どんな偉業も、ひとつひとつの小さなプロセスの積み重ねです。
最近になってやっと……生まれて初めてかなぁ……、やっと、プロセスが何よりも大事、ということが身にしみてわかってまいりました。
というか、やっとハラに落ちたというか、得心したというか。
勿論、ビジネスにおいては結果が全て、とは、よく言われるところのこと、です。
でも、スピリチュアル的に物事を見るなら、何よりも大事なのは、その一瞬一瞬において、自分がどう生きているか、何を選び、何を考え、何を志向し、どう振舞っているか、全てはそこに尽きるんですね。
スピ的に物事を見るとき、結果というのは、あくまでも副次的についてくるものでしかなくって。
それよりも、一瞬一瞬をどれだけ大切に生きたか、そこに愛があったか、どれだけ懸命に生きたか、どれだけその一瞬一瞬を慈しむように生きたか、どれだけ生きることを楽しめたか? といったことのほうがものすごーく大事、なんです。
それは、スピ的な生き方を突き詰めて(?)ゆくなら、誰もが必ず通る課題的なもの、です。
結果がどうあろうと、わたくしは神を信じ、神様の義の御為に生きます、そこまで言えると立派なのですが、
たとえその境地に辿り着けずとも、その時々の自分なりに、神様とご一緒に誠実に生きようとするなら、必ず、神様が助けてくださいますし、必ず、ことをよくしてくださいます。
それは、まさに最強の力、なんですよ。
将来が不安で、誰かや何かに頼ろうとしたり、すがるくらいなら、いちばんに真っ先に神様のおもとに、御前にゆけばよろしいのです。
そして、跪いて祈るなら、必ず神様は助けてくださいます。
大体わたくし達は神様の愛の深さ、大きさ、豊かさ、強さ、規模の大きさを知らなさすぎる(笑)
だから、つい疑心暗鬼にもなるし、神様なんて居ないとすら思っちゃうひとが出てくるわけです。
でも、そうではなくって。
キリスト教的に物事を言うなら、神様は大切なご自身の愛(め)ぐし子、イエス様をこの世に遣わせてくださいました。
そして、イエス様はわたくし達の罪を背負って、十字架に架けられ、「お亡くなりになってくださった」んです。
のちにイエス様は天へと引き上げられますが、それでも、その過程(イエス様が死に至られるまでの過程)においては、どれほどのおかなしみやおくるしみがあったことか。
さぞ天のお父さまも胸を痛められたことでございましょう。
聖母マリアさまのお嘆きは察するに余りあります。
でも、それほどまでに、神様はわたくし達を愛し、そして、許していてくださるのですね。
それ以上の愛がありましょうか?
大切な我が子を犠牲にしてまでも、神様はわたくし達に尊い、聖なる愛をお示しくださった。
これほどまでにありがたいことはないと、キリスト教では言われています。
(というのが、わたくしとしてのキリスト教の解釈です)
ですので、わたくし達ももっともっと自分を愛して許していかないと。
これはただ闇雲に自分を甘やかす、ということとは違います。
そうではなくって、自分という魂に敬意を持ち、大切な愛する我が子に接するように、日々自分に接していくこと。
そこから全てが始まるし、生きてゆくうえで、自分を愛し、尊重し、自分に対して誠実に生きてゆくことって、本当にとても大事なことなんです。
そして、その大切な、かけがえのない自分の人生を素晴らしい作品にしていくためには、一歩一歩、その時々に出来ることに「献身」するがごとく、生きてゆくしかないんですよ。
そうやってしか、わたくし達は生きられないんです。
そして、そのひとつひとつの積み重ねに、溢れんばかりの愛を注いでゆくなら、どれほど人生が輝くものとなりましょうか?
そこには絶対の希望があるのですね。
揺るがない希望。
それは、天の愛を信じ、神様の愛を信じ、自分の中にいらっしゃる神様を信じるということです。
どんなときも、一歩一歩、その一瞬一瞬を大切に。
これからも、まずは自分に対して誠実に、生きてまいりましょうね。
God bless you!
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最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。
● 夢咲璃い(ゆめさき りい) 女性リーダー・女性起業家のための直観コンサルタント