つぶやきJIRO今日は、「知る人ぞ知る」渋沢栄一の雑学だよ。
ゆうこあまり聞かない名前だわね。
つぶやきJIRO「知る人ぞ知る」人だからね。
渋沢栄一は、生涯500社以上会社を設立したんだ。
つぶやきJIRO渋沢栄一は、1863年、24才の時、尊皇攘夷の思想に目覚め、横浜を焼き討ちにして、幕府を倒すという計画をたてるが、懸命な説得により中止する。
その後、一橋慶喜(後の徳川慶喜)に仕えたんだ。
パリ万国博覧会に将軍の名代として出席する慶喜の弟・徳川昭武の随員として、フランスを訪れた。各地で先進的な産業・軍備を実見すると共に、将校と商人が対等に交わる社会を見て感銘を受ける。
パリ万博とヨーロッパ各国訪問を終えた後、昭武はパリに留学するものの、大政奉還に伴い、慶応3年(1867年)に新政府から帰国を命じられ、12月に帰国した。
その後、大蔵省退官後、官僚時代に設立を指導していた第一国立銀行(現:みずほ銀行)の頭取、七十七国立銀行など多くの地方銀行設立を指導した。
この他、東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙、秩父セメント(現:太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績、三井銀行、王子製紙、日本郵船、石川島播磨重工、東京ガス、東京電力、東京海上など、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上といわれている。
このことから、「日本資本主義の父」とも呼ばれるんだ。
ゆうこ徳川慶喜の家臣に偉い人がいたのね。
つぶやきJIRO渋沢は、他の明治の財閥創始者と違い、「渋沢財閥」を作らなかったんだ。「私利を追わず公益を図る」との考えを、生涯に亘って貫き通したんだ。
大正5年(1916年)に『論語と算盤』を著し、「道徳経済合一説」という理念を打ち出した。
「 富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。」
の言葉に渋沢栄一の考えが出ているね。
つぶやきJIRO渋沢栄一は経済活動だけでなく、社会奉仕活動にも熱心だったんだ。
ゆうこそうなんだ。
つぶやきJIRO東京慈恵会、日本赤十字社、聖路加国際病院初代理事長なども歴任したんだよ。
商業教育にも力を入れ商法講習所(現一橋大学)・大倉商業学校(現東京経済大学)の設立に協力したんだ。女子教育にも熱心で、日本女子大学校・東京女学館の設立に携わっただ。
つぶやきJIROちょっと粋なのは、明治維新後「賊軍」扱いされていた、主君徳川慶喜の汚名を晴らそうと、栄一がみずから多額の費用を投じて『徳川慶喜公伝』(全八冊)を編纂したんだ。
明治維新後、徳川慶喜は賊軍の張本人のような扱いを受けていた。渋沢 栄一は慶喜が大政奉還に際して示した英知と英断がなかったら、明治維新は上手くいかなかったと思っていた。そのため、『徳川慶喜公伝』を編纂したんだよ。今でも、徳川慶喜を研究の参考書の一つになっているんだ。



