以前、東京大学の国語入試問題に、『男はつらいよ』の寅さんのセリフが使われたことがあります。
その問題では「思索する力」が問われています。試験でいい点を取るという姿勢ではなく、「自分ならどう考えるか」の観点で少し考えてみるのはどうでしょう?

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【問題】次のア・イ・ウは、同じ主人公が登場するシリーズものの映画のセリフである。ア・イ・ウのいずれかを選び、それを手掛かりとして、感じたことや考えたことを、160字以上200字以内で記せ。
ア 「インテリというのは自分で考えすぎますからね、そのうち俺は何を考えていただろうって、分かんなくなってくるんです。つまり、このテレビの裏っ方でいいますと、配線がガチャガチャに混み入っているわけなんですよね、ええ、その点、私なんか線が一本だけですから、まァ、いってみりゃ空っポといいましょうか、叩けばコーンと澄んだ音がしますよ。なぐってみましょうか」
イ 「寅さん、人はなぜ死ぬのでしょうねえ」
「人間? そうねえ、まァ、なんて言うかな、結局、あれじゃないですかね、人間が、いつまでも生きていると、陸の上がね、人間ばかりになっちゃう、うじゃうじゃうじゃうじゃメンセキが決まっているから、みんなでもって、こうやって満員になって押しくらマンジュウしているうちに、足の置く場がなくなっちゃって、隅っこに居るやつが、アア、なんて海の中へパチャンと落っこって、アップ、アップして、『助けてくれ!助けてくれ!』なんてね、死んじゃう。そういうことになってるんじゃないですか、昔から。そういうことは深く考えないほうがいいですよ」
ウ 「梅の花が咲いております。どこからともなく聞こえてくる谷川のせせらぎの音も、何か春近きを思わせる今日この頃でございます。旅から旅へのしがない渡世の私どもが、粋がってオーバーも着ずに歩いておりますが、本当のところ、あの春を待ちわびて鳴く小鳥のように、暖かい陽ざしのさす季節に恋い焦がれているのでございます」
東大は正解を発表してないそうで、つまりは、どう考えてもいいのです。
では、ご自分の中でしばし考えて、考えをまとめてみるのはどうでしょう?
どんな考えでもいいですから、できればコメント欄に発表していただけませんか。文字数は何文字でもいいですから。
〈蛇足〉――――――――――――――――――――――――――――――――
私バーソも取りあえずの考えを書いてみました。各セリフを2回読み、ふっと思いついたことをそのままキーボードに打ち込んでいきました。おそらく時間は各15分ぐらい掛け、さらに200字ちょうどにするための文字数調整と推敲に5~10分程度使っています。言うまでもなく、たいしたことは書けておりませんが、ご容赦を。
ア 「考えすぎ」が良くないのは、絶対の正解が分かりにくい問題に頭を使ってしまって、実際の「行動」に移せない場合だ。人はどのように生きるべきかについては、賢人が立派な教えを述べているが、重要なことは「自分はどのような人間になりたいか」であり、自分のやりたいことを最優先にするなら人生には満足感があるはずだ。多数者の意見はどうであれ、自分の中に迷いがないなら、頭を「叩けばコーンと澄んだ音が」するだろう。
イ 富裕者の多くがある程度以上の愛と公正の感覚を持てば、地球上から飢餓や貧困は一掃される。しかしながら「そういうことは深く考えないほうがいい」理由は一つだけある。自分の考える理想を求めるあまり、自分の正義感で現在の世の中を強引に暴力的に変革しようとするなら、かえって別の大きな問題が生じる場合だ。航海中に大穴が空いて沈みかかった船は、海の上で壊して造り直すより、小さな穴のうちに塞ぐのがいいのである。
ウ 寒さに震える状況下でも、春の近きを思えば我慢ができる。梅の花一輪は希望を語っていると見えれば、暗い人生も明るくなる。イエスが述べたように「野の花がどのように育つのかをよく見れば、働きもせず、紡ぎもしないが、今日も元気に咲き誇っている」のが分かる。人間には知恵があり、草花より賢く生きられる。人は目の前の問題に気を取られがちだが、大自然の妙なる摂理に目を向けるなら過度に不安を感じずに生きていける。
総括 人間には二種類ある。痩せたソクラテスと太った豚だ。自分探しのために異国に旅するような人は前者で、日々食う寝る遊ぶのために生きる人は後者。「人間は考える葦である」から理詰めで損得を考えながら生きるべきだと考え、娯楽や休息までも犠牲にするなら後悔が生じる。とはいえ、太ったソクラテスでも痩せた豚でも、当人が満足できるなら、それでいいではないか。何度でも人生に再挑戦できるよう「生まれ変わり」がある。
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※書き終えて見直すと、なんだか同じようなことを書いていますね。