毎年クリスマスが近くなると、わたくしにとっての大切なかたがたが夢に出てきてくださいます。それは、もうとっくの昔にご縁が(この世の、目に見える形においては)離れてしまわれたかただったり、今となっては懐かしいかたがたなのですが、昨年末もそうしたかたがたはわたくしの夢に出てきてくださいました。
いつもそのかたがたが出てきてくださる夢というのは誠に不思議でございまして、まるで夢の中の出来事が本当であるかのような……、いえ、わたくしが「向こうの世界」でまるで本当に生きているかのように、それはそれは生き生きとしていると申しますか。ですので、毎回、そうした夢から醒めるときは、なんともさびしく切ない思いを抱えて、「この現世(うつしよ)」に「かえってくる」のでした。
あれから10日ほど経った今でもとてもよく覚えています。そう、あれは12月23日の朝に目が覚めるまで見ていた夢。まるで夢物語のような……あたたかくやさしく、とてもとても穏やかな世界で、わたくしは「これ以上の幸せはない!!」というくらいの、誠に幸せな境地におりました。今後、この世で生きてゆく中で、あのような境地にはとても辿り着けやしない……と思えてならないほど、それは本当に心の底から、いえ、全身全霊をもって、ただただ幸せに満たされるような……それほどまでに、とてもとても幸せな夢でございました。
その日は目が覚めてからも、一日中まるで夢心地で。まちを歩いていても、わたくしの誕生日である「12-12」の(車の)ナンバーを三度も(!)見かけたり、「この現世にかえってきた」はずなのに、まるで夢の続きに居るような、なんとも不思議な一日を過ごしました。
あの夢の意味は今も正直なところ、わからないけれど、でも、毎年クリスマス前にああいった夢を見る、というのは、必ず、何らかの(霊的な)意味があるのだと思います。
夢の中で、わたくしは過去10年間の苦節の日々を遥かに上回るほどの、圧倒されるほどの幸せの中に居たわけなのですが、その感覚は、この世で今まで生きてきた中で、味わったことのないものでした。天上にはこの世では到底経験できないほどの素晴らしい愛の世界がある、ということなのでしょうか? それにしても、本当に不思議な夢でした。
あの夢で味わった感覚、経験した思い、それら全てを振り返って、わたくしはまだまだ「天の愛」を知らないのだと今、思います。自分で言うのもなんですが、わたくしはこれまで「つらい人生」ながらも、それでも、沢山神様からの御恵みをいただいてまいりました。本当につらくてたまらないとき、どうしようもないとき、ひとり孤独にうち震える時でさえ、神様は必ず、どんなにささやかでも希望の光をちゃんと届けてくださいました。だから、わたくしは天の愛の素晴らしさをこれでも自分はちゃんと理解しているほうだと思い込んでいたのです。
でも、神様の愛、天の愛は、自分の想像を遥かに超える勢いで、領域で、深さで、広さで、大きさで。とてもじゃないけれど、わたくしはまだまだその本当の価値、本当の素晴らしさを知らないのだ、と今、思います。わたくしが知っていると思い込んでいたものを遥かに上回る、ものすごく広大な、この宇宙の広さ、大きさ、深さ、それに相当するほどの愛を神様は、天はお持ちでいらっしゃるのです。
こんなふうに思えるようになったのは、あの夢の中で過去10年間のくるしみが全て一瞬にして癒されるような瞬間を味わっていたから、かもしれません。あのとき、わたくしは間違いないく、この10年間積み重ねてきたすべてのネガティブなものが一瞬にして天の光へと昇華し、自らが何度もこの地に刻み込んできた恨みつらみが全て雲散霧消するのを見ました。それくらい、夢の世界は素晴らしかった。あれほどまでの愛があるのか、あれほどまでの優しさがあるのか、それくらい歓喜の涙というか、天の聖なる雨、アムリタに優しくこの身を洗われた……というか、それほどまでの「御恵み」を神様に授けていただいていたのです。あの境地はまさしく天のもの。それほどまでに素晴らしい贈り物を、夢の中で、わたくしは神様からいただいていたのでした。
そう、これほどまでに自らの魂が、身が、心が光を強烈に求める者だからこそ、わたくしはそれなりに天の愛の素晴らしさを知っていたつもりでした。でも、それは間違いでした。わたくしが知る「世界」などごくごく狭く、そんなものを一瞬にして吹き飛ばすほどに、ものすごい勢いで、天の愛=宇宙の聖なるエネルギーはこの世に存在しているのです。それをたとえ夢の中とはいえ、一瞬でも経験できたことは本当に素晴らしいことでございました。あの夢こそが、まさしくわたくしにとっての「クリスマスの贈り物」でございました。
わたくし達が日頃生きている世界というのは、きっと、小さな金魚鉢なのです。でも、神様の愛の海、天の愛の世界はものすごく果てしなく広がっていて、その全容を知ろうと思うなら、金魚鉢を飛び出て、広大な愛の海をどこまでもどこまでも泳いでゆかなければなりません。いつしか、天という名のあたたかく優しい、美しい浜辺に辿り着くとき、初めて、わたくし達はその海の豊かさ、広さ、深さを知ることになるのだと思います。
2018年は金魚鉢を飛び出す元年、です。わたくしにとって。これからまた新たな旅が始まるのでしょう。たとえ、あの夢があの夜限りの、文字通りの「夢物語」だったのだとしても、夢の世界を通じて得られた霊的な贈り物、あの感覚はこれからも「この現世」を生きてゆくわたくしの大きな支えとなり、光となり、どこまでもわたくしを導いてゆくことになるのでしょう。
この世に置いていただいている間に、どこまで、どれだけ、皆様のお役に立てるか。神様の御為に働いてゆくことが出来るか。心を入れかえて、内面を真っさらにして、これからも神への信仰のもと、どこまでもひたすらに、この道をまいりたく存じます。
どうぞ皆様にとこしえに神様の御恵みがありますように。イエス様の御名において。アーメン。
素晴らしい2018年をお過ごしくださいませ♡
・・・
天から与えられたミッションを生きる女性リーダーのための直観コンサルタント