったとも言われている)シャボウスキーが「私の認識では直ちにです。」と発表した。このいわば爆弾発言を受けて、事態は急速な進展を見る。後に国境ゲート付近でゲートを越えようとする市民と、指令を受け取っていない警備隊との間で当該指令の実施をめぐるトラブルが起きることになった。又マスコミによって「旅行が自由化される」の部分だけが強調されてしまったことも混乱に拍車を掛けてしまった。

この記者会見の模様は夕方のニュース番組において生放送されていたが、これを見ていた東西両ベルリン市民は(ベルリンでは電波が当然にスピルオーバーとなる為、東西双方がお互いのテレビ番組を視聴することが可能であった)半信半疑で壁周辺に集まりだした。一方、国境警備隊は指令を受け取っておらず、報道も見ていなかったため対応できず、市内数カ所のゲート付近ではいざこざが起きはじめた。21時頃には東ベルリン側でゲートに詰めかける群衆が数万人にふくれあがった。門を開けるよう警備隊に要求し、やがて「開けろ」コールが地鳴りのように響く状況となった。

ふくれあがった群衆に、さして多くはない国境警備隊は太刀打ちできず、また現場にいない上官は責任逃れに終始したため、責任を押しつけられた現場の警備隊は対応に困り果てた。また同年の六四天安門事件の影響もあり、武力弾圧という手段はとうてい不可能で、事態を収拾する策は尽きていた。日付が変わる直前の0時前、ついに警備隊は群衆に屈し、ゲート開放が行われ、東西ベルリンの国境は開放されることになった。

本来の政令は、あくまでも「旅行許可の規制緩和」がその内容であって、東ベルリンから西ベルリンに行くには正規の許可証が必要であったが、混乱の中で許可証の所持は確認されることがなかったため、許可証を持たない東ドイツ市民は歓喜の中、大量に西ベルリンに雪崩れ込んだ。西ベルリンの市民も、騒ぎを聞いて歴史的瞬間を見ようとゲート付近に集まっており、抱き合ったり、一緒に踊ったり、あり合わせの紙吹雪をまき散らすなど、東ベルリン群衆を西ベルリン群衆が歓迎する様子が各所でみられた。この大騒ぎはそれから三日三晩続くことになる。数時間後の11月10日未明になると、どこからともなくハンマーや建築機械が持ち出され、「ベルリン市民」はそれらで壁の破壊作業をはじめた。壁は東側によって建設された東側の所有物であるが、東側から壁を壊していい旨の許可は一切出されていない。しかし数日後からは東側によって正式に壁の撤去が始まり、東西通行の自由の便宜が計られるようになった。


つまり正解は東ドイツ市民、だね。(でも説はたくさんあるので東西でも可)あれ、じゃぁ原作誤植じゃね?w