お、私に似ている、と興味を引かれた『Yahoo!知恵袋』の質問がありました。
回答もなかなか面白いと思ったので、シェアしたいと思います。(※1)
この世界は何のために存在しているのでしょうか?
「宇宙」という概念は人間が作り出したにすぎません。
もともと地球は無かったわけで、地球が滅亡して「無」となった場合、「無」は何のために存在しているのでしょうか?
こう考えると、自分が何者なのか分からなくなってきます。
自分が死んだらどうなるか、という個人的な疑問ではなく、
この宇宙の「存在」の根源について知りたいです。
補足:この疑問(違和感)を感じたのは、4歳くらいからです。
![OIloto.jpg](https://blog-imgs-168.fc2.com/b/a/r/barso/OIloto.jpg)
私の奥(おそらく本能)から語りかけてきているこの声がなかなか無視できず、考えてしまうのです。
これほど強く語りかけてくる声は他にありません。
4歳ですか。
では、子供向けの絵本から。
神様はずっとずっと、いました。
いつから?
さあ、神様にもわかりません。
神様には、じ・か・ん という考えがありませんでした。
でも、あとで創ってくれますよ。
ふと、神様は思いました。身体が欲しいと。
しかし、何回やってもうまくいきません。すぐに壊れてしまうのです。
何が悪いのでしょう?
何億回の何億回の何億回の何億・・・・・・・・・繰り返した時、
ふと思いました。
(自分で創るから壊れてしまうのではないか?)
(では、決まりだけ創り、あとはなすがままにしてみよう)
しかし、やはりうまくいきません。
いろいろ決まり事を変えて試していると、
急に神様の意識が一点に集まりました。
一点に集まった神様の意識は、次の瞬間!ドーンと拡がりました。
でも、前とは違っていました。
神様が欲しがっていた身体の素があったのです。
身体の素は、神様が決めた決まり事に従い、
くっついたり、離れたりしています。
![kuri94.jpg](https://blog-imgs-168.fc2.com/b/a/r/barso/kuri94.jpg)
神様は、思いました。
(この身体は、あまり面白くない)
また、少しだけ決まり事を変えました。
すると、今度は神様の願い通りになりました。
星が輝き出したのです!
神様は喜びました。
神様には、星という話相手ができたのです。
星は自分が神様の一部だという事がわかっていました。
神様は、それでも楽しく話をしました。
たまには、星の中に入り、身体のある事を喜びました。
でも、神様が決めた決まり事では、星はいつしか壊れてしまいました。
寂しい神様は、また少し決まり事を変えました。
壊れた星が、また新しい星になるように。
神様には、いろいろな考えが浮かびました。
でも、神様は小さな仕事は苦手でした。
そのかわり、小さな仕事ができる小さな生き物が出来るよう、
神様は、星と話をしながら待ちました。
ずーっとずーっと待っていると、
やがて面白い生き物があちこちに出来ました。
![kuri200.jpg](https://blog-imgs-168.fc2.com/b/a/r/barso/kuri200.jpg)
その生き物は、大抵は光らない星の上でいろいろな物を作り、
神様を楽しませました。
そして、たまにはその生き物に入り、身体がある事をうれしく思いました。
その生き物は大抵は神様の一部なのを忘れていました。
でも、神様は怒りません。
だって、自分の一部ですもの。
でも、神様は思っています。
(自分の一部たちが皆、私の一部だとわからなくなったら、
また決まり事を変えないといけないかな?)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1464625699
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子供向けの絵本にあった、大雑把で寓話的な話ですが、要点はシンプルです。
すなわち、
この宇宙が存在するずーっと前から、大いなる意識(神)が存在した。
しかし神は(独りでは何もできなくて面白くないので)自分(エネルギー)を材料にして星を造り、生き物を造った。
そして、その自分の一部である生き物が体験したことを、自分の体験として味わい、楽しく思った。
その生き物の代表たる人間は、元は神の一部であったことを忘れている。
―――という話は、スピリチュアルの宇宙創成物語と合っています。
ただ、「神様の意識が一点に集まり…一点に集まった神様の意識は、次の瞬間!ドーンと拡がり、身体の素(物質)があった」というのは「ビッグバン説」を支持しているようです。
それから神は「小さな生き物が出来るよう」にし、「ずーっとずーっと待っていると、やがて面白い生き物があちこちに出来」、「その生き物は、大抵は光らない星の上でいろいろな物を作り、神様を楽しませました」という描写は「進化論」を示唆しているようです。
つまり、この回答は、「創造論」と「科学(ビッグバン理論と進化論)」の仮説を支持し、神が自分の分身として人間を造って、その体験を楽しんだという点については「スピリチュアル思考」を受け入れており、それが「ベストアンサー」として選ばれているのです。(※2)
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では、人間はいかに生きたらいいかという疑問が生じますが、その答えは様々でしょう。
「だから人間は神様のご意思通りに生きるべきです」と主張しているのが宗教組織や真面目な信仰者で、「神なんぞいないし、どうせ明日は死ぬのだから、食べたり飲んだりしよう」と言っているのが快楽主義者や金の亡者たちで、「なんであろうと、他の人に迷惑を掛けず、助け合って生きたほうがいい」と思っているのが多くの良識的また良心的な人たちでしょう。
しかし重要な点は、他ならぬ「自分個人」はどう生きるか?ということです。
それは無神論や有神論などに関係なく、一人ひとりの自由意志にまかされています。どう生きようと自由です。
―――当たり前だと思いますか。
わたしは、そうした自由があるのはじつに有難いことで、そういうことを考えるのもかなり面白いことだと思っています。
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※1:回答の出典はタイトル不明の「絵本」で、質問者と回答者はID非公開で、この『Yahoo!知恵袋』のQ&Aは13年前の古い投稿でもあり、このまま人目につかなくなるよりは有益かと勝手に考え、ほぼ原文のまま紹介しています(もし不都合がある場合はご連絡いただければ、すぐさま対処いたします)。
※2:「進化論」は"生命がたまたま発生して、うまく進化した" とする仮説ですが、そうではなく、"創造者が意図してそうさせた" とする説なら、私は受け入れてもいいかと考えています。というより「進化」が正しいなら、神の関与なしにはあり得ないほど、巧妙かつ不思議にできていると思っています。
※画像は、1枚目は「Image Creator」を、2,3枚目は「steadydiffusionweb.com」を利用。
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