改めてよくよく考えたなら、変化のとき、というのは、大なり小なり何かしらの混乱が起こるもの、ですよね。
ましてや、人生を二分するくらいの(?)大きな変化に見舞われたなら、それはきっとそれなりの嵐……にならざるを得ない。
だから、そこに混乱や困難があって当然なのです。
なにせ、新しい段階に生まれ変わろうとしているのですから。
例えば、鶏の卵が割れて、そこからひよこちゃんが生まれようとしているときのことを考えてみてください。
ひよこちゃんにしてみれば、それまで自分を覆っていた殻を破る、というのは、それなりに危険が伴うだろうし(?)、恐怖も不安もあることでしょう(!?)。
でも、ひよこちゃんはその殻を破らなければ、この世には生まれてこられない。
殻を破る、というより、それまで自分を覆っていたものを破壊しなければ、この世に生まれてくることは出来ないのですよね。
ですから、わたくし達が新しい段階に生まれ変わろうとしているときも、それと全く同じだと思うのです。
おそらく、昨年の秋からずーっとわたくしを襲い続けている「嵐」は、このような段階を過ごしているからだと思うのです。
だから、こんなにも心も身体もしんどい。
でも、きっと ―― この状態を魂レヴェルで見たならば、わたくしのベースとなるところは何も決して揺らいでなどいなくって。
でも、こうして目に見える(?)表層面というのは大混乱、大嵐。
まぁ、それはある程度仕方がない、ということです。
でも、漸く……少しずつ、光が見えてまいりました。
昨日、「たまたま出逢った」……というか、「たまたま行き着いた先」にあった聖句が、Isiah 61:1-3 (イザヤ書、61章1節~3節)で、そこには、「捕らわれ人が解放される」みたいなことが書いてあって。
それを見た瞬間、わたくしはもうおいおいと泣き出してしまいました。
なぜなら、まさに今、わたくしはただただ神に解放をお願いしているところだったから。
<沢山沢山泣いたものだから、不織布のマスクがものすごく濡れてしまいましたわ(苦笑) >
でも、きっと――、たまたま、偶然にでも、Isaiah 61:1-3 に行き着いたということは、きっと、間もなく解放のときを迎えるのだと思うのです。そんなふうに思えただけでも本当に心救われました。
勿論、まだまだこれからも「生まれ変わるプロセス」は続いてゆくわけでしょうし、そこにはまだまだ混乱も困難も待っているかもしれません。
また先週みたいに身体を思いがけなく悪くして、それに打ちのめされるような思いに陥らざるを得ないかもしれない。
けれど、ひとつだけ確実にわかっていること、それは「もうこれ以上、このままでは居られない」ということ。
ここを去るために、ここを離れるために、踏むべきプロセスなら、多少しんどくても、大歓迎! です。
ひとが生まれるときも、亡くなるときも、それなりに痛みを伴いますから。
「新しく生まれ変わるためのプロセス」なら、喜んで受け入れます。
きっとこれからは、また、自分でも想像もつかない方法で、神様にうーんと遠くに連れてゆかれるような気がしております。
勿論、その先がわたくしが待ち望む場所であってほしいと心から望むけれど、でも、もうね、なんか、自分の願いとか夢とか、そんなのをぜーんぶ超えて、神様が起こされる大きな波に乗せられているような気さえしてまいりました。
きっともうこれからは、これまで居た次元では生きてゆけない。
そして、これからは、これまでとは全く違う次元で生きてゆかなければならない。
その移行のプロセスは勿論大変……!! なのだけれど、でも、全ては神の御恵みと思えば、謙虚に受け入れざるを得ない。
というか、こうしたプロセス(たとえ、それが嵐のようなものであったとしても)を経験させていただけることも、また、生かされているからこそ与えられる御恵み。
そう思うなら、なんとか乗り越えてゆけそうな気がいたします。
とにかく、ひとは……というか、わたくし達の魂は永遠に成長してゆくしかないのです。
その節目節目で生じる「生まれ変わりのプロセス」に痛みが伴うのは、ここで改めて言うまでもないことです。
その全てを、わたくし達は謹んで、謙虚に受け入れて行かざるを得ないのだと思います。
どうか、そうしたプロセスにいらっしゃる全てのかたに、神のご加護とお導きとお支えがありますように。
神と共に在れば、何も心配することはありません。
きっと、きっと、大丈夫です。
不安を感じても、決して光を見失うことなく、お強く在られてくださいね。
God bless you!!
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女性起業家のための直観コンサルタント 夢咲璃い(ゆめさき りい)オフィシャルウェブサイト