よく考えたら、今のわたくしは日本の方々とよりも、外国の方々宛に連絡をとることが圧倒的に多いです。
やり取りをさせていただく順番で言うなら、いちばんお親しくさせていただいている外国のお友達とのやり取りがやはりいちばん多くて、その次に身近なベトナムの方々、そして、その次に東京のお友達、神戸のお友達……という順番かしら?
そんなこんなで、日々怒涛のように英語とベトナム語でメッセージをお送りしているのですが、まぁ、これも、ここ2ヶ月ほど自由な暮らしをさせていただいているから、でしょう。
でも、そうでなくても、やはり彼ら彼女らとのやり取りは頻繁だったりする。
ベトナム語でメッセージを送らない日のほうがないくらい!?
でも、未だに翻訳アプリ頼み、なんですけれどもね。
外国の方々とのお付き合いは、やはり日本のかたとのそれとは違い、言い回しや表現、その他、何をどのようにお伝えするか? という点も含めて、いろいろと自然と気を遣わざるを得ません。
具体的に言うなら、こういう投げかけをしたほうが、お相手のかたがお返事をなさりやすいかな? とか。
時には、相手のお国柄や文化、習慣、ものの考え方、嗜好、今、現地で何が流行っているのか、とか、はたまた親子関係、親戚関係、ときには教育制度、警察制度、国家観、社会構造に至るまで、その場でざっとでも調べてメッセージをお送りするのは、集中力と臨機応変さが求められますし、何よりもそうすることで少しずつお相手のお国のことや、お相手のかたのことへの理解も進み、ずっとドメスティックに生きてきたわたくしにはかけがえのない異文化への学びの機会となっております。
でも、これは国籍問わず、民族問わず、のことですが、やはり根底にお相手のかたへの敬意と申しますか、おひととしての愛情(それが友情と呼ばれるものであったとしても)は必要ですよね?
お国柄が違うと、前述のような心配りがないと、ちょっとした行き違いなどから、誤解を生んでしまい、それが原因でお相手のかたを傷つけてしまうこともあるかもしれないし、そこらへんはかなり気を遣います。
ただ、一概に「〇〇人(じん)」と言っても個人差はそれぞれあるので、そこらへんもちゃんと考えていかなければなりませんけれどもね。
要は、お相手の方々の様々な背景をちゃんと考慮しながらも、今、目の前に居る御方のお言葉やお振舞いを拝見し、そこから何が必要なのかを先んじて読み取っていく力が必要かと。
まぁ、これは同国人(どうこくじん)間(かん)でのコミュニケーションでも必要なことですが。
そしてーーこんなことを書くと大層おこがましいとお思いになられるかもしれませんが、やっぱりせっかくご縁をいただいたかたにとって、この存在(=わたくし)が出来るだけ光となれるように、とは、どなたに対してもつねにそう思っております。
だってせっかくご一緒させていただけるのなら、やはりお相手のかたにとって、自分が何か、お相手のかたに明るいよきものを贈り続けることが出来るような関係性でいたいじゃないですか?
そのためには、やっぱり、可能な範囲内でだけれど(※それぞれ、おひとによって、ここまでならプライヴェートに踏み込んでも(?)いいだろう、という許容範囲がありますので)、そのかたの日常にも配慮し、そのかたが今、何を必要としておられるのか、こちらから汲み取っていくことが大事かな? とわたくしは思います。
そして、何よりも大事なこと、それはやっぱりお相手のかたのお幸せをつねにお祈り申し上げていること、かな?
具体的に言うなら(?)お相手のかたのお心にいつも光がありますように、ということ、そして、いつもお心に希望の歌が優しく流れていますように、ということ。
もし自分がそのための一助となれるなら、ご縁をいただいた者としてこれ以上うれしいことはありません。
そんなこんなで、これからも日々、それぞれの御方のご性格などを大切に理解させていただきつつ、おひとりおひとりとのご縁をよりよい形で紡いでゆけたら、と願うばかりでございます。
ありがとうございます。
God bless you!
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最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。
● 夢咲璃い(ゆめさき りい) 本気で社会貢献を志す女性起業家のための直観コンサルタント