【鍼灸師としての「気」の捉え方】
――先人たちは身体を見ていた
現代において「気」という言葉を口にすると、
「非科学的だ」「怪しい」などと眉をひそめる人が少なくありません。
実際、気の概念を悪用し、詐欺まがいの行為に走る者も存在します。
そのため、我々鍼灸師が「気」を語るときには、誤解を恐れず、正しい理解と表現が不可欠だと感じています。
私たちが扱う「気」は、決して非現実的なものではありません。
むしろ、非常に現実的で具体的なものです。
わかりやすく言うならば、気とは「空気」と捉えることができます。
気は「空気」と考えると分かりやすい
たとえば、長時間換気をしていない部屋を思い浮かべてみてください。
部屋の隅々には、明らかに空気の澱みが生まれます。
湿気や埃が溜まり、空気の質が悪くなり、居心地の悪さを感じるでしょう。
この「空気の澱み」こそ、東洋医学で言うところの気滞や、気虚にあたるものだと私は考えています。
• 気滞:空気の流れが滞っている状態
• 気虚:空気の量そのものが足りない状態
身体も同じです。
新鮮な空気(酸素)が全身に行き渡らず、滞った場所では組織が弱り、病が生まれる。
流れが悪ければ炎症が起こり、冷えが起こり、痛みが生まれる。
これが、気の異常=病の発生という東洋医学の基本的な考え方です。
血、水、そして気の流れ
先人たちは気だけでなく、血(けつ)、そして**津液(しんえき=体内の水分)**の流れについても深く考えていました。
• 血が全身にバランスよく巡らなければ、栄養が行き届かず病が生じる。
• 汗や尿といった体液の流れが滞れば、体内に毒素が溜まり、やはり病気が発生する。
これらの考え方は、現代医学における血流障害やリンパ循環不全の概念と何ら変わりありません。
つまり、東洋医学における「気・血・水の流れの乱れ」は、現代医学で言う循環障害そのものなのです。
先人たちは解剖していた
さらに言うなら、私は断言します。
先人たちは必ず「解剖」をしていたと。
身体の中に
• 食物を一時的に溜め、消化の準備をする臓器(胃)
• 血を破壊し、老廃物を排泄する臓器(脾、腎、肝)
• 血を貯蔵し、再利用する臓器(肝)
これらを正確に知り、記述し、そして体系化していました。
見ていなければ、これほど精緻な体系を組み立てられるわけがありません。
「昔の人間だから見ていないはずだ」などという考え方こそ、非科学的です。
気と酸素、水冷の身体
現代に生きる私たちが「気」を扱うとき、
ただの「目に見えない力」として捉えるのではなく、酸素という極めて現実的なものとして理解すべきだと考えます。
酸素は、すべての生命活動の中心です。
しかし酸素は、同時に「身体を冷やす」という働きも持っています。
これは、エンジンで言えば水冷エンジンに似ています。
エネルギーを生み出すには、必ず「冷却」も必要なのです。
人間の身体も同様です。
とりわけ腎臓は、体内の水分を調整し、熱をコントロールする「水冷装置」としての役割を持っています。
気=酸素=空気=冷却と熱産生のバランス。
この視点に立つことで、「気」の存在は怪しいものでも、非科学的なものでもなく、
極めて現実的で、なおかつ非常に重要なものだと理解できるはずです。
最後に
鍼灸師は、気を語ることを恐れてはなりません。
怪しまれることを恐れて、科学のふりをする必要もありません。
本当に身体を知り、気を知った上で、
目の前の患者に何をすべきかを考え、施術すること。
それこそが、私たち鍼灸師がやるべきことだと、私は信じています。