ブログテーマ 『光の道をゆく』(2014年) では、以前、Puboo(パブ―)さん というサイトで、無料にて公開しておりました、電子書籍『光の道をゆく』の内容を順次掲載していっております。

 

なお、『光の道をゆく』の目次一覧につきましては、こちらの記事をご覧くださいませ。

 

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時に、人生というのは、とんでもなく理不尽なことを叩きつけることがあります。
それも、「えっ!?どうして、今?」というような絶妙のタイミングで。

ハリウッド映画も真っ青の「奇想天外なストーリー」(!)、それも、人一倍「ドラマチックな筋書き」を書いて生まれてきたらしいわたくしの人生、以前みていただいた星占い師さんも思わず苦笑いなさるほどの「とんでもなさ」、「スリリングさ」らしいです。
——てなわけで、わたくしの人生、まるでジェットコースターが延々続いているかのような、そんな感じです。

でも、こんな人生(笑)、誰かをうらんでも、どうにもなりません。
なんせ、生まれる前に、散々神様と打ち合わせを重ねに重ね、練り上げたストーリーですからね。
それも、想像するに、きっと本人(このアタクシです!)が嬉々として、マゾヒスティックなまでに、「波瀾万丈」を好んで、そうした要素を、これでもか! これでもか! と沢山詰め込んだはず・・・・・・。
だから、誰もうらめない。
そう、全部「自己責任」なんです。

とは言え、こんなわたくしでも、やはり、自分の「人生の重荷」にひぃこらひぃこら言いまくってまいりまして、何度投げ出しそうになったことか。
あ、いや、「投げ出す」なんて言っても、実際に投げ出そうとすることはありませんよ。今は、もう。

でも、2004年に「人生の恩人」である暖かな上司の方にお出逢いするまでは、ほんと、消え入りそうになりながらも、なんとかなんとか生き延びてきた、って感じでしたので、それまでのわたくしは、ほんと、何度投げ出しそうになったことか。
今振り返っても、よく生き延びてきたなぁ、と思うのが正直なところです。

で、今も、相変わらず、後生大事に「人生の重荷」を背負い続けているわけなのですが、もう、これは、わたくしにとって十字架みたいなもので、「どーしよーもない」んですよね。
ま、それでも、これから、次の春に向けて、ある目標に向けて頑張ろうとは思っています。

だから、決してあきらめたわけじゃないけれど。
でも、やはり、この「重荷」は、本当にどーしーよーもない。
てなわけで、未だに、なんとか、それを背負い続けているのですね。

これまで、わたくしは、なんとかしてこの「重荷」をどうにかしようと、いろいろとあがき、もがき、たたかってまいりました。
でも、最近は、それも、もう、いいかなって、思います。
この「もう、いいかな」っていうのは、決してあきらめたわけじゃなくって、もう、開き直り。
こういう運命を選んで生まれてきたのも自分なんだし、それに未だにくるしんでいるのも自分。
でも、これがわたくしの人生の全てじゃないっていうか・・・・・・。

勿論、その「渦中」にいるときは、未だに「発狂しそうにさえ」なりますよ。
こう見えて、もともとものすごーく激しい性格の持ち主なので、ひとたび怒り狂うと、どうしようもなくなる。
攻撃されたときのダメージだって半端ない。
で、そうしたときは、ついつい、まるで、それらが「人生の大部分を占める」ことになってしまいがち、だったりするのだけれど、でも、本当のところはそうじゃないし、それに、よく言われるように「これからの未来」は、わたくしの選択いかんで、どうにでもなってゆくはず、なんですよね。

つらくなって、大きい空を眺められるところに、ひとり、やってくると、(こちらは滋賀の片田舎ですので、一面田んぼの、お空がとっても広いところがあるんです)、それまで心にあったものが、すいーっとお空に吸い込まれていって、なんだか、心が軽くなる。
そして、遠くの山々なんかを眺めているうちに、だんだん元気が出てくるわけです。

遠い山々を眺め、お空を見上げ、その上をゆく飛行機なんかを目で追っかけていると、早くここを出て、大空を飛んでゆこう! って、新たな希望が生まれてくる。
そんなふうに、わたくしは、これまで、なんとか、なんとか、気を紛らわせながら、ここまでやってまいりました。

人生の困難や不幸、重荷なんかは、逃げることは出来ないかもしれないけれど、でも、逃げることが可能なら逃げたらいいと思うし(時と場合によるけれど)、それに、そうしたものに真正面からぶつかって、玉砕することがよし、でもないんですよね。
上手に、騙し騙し、心をなんとかフラットに保ちながら、頑張るときは頑張る、でも、それ以外は休み休み、で、わたくしはいいと思うんです。

高い山だって、いきなりメインのコースを がしがし のぼろうとするとすぐに疲れて、体力を消耗してしまうかもしれない。
でも、急いでお山をのぼらず、登山口でちょっと休んで待っていたら、思いがけないことに、ヘリコプターで山頂まで運んでいただけるようになるかもしれないじゃないですか!?
――まあ、そんなことは滅多にありませんが、でも、なんでもかんでも真正面からぶつかっていくのがよし、ではないと思うんです。

困難という名の壁だって、体当たりしたらそれで終わり、かもしれない。
けれど、なんとか横道を探す・・・・・・というか、抜け道を探して、周囲をうろうろしているうちに、思わぬルートが見つかるかもしれないし、緩やかな脇道をゆっくりとでものぼってゆけば、気がつけば、いつの間にか、その壁自体が消えてなくなっているかもしれない。
なんでも、必死に、ど真剣に真正面から体当たりすることはないとわたくしは思うのですよ。

困難や不幸、重荷、そういったものが手強ければ手強いほど、長期戦になる。
ならば、真正面からぶつかって、力を消耗して、へなへなと動けなくなってしまうのではなく、ゆっくりと時間をかけて、ときに気を紛らわせながら、出来るだけ「普通の毎日」、ごくごく当たり前の日常を、可能な範囲内でいいから、保つように心がけて、日々のことを淡々とこなしながら、ゆっくりと時間をかけて乗り越えていったらいいと思うんです。
それにね、自分ひとりで頑張れなかったら、神様や仏様、イエス様やマリア様など、様々な聖なる方々のお力をお借りしたらよいと、わたくしは思うのです。

昔、まだまだ若かった頃のわたくしはストイック過ぎたのでしょう、自分以外の何かの力を借りようだなんて、そんなの甘い! 出来るところまで、まずは、必死で自分で頑張れ!! だなんて思っていました。
でも、自分自身、ここまで「大変なこと」が続くと、もう、とっくに限界を越えてしまっているから、言葉は悪いですが、つかえるものはなんでもつかえ! てな、感じです。

あ、もちろん、なんでもかんでも頼りにせぇ、というわけではありませんよ。
でも、ある程度自分で頑張っても、てこでも動かないほど、どうしようもないことだって、人生にはあるんです。
そういうときは、もう、真正面からそれに向き合い続けるなんて、体力も気力も消耗する一方。
ならば、もう、ひたすら、頼れるお力は全部お借りして、(勿論、感謝を忘れてはいけません。お礼を忘れてもいけません)、ひたすら横道、抜け道を探し続けるより、ほかなく。

あとは、目の前の現実に押し潰されないよう、想像しうる限りの、薔薇色の未来を思い描き、自分は既にその未来に向かって歩き続けているのだと深く固く信じる。
もうそれしかないような気がいたします。

例えば、神社参りを重ねられる方っておられますよね?
わたくし達世代(昭和40年代半ば頃までのお生まれの方)なら、かつて一世を風靡した「大映(だいえい)ドラマ」によく出ておられた、女優の比企理恵さん、あの方は、確か、ご病気になられてから、神社さんへのお参りを重ねられたのではなかったかしら?
他にも、様々に神様のお力をいただきに、お参りをなさる方っておられますよね。
ああいったやり方もひとつの方法だと思います。

聖なる場所を訪れて、汚れを清め、神様のパワーをいただいて、また精進に励む。
そうしたことを重ねて行くうちに、だんだん、本来の道(聖なる生き方、本来歩むべき正道)へと繋がってゆくのではないでしょうか?

ほか、大事なことは、とことん自分を愛し尽くすこと。
自分を丁寧に労り、自分のために時間をかけて、心身ともにケアしてあげる。
心や魂、身体が喜ぶ時間、趣味の時間や、楽しい時間、ほっこりと安らげる時間を意識してつくってゆく、ということが大事です。

わたくしは、この夏、中野裕弓(なかの ひろみ)さんの「自分の心を愛で満たす10のメニュー」をやって、今は、上原愛加(うえはら あいか)さんの「プリンセス レッスン」をしていますし、この「プリレ」(というらしい)が終わったら、今度は、幸川玲巳(ゆきかわ れいみ)さんの「お姫様ごっこ」をしようと思っています。

これらは、全て、意識して、自分をもてなす、自分を大切にする時間を作り出すもの。
こういう時間を意識してつくることで、ひたすら頑張る一方では得られない、よいエネルギーの循環が生み出されていくのですよね。
これって、とっても大事なことだと、わたくしも思います。

何もしなくても、人生は、みんな、それぞれ、自分に見合った課題があって、その大変さ、困難さはひとそれぞれ、です。
いつも明るく愉快な○○さんだって、人知れず、言えない事情があるのかもしれない。
いつも穏やかでほっこり話しかけてくださる上司の□□課長だって、おうちに何か問題を抱えておられるのかもしれない。
みんなそれぞれ、小さいひと(子ども)は小さいひとなりに「大変なこと」があります。

でも、それで、自分の人生、真っ暗にしてしまう必要はないのですよね。
頑張るときは頑張る。
それ以外は、出来るだけ、淡々と、冷静に、落ち着いて、日々のことを重ね、泰然と在るように努める。
そうこうしているうちに、だんだん、自分自身の器が大きく、深く、広くなっていって、気がついたら、自然と問題を乗り越えているのかもしれません。

そういや、今、思い出しました。
わたくし、サイキックに目覚めて、夢のような日々が過ぎ、やがて、それが終わろうかとする頃、当時親しくさせていただいていた方に、「わたし、大きくて強くて深い、愛の器を持ったひとになります!」だなんて、涙ながらに宣言していたのでした。
だから、それからほどなくして(今に至る)「人生始まって以来、最大の試練」のスイッチが入ったのでしょう。

ああ、今更ながら、納得!
当の本人は、「なんで、こんな苦労をせなあかんねん!」って、ときに、キーってなっていましたが、元々、自分でセットしてきたこと、だったんですよね。
やはり。

——ということでですね、ま、人生いろいろありますけれど、問題に真正面からばーん!とぶつかって玉砕するばかりが能ではありませんよー、というお話でした。

ゆるゆる・・・・・・でもいいじゃありませんか。
どうせ、そういった問題とかって、そう簡単には乗り越えられなかったりするものです。
簡単に解決したら、それは「人生のレッスン」ではありませんからね。
ある程度時間がかかる長期戦なら、出来るだけ「普段の毎日」を淡々と過ごしながら、ゆっくりと時間をかけて、時に横道を探しながらも、くねくねと続く曲がりくねった道を、自分のペースで歩いてゆきましょう。

決して、困難や、そういったネガティブなものに押し潰されないように。
内なる(神が与えてくださる)無限力を信じて、神様や仏様、聖なる方々のお力を上手にお借りしながら、たった一度しかない人生、大切に歩んでゆきましょうね。

貴女にいつも神様の祝福がありますように。
God bless you!

愛をこめて。

 

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