Martyn CookによるPixabayからの画像
昨夜、音楽家・坂本龍一さんのご訃報を知り、言葉を失いました。
今日の日中、わたくしの音声メッセージプログラム「夢咲璃いのひかりの時間」でも「教授」のご逝去についてお話しさせていただきましたが、
時間が経つにつれ、じわじわとそのかなしみが深くなっていっております。
上記リンク先にある音声メッセージでもお話しいたしましたように、わたくしは特別彼のファンというわけでもありませんでした。
おそらく世間一般の多くの方々ーー特に彼のファンではない、でも、彼のことを知っている方々ーーと同じくらいに、彼のことを存じ上げている、普通の日本人のひとりだと自分では思っております。
でも、この喪失感は一体なんなのでしょう?
昨夜からずっと彼の音楽を聴いておりますが、聴けば聴くほど、そして、本当に「今更ながら」彼の偉大さ……というか、存在の大きさを感じざるを得ないのです。
特にショック……なのは、自分が若い頃からメディアに登場しておられたアーティストのおひとりが、そして、それほどお年を召されたようにも感じていなかった御方が、ご病気でご逝去されたこと、その事実がわたくしを打ちのめしております。
彼は確かに71歳という、もう充分「お年寄り」と申し上げてもよいご年齢の御方ではございましたが、今の時代、71歳というご年齢はまだまだ「お若く」そして、何よりもーー、彼は年齢を超越した魅力をお持ちのかたでいらっしゃいました。
わたくしの中では、「坂本龍一さん」というと、「音楽家」「作曲家」「アーティスト」というよりも、今でもいちばん印象に残っているのがーーご逝去されたばかりの御方のことについて、ミーハーな物言いをするのは大変恐縮なのですがーー、ひとりの男性としてとても魅力的な方だと感じていたことでした。
単純に言えば、子どもの頃、彼を多分テレビで初めてお見かけして、「なんて美しいひとなんだろう!」と思った、そのときの鮮やかな印象がずっとわたくしの心の底にはあったのです。
その思いは今も変わりません。
勿論、わたくしは今も三浦春馬さんの大ファンですし、明後日に迫った彼の33回目のお誕生日も大切にお祝いさせていただくつもりでおります。
ですから、わたくしにとって、「大好きな有名人さん」と言えば、勿論、今も「春馬くん!!」なのですが。
(自らの年齢も顧みず、このような物言い、失礼をお許しくださいませ)
でも、坂本龍一さん、「教授」は、なんというかーー、年齢を超えた、本当に「71歳」というご年齢もただの記号、いや、それ以前に、そんなお年など全く「吹っ飛んでしまうほど」の存在感、強烈な魅力を持った御方だったのだと改めて再認識いたしておる次第でございます。
その証拠に、この記事でも、わたくしはずっと「教授」のことを「坂本さん」とか「坂本龍一さん」と書いておりません。
(冒頭の一分を除き)
そう、彼には「彼」という表現がぴったりくる、そうとしか思えないのです。
彼のファンでもなんでもなかったし、ただ世間一般の、人並みに彼のことを知っていただけで、特別彼の音楽を愛していたわけでもなんでもないのに、なんなのでしょう、この強烈な喪失感は。
自分でも茫然自失、でございます。
彼のご逝去については、わかりやすく例えるなら、年上の、遠い親戚の「お兄さん」が亡くなられた、そんな感じ、です。
たまに逢ってお話しさせていただく、でも、そのときはとても楽しい時間を共有させていただくことが出来た、そんなふうに、沢山ではないけれど、人生の随所随所でお逢いしてはあたたかな記憶をご一緒に積み重ねてきたかた、わたくしにとって「教授」は今、まるでそんな御方のように感じられまます。
これまで、わたくしは特段彼のことについて触れたこともございませんでした。
それはプライヴェートでも、この夢咲璃いとしての活動においても、で同じす。
でも、やっぱりかの有名な「戦場のメリークリスマス」は当然存じ上げておりますし、"energy flow" も当然存じ上げてはおりました。
でも、「本当にそれくらい」で、他は全くと言っていいくらい、彼の作品の数々を存じ上げていたわけでもなく。
あ、「君に、胸キュン。」はリアルタイムで存じ上げてはおりましたけれどもね。
でも、それもわたくしが小学校6年生くらいの頃のお話です。
ものすごく昔、です。
そう、もう40年ほど前のお話、なんです。
なのに、この喪失感、「穴がぽっかり空いた感」は一体なんなのでしょう?
今は彼の "aqua" をずっと延々繰り返し再生しながら、この記事を書いています。
今日はあまり体調がすぐれず、殆ど寝て過ごしていたのですが、それでも、どうしても彼のことを記事にしてからでないと寝られない……と思い、今も実際しんどいのですが、この記事を書いております。
もしかして、春馬くんと同じように、わたくしはこれから、「坂本龍一さん」という偉大な音楽家が遺してゆかれたものに少しずつ出逢ってゆくことになるのかもしれません。
だって、今、聴いている aqua も本当に優しいんですもの。
なんというやすらぎ、心地よさ、あたたかさ。
これからのわたくしは、彼の音楽の素晴らしさについて、これまでちゃんと認識してこなかったことを、春馬くんのときと同じように悔やむことになるのでしょうか?
なんだかなぁ……、ご逝去を機に、そのひととなりを、そして、そのかたが遺してゆかれたお作品の数々を知る、というのは春馬くんひとりで十分だと思っていたんだけれどなぁ……。
このままでは、「教授」についても同じことになりそうです。
ただ、ひとつ、これまで「お見送りさせていただいてきた方々」と違うとはっきり感じているのは、わたくしは「教授」に対しては「ご冥福をお祈りいたします」という、こういうときの決まり文句を申し上げたくはない、ということです。
だって、「彼」は既に新しい世界での更なる活躍を覚悟して、この世を旅立たれたと思うから。
そんな御方に「安らかにお眠りください」などとは、よう申せません。
勿論、長年に渡る、晩年の彼の闘病生活を伝え聞く身としては、やっとおくるしみから解放されて、そのことについては、勝手ながら、安堵する思いでおります。
でも、やはり「音楽家・坂本龍一さん」には、「ご冥福を」も "Rest In Peace" も似合わない。
彼の魂は、次の新しい世界で更なるご活躍をなさるだろうから。
大真面目にわたくしにはそうとしか思えないのです。
ですので、もし、わたくしが「彼」をお見送りする際に申し上げるなら、「今まで、この世でご活躍してくださって、本当にありがとうございました」、かな?
そして、「沢山の素晴らしい音楽を遺してくださった、日本を代表する、偉大な、"世界のサカモト" でいらしてくださったこと、同じ日本人のひとりとして、誇りに思います」、ともお伝えさせていただきたい。
勿論、彼ほどの偉大なる魂さんを失ったことはとても寂しいし、かなしいことだけれど、でも、なんというか、わたくしには「彼」は「ご逝去」というよりも、まさに「新しい世界に旅立たれた」という表現がぴったりだと思えてならないのです。
たとえ重い病がゆえにご逝去されたのだとしても、今も彼の魂さんは生き生きとされていて、肉体がもたらすおくるしみから解放されて、本来の力を取り戻された……くらいに思っております。
春馬くんのことがあって以来、わたくしにとりまして、所謂「死」は、なんというか、とても身近なものになりました。
勿論、おひとがこの世から去られることは、とてもとてもかなしいことです。
お寂しいことです。
今でこそ、もう春馬くんのご逝去について泣くこともほぼなくなりましたが、彼が旅立たれてから暫くーー半年ほどの間は、しょっちゅう泣いておりました。
それくらい、彼の「突然のご逝去」はわたくしにとって、とてもとても大きなかなしみでした。
でも、あれから、竹内結子さんや、神田沙也加さん、安部元総理、ゴルバチョフさん、エリザベス女王二世陛下、最近では毎日放送のアナウンサーさんでいらした高井美紀さん、そうした方々をお見送りしても、なんというか、あまりこの世とあの世との距離をそんなに感じなくなりました。
なんというか、「死」は「生」の延長線上にあるものであり、それはまさしく「新しい世界への旅立ち」だと思うからです。
勿論、この世でのお身体が無くなり、二度とこの世でそのかたのお姿を拝見出来ないこと、お声を聴くことも叶わないことは途方もないかなしみです。
でも、「教授」も含め、皆さんはそれぞれ、たとえ肉体は失われても、魂は永遠に生き続けていらっしゃるはずだし、お姿が見えなくなったとしても、魂さんとしてのご存在は、いつでもーーたとえ、自分が今、この世に居ても、感じることは出来ると思うんですよね。
ですから、わたくしにとりまして、「死」はあくまでも、魂の旅路における、ひとつの通過点、という認識です。
「教授」も長年の大変なご闘病生活をやっと終わられて、今はやれやれ……と一息ついていらっしゃる段階なのではないか? と。
それにしてもーー、これはサイキックとして感じることなのですが、「彼」ほど十分この世を生き切った、というかたも、また珍しいのではないか? そう思います。
大抵、おひとは何らかの後悔を残してこの世を去られるかたが殆どだと思いますが、わたくしの霊的感覚では、おそらく「教授」は今回の人生を十分生き切った、そうお感じになっておられると思うし、実際そうだと思うのですよね。
それはそれは見事に。
勿論、晩年はご病気にくるしまれ、思うようにご活動なされないことへの葛藤がおありだったかもしれません。
でも、やはり、わたくしには、「教授」は見事に今回の人生を生き切られた、そう強く感じます。
そういう点においては、ますます彼を見習わなければ、そうも思います。
でも、これからーーなのかな?、というのも、今後、様々なメディアでいろいろと彼の追悼特集などが組まれることでしょうから、そこで初めて「彼」のご逝去を寂しく思い、かなしみに浸ることになるのかな? と。
今はまだ旅立たればかりで実感はないけれど。
でも、わたくしの中で感じられる「教授」は、たとえこの世を去られても、変わらず素敵でかっこよく、どこまでも「音楽家・坂本龍一」のままでいらっしゃるように思えます。
本当に素敵な、そして、とても魅力的な御方でいらっしゃいました。
ご遺族の方々、そして、彼と近しい関係に在られた方々、そして、彼と彼の音楽を愛する全ての方々にとって、彼のご逝去は耐え難いおかなしみに違いありません。
そのおかなしみに、わたくしもそっと寄り添わさせていただければと存じます。
そして、「教授」、「彼」が新しい世界でまた生き生きと更なるご活躍をなさることを願ってやみません。
でも、今は、とにかく、長いご闘病生活、本当におつかれさまでございました、ですね。
それ以外の言葉は、要らないとさえ思います。
それほど、彼のご闘病生活は過酷だったようでございますし……。
たとえ「彼」、「教授」がこの世から居なくなられても、彼の音楽はいつまでも人々に愛され、人々の心に、いえ、魂に何らかの影響をもたらし続けることでしょう。
わたくしも今夜はずっと aqua を繰り返しかけて、眠りにつきたいと思います。
「教授」、71年間の人生、本当におつかれさまでございました。
そして、貴方のような偉大な音楽家と同時代を生きられたことに心から感謝申し上げます。
本当に、本当に、ありがとうございました。
偉大なる音楽家、坂本龍一さんの人生に心からの敬意を表して。
夢咲璃い 拝
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最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。
● 夢咲璃い(ゆめさき りい) 女性起業家のための直観コンサルタント