大変ありがたいことに、わたくしには起業家さんのお知り合いやお友達さんがそれなりのご人数、いらしてくださいます。
その中でも、かれこれ20年以上ずっと貴重なご縁をいただいている方が前田珠希(たまき)さんとおっしゃる、わたくしにとっては大切なお姉さまのおひとりでいらっしゃいます。
珠希さんに初めてお逢いしたのは、わたくしがまだ正社員だった頃。
記憶が正しければ、おそらく29、30歳の頃、丁度1999年か2000年くらいのことだったのではないか? と存じます。
当時、正社員として働かせていただいておりました御会社で、わたくしは月に一度、定期的に、外部の会合に参加させていただいておりました。
そのときによく、滋賀県大津市の膳所(ぜぜ)に行っておりまして。
その膳所の街には「ときめき坂(ざか)」と呼ばれる坂があるのですが、そちらで当時、珠希さんはとっても可愛らしい、素敵なクレープ屋さんを開いておられたのです。
そこに会議の行きかえりに立ち寄らせていただくことがよくございまして。
それが珠希さんとの最初の出逢いでした。
その後、珠希さんが紅茶がメインのカフェを開かれてからは、今度はそちらさまにお伺いさせていただくようになり、それはそれはもうしょっちゅう入り浸っておりました。
最初はお客さんとして通わせていただいていただけでございましたが、いつしかそれ以上にお親しくさせていただくようになり……。
わたくしが2007年滋賀を去り、箱根に働きに行かせていただいた頃には、いろいろとわたくしのプライヴェートなことにつきましても、ご相談にのっていただいたりするようになっておりました。
その後も大阪に持っていらしたお店さまにお伺いさせていただいたり、様々な紆余曲折を経て、大変ありがたいことに今も珠希さんとは貴重なご縁をいただいております。
わたくしにとり、珠希さんはお姉さまのようなご存在のおひとりであり、また、起業家さんとしての大先輩でもいらっしゃいます。
珠希さんは、とにかく純粋でひたむきな、ものすごい努力家さんでいらして。
そして、年下のわたくしなどがこんなふうに申し上げるのは大変恐縮ではございますが、とってもお可愛らしい面もお持ちでいらっしゃる方でございます。
そして、何よりも、ものすごく芯のお強い御方でいらっしゃいます。
珠希さんのお強さにつきましては、わたくしには本当に尊敬の念しかありません。
そして、何よりもーー珠希さんがプロデュースなさっておられるお茶も、そして、かつてお店でいただいていた様々なメニューも、どれも本当に本当に……! おいしいんです❤
なんというか、忘れられない味、なんですよね。
それも、とてもほっこりできる……というか、まるで実のお姉さんがつくってくれたかのような。
それくらい、どこか懐かしくあたたかく、安心出来るお味なんです。
わたくしは、もう長らく、珠希さんが手作りしてくださったお料理をいただいてはおりませんが、今でも珠希さんの、とってもほっこりできるあたたかなお味を覚えております。
それくらい、本当に本当においしいんです。
今、珠希さんは福井県の美浜町(みはまちょう)を拠点に、お紅茶のお仕事をなさっておられます。
そこには、かつてお店さまでいろいろといただいていた、大変懐かしいお味のお紅茶が沢山ございます。
今でも、珠希さんのお紅茶の商品名を拝読しているだけで、当時の懐かしくあたたかくおいしい記憶が蘇(よみがえ)ってまいります。
だって、それくらい、わたくしは常連客(のひとり)でございましたから。本当に本当においしいんですよ。
っていうか、「おいしい」というよりも、とっても心満たされる、素晴らしいお味、なんですよね。
世の中には沢山のお紅茶のお店さまがございます。
勿論、どのお店さまにもそれぞれにコンセプトがおありでいらして、なおかつ、それぞれに魂をこめてお仕事をなさっておられることかと存じます。
それは皆さま、お商売をなさっておられる方々なら、ご一緒だと存じます。
でも、わたくしはやっぱり珠希さんのお紅茶が特別に思えてならない。
そこには、珠希さんの「紅茶は、人とひとをつなぐ。」という愛と深い祈りがこめられているからだと、わたくしは思うんです。
最初、わたくしが珠希さんとご縁をいただけたのも、珠希さんがつくってくださった、とってもおいしいクレープがきっかけでございました。
そして、その後、お紅茶がメインのカフェさまに通わせていただくことを通じて、更にそのご縁を深めさせていただくことが出来ました。
まさに「紅茶は、人とひとをつなぐ。」です。
それは、前述のとおり、珠希さんがプロデュースしてこられたお紅茶がとってもおいしかったから。
そして、それは(何度も繰り返しになりますが)単においしいだけじゃない。
「本当に、おいしい!」んです。
魂まで癒される、満たされる、それくらい、珠希さんのあたたかな愛が、祈りが、こめられている。
わたくしは、珠希さんがご提供してくださるお紅茶やクレープやガレットなどをいただく度に、元気をいただき、癒しをいただき、笑顔にしていただいてまいりました。
それはきっと珠希さんご自身のお気持ちが、生き方が、お志が、珠希さんのお仕事の全てに、その隅々にまで行き渡っていたからだと存じます。
それくらい、本当にこの御方は自らのお仕事に人生を懸(か)けてこられました。
全身全霊をかけてこられました。
だから、そこに感動があり、癒しがあり、わたくしは、明日への活力をいただいてこられたのです。
わたくしの人生の底は2004年の夏。
この時ばかりは本当にどん底もどん底、絶望を通り越して、ただこの世に存在しているのがやっと、でございました。
つい先月も死にそうになりましたが(苦笑)。
あれはあまりにも感情が高ぶり、くるしみと怒りのあまり、絶望を突き抜けた感じでしたが、2004年の夏は、本当に生きる気力が底をついてしまい、ただこの世に存在しているだけで、中身は全くの空っぽ。
死にたくても死ねないくらい、エネルギーが全く残っておりませんでした。
そんなときに奇跡的にたまたま素晴らしい上司のかた(後にこのかたはわたくしの「命の恩人のおひとり」となってくださる御方です)のいらっしゃるオフィスにご縁をいただき、それがまた、珠希さんがいらっしゃった大津の膳所(ぜぜ)でございました。
当時のわたくしは本当にボロボロもボロボロ、そんなときでも、珠希さんや他のスタッフさんが見せてくださる笑顔や、お店さまの本当にあたたかくお優しい雰囲気を求めて、お店さまに通わせていただいておりました。
その中で徐々に生きる力を取り戻していったんです。
あのときご一緒させていただいていた上司の方が本当に素晴らしくあたたかなかたでいらした、ということも勿論あるのですが、珠希さんや他のスタッフさんがいらっしゃる、あのお店さまとのご縁があったことも、わたくしがその後なんとか少しずつ力を取り戻してゆくことが出来た理由のひとつでございました。
なにせ、当時、あのお店さまのことを、わたくしは大変あつかましくも「膳所の実家」とまで申しておりましたからね☆彡
それくらい、あのお店さまが、わたくしには生きるよすがでございました。
今も珠希さんが今もお紅茶のビジネスを続けていてくださいますこと、これはわたくしにとりましても、人生の喜びのひとつでございます。
ふと振り返ったときに優しく励ましてくれる、聖なる蝋燭(ろうそく)のあかりのような、そんなふうにさえ思っております。
その珠希さんの Instagram の アカウント がこちらでいらっしゃいます。
オリジナル紅茶 & ティーイベント
Precious Precious(プレシャス プレシャス)さま
Precious Preciousさま とおっしゃる珠希さんのお紅茶のブランド、こちらさまはお名前のとおり、まさに Precious なブランドでいらっしゃいます。
珠希さんはご自身のお店さまのサイト内の御文章に、こんなことを書いていらっしゃいます。
“紅茶をきっかけにした、そんな「つながり」こそが precious(プレシャス)なんだ。”
どうぞより多くの Precious な方々のおもとに、珠希さんの Precious なお紅茶が届いてゆきますように。
そして、いつまでも珠希さんが、愛と喜びのうちに、この Precious Preciousさま を続けていってくださいますように。
これはわたくしの今年最後の祈りのひとつでもございます。
ご縁を感じられたかたがいらっしゃいましたら、是非、一度、Pecious Precious さまのアカウントをご覧になってみられてくださいませね。
きっと何かよきものを感じていただけることかと存じます。
オリジナル紅茶 & ティーイベント
Precious Precious(プレシャス プレシャス)さま
最後に、珠希さん、珠希お姉さま、貴重なご縁をいただいておりますこと、本当に心から深く感謝申し上げます。
本当に本当にありがとうございます!
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最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。
● 夢咲璃い(ゆめさき りい) 本気で社会貢献を志す女性起業家のための直観コンサルタント