
(このたびは立川談志風の漫談です)
俺に言わせりゃ、文章とは "人間の美的感性の表明" だな。
だってさ、人間ってのは嘘の中で生きている。だから「見た目」に清潔感を持たせて、せめては中身を信用していただこうって寸法よ。
いや、「文体」の話じゃないよ。
「文体」は、まだ、あっちを突っつき、こっちを直し、と迷子みてえなもんだからね。
大事なのは、まずは文章の「見た目」なんだよ。
Gemini
その「見た目」の点で、十五年掛かって見つけた "小技" をご披露しましょうかね。いや、"小朝" じゃないよ。あいつは声だけはいいんだがね、うん。
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■段落は1文字下げが基本。
これがね、見た目を整える上での基本。読む人も次行の始まりがすぐ分かるし、段落もひと目でわかる。息継ぎもしやすいってことよ。
だが、ネットの世界では、やたら空白行を入れる記事が多い。
やだね~。あれがどうも、俺は性(しょう)に合わねえ。文章がやたら風通しのいいアパートみてえで、心の中がスースーする。
大変なのは資料のコピペ。空白行が沢山ありすぎて、削除作業が七面倒くさい。もう勘弁してよだよ。
だからさ、キーボード左上の「半角/全角」キーを「BS」キーに変更して、右手でマウス、左手で削除。まるでカスタネット奏者よ。おっと、「半角/全角」キーは「Caps Lock」キーの位置に置き換えてますよ。
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■副見出しには "■" を入れる(これが今回のキモ)。
なんてたって、どうも気に入らねえ。「副見出し」を本文と同じように1文字分下げると、なぜかこう、引っ込み思案に見える。
山下清みたいに兵隊の位で言えばさ、タイトルが大将、副見出しが部隊長、本文が兵隊さんよ。部隊長が引っ込んでいたら、兵隊さんがやる気が出ねえって、そうゆうもんでしょ。
かといって、頭を揃えると全体のバランスが悪い。するってえと、ふッと思いついた、「そうだ、“■” 置こう」ってね。
これを思いついたのが、ブログを始めてから十五年目。俺も馬っ鹿だねえ。
でもね、これがじつにちょうどいい。全体の頭は揃うし、"■" のお陰で副見出しが少し下がって見える。"■" が全角文字よりもひと回り小さいのも、目立たなくていい。“出すぎず、引っ込みすぎず”。大谷翔平と真美子夫人みてえなんだよなあ。畜生。羨ましいなあ。
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■その他のこだわり。
① 禁則処理による行末のスカっ気を防ぐ。
句読点やカッコがその行に収まり切れねえと、「禁則処理」ってやつで自動的に次の行に送られて、前の行末に1文字分ポッカリ空白ができる。ポッカリホワイトはやだねえ。俺はあれが気持ち悪い。だから、数文字増やして微修正してる。
文章とは人の呼吸と同じ。間が空くと、息が抜けて、気も抜けるんだよ。
② 漢字とひらがなの使い分け。
「和語はひらがな、熟語は漢字で書く」と決めてる文筆家がいるが、俺は「和語でも漢字を使う」派よ。「話す」を「はなす」と書かれると、「放す」なのか「離す」なのか、ああここは「話す」だなと一瞬考えちまう。読んでるときに一瞬立ち止まらされるのがいやなんだなあ。
ひらがなは柔らかいけど、締まりがない。で、ちょっと漢字を入れると、文章に “背筋” が通るってわけよ。
③ 英数字は、全角と半角の “折衷主義” 。
1桁は全角で、2桁以上は半角で書く。理由は単純。見た目のバランスよ。全部半角だと、英数字だけ字づらがやせ細って見える。
「少年Aは9歳でした」と「少年Aは9歳でした」――この全角と半角の違い、気にならないかい?
ただ、西暦1600年ちょうどの『関ヶ原の戦い』を "1600" 年と書かれると、センロッピャクじゃなく、イチロクマルマルと読んじゃう。原稿用紙は、ひとマスに二文字は書かねえからな。
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とまあ、いろいろ言いましたが、大事なことは「何を言うか」。これ、月並みだが、そうゆうもんじゃないですか。
だが、悲しいかな。俺の場合、その「何」がない。だから、せめて包装紙で丁寧に包んでる。中身が薄いぶん、 "見てくれ" で勝負って訳だな。空箱にリボン巻いて「どうだ、洒落てるだろ」と言ってるようなもんです――と、謙遜するところも見てくれよ。(ニヤリ)
文章は人の鏡。
見た目を整えているうちに、少しは中身も整ってくる……気がしないかい?
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※おことわり:この話はバーソの勝手なこだわりに過ぎず、特定の個人を指すものではありません。普通は、全然気にしないでいい些細なことですので、念のため。
ちなみに、私は人生で自分のことを「俺」と言ったことは一度もないので、書いていて自分じゃないみたいでした。
※書後感:文章の "見た目" を気にするということは、悪く言えば、自分を良く見せたがる "ええカッコしい精神" の発露のようでもあり、良く言えば、"自分と近辺はできるだけきれいにしたい" 美意識の滲出のようにも思います。
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