生命は死なない。肉体が死んだら意識が即、現実になる。a | barsoのブログ

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 神さんが大阪ナニワのほうに現れました。なんでも当たると評判です。
 見た目と言葉遣いは気にしないで、解答の論理性と合理性を見てください。

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人:一番の関心事を質問させてください。人間は死んだらどうなるんですか?

神:人は死にはしまへん。死ぬことはでけへん。あんさん方は生命そのものや。生命が生命でなくなることはでけへん。せやから臨終のとき、「死んだ」人は大抵、自分が死んだとはすぐには信じられへん。

人:心の中に混乱が生じませんか?

神:よく臨死体験者が言うように、「自己」すなわち魂は、自分の身体が横たわっとるのを見るかもしれへん。誰ぞのことを思えば、思考と同じスピードで、その人のそばにいることに気付く。何でも考えたとたんに創造され、実現されるので、すべての出来事は自分の思考が創り出すものと知るっちゅうわけよ。

人:意図して思考を集中すれば、それが現実になるのですか?

神:生きてるときと唯一ちゃう点は、結果を経験するときの速度が速いことやね。魂が肉体を持っとったときは、思考と結果の間には何日か何か月か何年かのズレが生じる。それが、物事は自分が「起こす」のやのうて、自分の身に「降り掛かる」って思う幻想の元なんよ。
 この幻想のために、人は自分自身が物事の原因であることを忘れる。ただ、この幻想も、宇宙のシステムの中に組み込まれとったプロセスの一部なんやけどね。


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人:死ぬ前には、どうして思考と創造の間にはズレがあるんですか? 死後だとズレがないのは、どうしてなんですか?

神:時間っちゅう幻想の中を動いとるからよ。死んだら時間っちゅうパラメーターからも離れるからや。

人:どうして、身体の中に宿っているときには時間が存在するんですか?

神:現在っちゅう視点に入り込んで、その視点で見るからや。その視点をツールとして使うと、一つの出来事を分解し、徹底的に探究し、検討できるちゅうわけ。
 宇宙では、すべてはいっぺんに起こっとる。あらゆる場所では、「時間」はないが、「いま」はある。「場所」はないが、「ここ」はある。「いま」と「ここ」。それが存在するすべてよ。あんさん方は、「ここ」と「いま」の素晴らしさを細かく経験することを選んで、地球に人間として生まれてきたんよ。
 魂はいま、ここで、現実を創造する者としての聖なる自己を経験しようとした。それができるのは経験の二つの分野、「時間」と「場所」だけ。このごっつうエエ思いつきに、あんさんは文字通り爆発的な喜びを感じた。爆発的な喜びの中で、あんさんは自分の各部の間に「場所(スペース)」を創造し、ある部分からある部分に移動するのに掛かる「時間」を創り出したんよ。

 

 

アインシュタインは一般相対性理論で、動いているのが「時」ではなく、一定率で場を移動している自分自身であるなら、時間を「変える」には物と物の間の場を変更するか、移動する速度を変更すればいいということを理論化した。


人:つまり不可分の魂を分解できたのは、時間という仕掛けのおかげで、この仕掛けを使って、自分を創造しつつ、もっと徹底的に経験しようとしたのですね。

神:そうや。霊(いのち)の世界では、結果は即座に現れる。個々の現実の創造に関しては、思考のコントロールがすべてなんやで。人によっては、それを「祈り」と呼ぶわね。

人:祈り、ですか?

神:思考のコントロールとは、最高の形の祈りや。せやから、エエことと正しいことだけを考えなはれ。たとえ物事が荒涼としていても、いや、そういうときこそ、完璧さだけを見つめ、偉大さだけを表現し、ほんで次には、どないな完璧さの実現を選択しようか、っちゅうことだけを考えなはれ。この公式に穏やかさ、平和、喜びが見いだされるんよ。

人:宇宙は完璧だと信じるのですね。

神:顕微鏡でモノを観察すると、それがホンマは個体やのうて、数百万もの現象の複合体であることが分かる。あんさんは魂を観察する顕微鏡として「時間」を利用しとるのよ。
 例えば岩を考えると、岩は無数の原子、陽子、中性子やらなんやら極小の粒子がびっしりと詰まっていて、一定のパターンで常に勢いよく走り回り、「ここ」から「あそこ」へと「時間」を掛けて移動しとるが、スピードがあまりにも速いので、遠くから見ると岩自身はさらさら動いてへんように見えるっちゅうわけ。
 せやけどダンさん、超絶高性能の顕微鏡で観察すれば、岩を造り上げとるすべてが動いとるのが見える。どっしりと静かな岩全体も、ばらばらに動いとる岩の部分も、どちらの現実も「事実」なんよ。


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人:では私が「死んでも」、それは死ではなく、ただ、大宇宙の認識の中に移動するだけなんですね。そこでは「時間」も「スペース」もなく、あの時もこの時もなく、前も後ろもないんですね。

神:そや。

人:そうすると大きな視点で見れば、無数の部分ではなく、全体が一つの岩として静止しているように見える。ミクロな視点で見れば岩の各部が、つまり極小の粒子が猛スピードで、「ここ」から「あそこ」へと動いている。すべては「一つ」で、すべては動いているが、じつは何も動いてはいないように見えるんですね。

神:そうよ。生命とはすべて視点の問題だっちゅうことよ。この岩の仕組みを考えれば、神のおっきな現実も分かるやろう。宇宙の秘密の鍵も見つかるやろう。すべては同じなんやで。

人:宇宙は神の身体の分子なんですか?

神:当たらずといえども遠からずやね。

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人:そして、肉体の「死」のあと、私たちの意識は大きな現実に戻っていくんですね?

神:そや。岩でさえも、いつも岩やあれへん。ただ「いつも岩」のように見えるだけや。岩である前は他の何ぞやったし、何万年ものプロセスを経て化石化して岩になりよった。かつては別のものやったし、いつかは別のものになる。
 あんさんも同じや。いつも、いまの「ジブン」やったのやあれへん。別の何もんかやった。今日、ここにあんさんは立派に存在しとるが、じつは……「もいっかい別の何者」かになるんよ。


人:分かりました。「時間」というものは視点に過ぎず、「存在」しない。魂の視点が変われば、究極の現実を違うかたちで経験するだけ。思考をコントロールするには視点を変えればいい、ということですね。

神:そや。視点を変えれば思考が変わる。過去に起こったこと、いま起こっとること、これから起こることなど、すべての出来事は、あんさんの内なる思いや選択、思考、そして自分とは何者か、何者でありたいか、っちゅう決断がかたちとして現れたもんや。
 せやから、自分が「イヤや」と思う人生を嘆くのはせんとき。代わりに、その人生を変え、そないな人生にしとる条件を変えることを考えなはれ。





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ニール・D・ウォルシュ著『神との対話③』吉田利子訳(サンマーク出版)3章を要約し大阪弁変換。この書は、宇宙の深い真理が知的に納得できるように書かれているので、聖書よりもお勧めですね。
※画像はフリー画像サイト “Pixabay” より借用。
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