善人と悪人の行ないは天で記録されているか。 | barsoは自由に

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世の中に人生ほど面白いものは無し。いろいろな考えを知るは愉快なり痛快なり。
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 人生、どう生きるか?
 大雑把に分類すれば二種類あります。
 一つは欲望を抑えて清く正しく生きようとする生き方、もう一つは今この瞬間をエンジョイできればいいとする生き方です。

 では、禁欲的と享楽(刹那)的と、どちらの生き方のほうが好きか、愉しいか、楽か、得でしょうか。今回はちょっと意外な結論になりますよ。

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 あるスピリチュアルでは、宇宙(神)が大胆なことを言っています。

 

 


 マイク・ドゥーリー著『宇宙からの手紙』山川紘矢・亜希子 訳 208ページ

 清貧に生きる人に

・宇宙は最終的には報奨を与えると思いますか
? ・苦労して汗をかきながら働いても、その日暮らしの生活しかできない人は、象牙の塔で暮らす人よりも天国に行ける可能性が高いと思いますか?
・自己犠牲をいとわない人に、宇宙は特別の配慮をしてくれると思いますか?
・自分の必要を満たすことより先に、他人のために働く人のことを、宇宙は喜ぶと思いますか?
・スピリチュアルな人生を生きようと頑張っている人に、宇宙は味方すると思 いますか?

 じつは、諸君、宇宙はそんなことは全く、気にもしないのです。
 あなたがどんなルールを作ろうと、どんな生き方をしようと、宇宙はあなたを愛します。

 無条件の愛について話し合ってみてください。

 

 

 「無条件の愛について話し合ってみて」とは、宇宙(神)の「無条件の愛」についてよく考えれば、どんな生き方がいいかを理解できるということです。

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 こちらはジョークですが、スピリチュアルの真理を鋭く突いています。

 

 


 エリアンダー氏主宰ブログ『夏への扉』2016/10/11

 天国の記録

 男が死んで、天国の門までやってきた。
 なにしろ、彼は大酒のみで、女を追いかけまわす生活をしていたので、天国に入れるかどうか心配だった。
 ところが案に相違して、彼はこころよく天国に入ることを許された。
「何かの間違いではないんでしょうか?」と聞くと、天国の門番ペテロは答えた。
「人間の生前の記録など、ここでは一切つけていませんからね。あなたも大歓迎なのです」
 男はそのとき、部屋のすみで大勢の人が集まってはため息をついたり、泣きわめいたりしている人たちに気づいた。
「あの人たちはどういうわけで、あんなに泣きわめいているんですか?」
 聖ペテロは答えた。

「あの人たちはね、一生の間つとめて真面目に生きてきた連中です。天国ではちゃんと記録をつけているものと思っていたんですよ」
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 多くのキリスト教徒は、主なる神は愛と公正の神であり、勧善懲悪で信賞必罰だから悪人には厳しいと信じていますが、全然そんなことはないという話でした。

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 大抵の宗教は、信仰と善行が救われる条件だと教えています。
 例えばキリスト教のプロテスタントは神とイエスを信じる者だけが天国に行けると教えており、仏教の浄土真宗は阿弥陀仏の慈悲に頼る者はみな極楽浄土で往生できると教えています。
 他の宗派や宗教も同様で、教祖や経典や教団の教義を信じることや、教団の勧める善行(奉仕・寄付)を行なうことも勧められています。つまり救われるためにはみな、もれなく「条件」が付いているのです。

  
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 さて、今生は一回限り。この貴重な人生をどう生きたいですか。
 私が以前いた教団は、1世紀の原始エルサレム教会に倣っており、熱心な伝道活動と厳格な倫理観で知られています。成員はみな、聖書的な「狭くて細い道」を歩んでいるという自負を持っており、神に是認されていると思っています。 

 

 がしかし私は、今では上記二つの話に示唆されているような、 "神の律法や人間の規則に縛られない自由な生き方" のほうが人間本来の生き方であり、宇宙の創造者が望んでいることであると考えるようになりました。


 というのも、「神は愛である(ヨハネ第一4:8)」なら―――自分がこの世に存在していること自体、神が愛であることを示していると思いますが―――その「愛」は「最高の愛」であるはずであり、そうなら「無条件の愛」であると考えられるからです。
 無条件の愛は「これをするな」とか「これをせよ」といった条件は一切無しですから、人間の行ないはすべて赦され、受け入れられています。ちょっとでも悪いことをしたら地獄に落とされるとか滅ぼされて無になる、と心配する必要はありません。
 すなわち、神(宇宙)が「無条件の愛」であるという意味は、「自分の好きなこと、やりたいこと、今できることをすべて行なって、自由に生きなさい」と勧められているのです。




《備考》―――――――――――――――――――――――――――――――――
 むろん、神なんぞ信じないで好き勝手に生きるのも、勧善懲悪の神を信じて禁欲的に生きるのも、それが楽しいなら、そして、ひと様に迷惑を掛けないなら、どう生きようと自由です。
 しかし宇宙の「無条件の愛」を信じられるなら、何があろうと人生は失敗ではないと思えるので、自分の生き方に自信を持て、平安な気持ちも抱け、いいことだらけのように思いますね。

 神の「無条件の愛」が信じられない人は、ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』に出てくる司教は、親切に迎え入れた一夜の客人ジャンバル・ジャンに銀の食器を盗まれたのに、それを怒ったりせず、さらに2本の銀の燭台も差し出したことを思い出してください。人間でもこんな愛を示す(ことを考えられる)のです。無条件の愛の神なら、もっと豊かな愛を示してくれると思いませんか。
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