弘法も筆の誤り、孔子も口の誤り――――賢人君子の孔子が天下の大盗賊と論争して、こてんぱんに負けた「孔子の倒れ」という話[1]がありますが、では孔子は、どう論じたら勝てたのかをちょっと考えてみました。
これは理想論(建前)と現実(本音)の論争でもあります。
宇治拾遺物語 15-12 盗跖と孔子と問答の事(要約)青字はバーソ
今は昔、唐に柳下恵という高徳の士がいて、その弟に盗跖という天下の大盗賊がいた。悪の限りを好み、悪人どもを二三千人も引き連れていた。
孔子が、柳下恵に、なぜ弟の悪行を止めないのかと聞いたら、「何を言おうが聞く耳を持たないので、私は長年ただ嘆くだけです」と言うので、それなら私が行って教えてみせましょうということになった。
盗跖が怒髪天を衝く怖ろしい顔で、「音に聞く孔子が俺を教えに来たのか。話が気に入ったら従おう。だが納得できないなら、肝をなますにして食ってやろう」と言ってるところに孔子が訪れて席に着き、恐ろしさをこらえながら正論を述べた。
「人の世を生きる道は、道理を身の飾りとし、心の掟とし、人に情けを掛けるものです。あなたは勝手気ままに悪事ばかりしているようですが、当面は満足できるとしても、終りには悪い結果になります。それゆえ、やはり人は善事に従うのが良いのです」

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盗跖は、「お前の言うことはどれ一つ当っておらぬ」と大笑いし、そのわけを言った
(1) 「昔、尭と舜という二人の帝が非常な尊敬を受けていたが、その子孫は針を刺し立てるほどの狭い土地さえ治めていない。=富と名誉を築いても結果は悪かった。
(2) また、世間で賢人と言われたのは白夷と叔正だが、首陽山に倒れ、飢え死にした[2]。=非常に賢くても結果は悪かった。
(3) また、お前の弟子に顔回という、賢く教える者がいたが、不幸にして短命であった。=孔子の一番弟子の秀才でも結果は悪かった。
(4) また、子路という武力に優れた弟子もいたが、衛の国の門で殺された。だから賢くて能力のある連中が結果として賢かったことはない。=武勇が優れていても結果は悪かった。
(5) 俺のことを言えば、悪い事を好んでいるが、災いが身に降りかかったことはない。=自分は悪行の限りを尽くしているが、結果は悪くない。
(6) 世間一般の慣習を言えば、たとえ褒められることがあっても四五日に過ぎない。そしられることも四五日に過ぎない。悪い事も良いことも、長く褒められ、長くそしられはしない。だから自分の好きなように振舞うべきだ。=世間の評価なんてものは一時のことだから気にする必要はない。
(7) 孔子自身のことを言えば、木を折って冠にし、皮で衣を作って質素に暮らし、世を恐れ、公権力を怖れ奉っているが、二度も故郷の魯の国から追い出され、衛の国でも安らかには住めなかった。=孔子自身も人生は悪いではないか。そんなお前が言うな。
なぜ賢く振舞えないのか。お前の言うことはまことに愚かである。すみやかに走り帰れ。何一つ聞き入れることはない」=なぜ賢く生きないのか、お前は馬鹿だと逆に説教されている。
孔子は言うべきことを思いつかず、席を立って急いで馬に乗ったが、くつわを二度も取り外し、あぶみを何度も踏み外した。これを世の人は、「孔子倒れする」と言うのである。[3]
いくら立派な人でも《結果は悪かった》事例を幾つも示された孔子は、ぐうの音も出ませんでした。[4]
ただ、当時は、二百以上の諸侯が権力闘争に明け暮れた春秋戦国時代。覇者になるには倫理や資質より、武力や政治力のほうが重要でした。盗賊の盗跖は、弱肉強食こそが正しいと考えており、自分の主張に都合のいい事例だけを語っています。
孔子
https://www.aforismicelebri.com/massime-di-confucio/
盗跖のロジックに負けっぱなしにならない方法はあるでしょうか。
あります。逆のエビデンスを語ればいいのです。
倫理的な教えには必ず受益があります[5]。孔子は、良い教えを語ることに加え、良い教えから受ける益、すなわち《結果は良い》実例も語るべきでした。
この世的には成功してないようでも、徳性を高め、善を成すことは真の幸福であり、真の平安である実例を―――実際に見聞きし、自身でも経験しているはずですから―――強力な根拠として列挙すれば、盗跖は自分の苦手な分野なので言い返せなかったはずです。
さらに盗跖の手下は何千人いても全員悪党ですから、今晩は酒池肉林でも明晩は寝首を掻かれるかもしれない。寝汗(盗汗)を掻かないか、心は常に平安か、一人で気軽に出歩けるのか、といった弱みをどんどん突いてやれば良かったのです。
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さて、現実の社会を見ると、《善事は必ず良い結果になる》とは言い切れないので、孔子の教えについてはやはり建前だなあ、と思うかもしれません。ひとの考えは簡単に変わるものではありません。
しかし人生の道に白と黒とその中間のグレーが無数にあるのは、多彩な選択肢が提供されているということで、どう生きるかは個人の自由意思に任されていることを示しています。
人間は自由な可能性を持つ生き物です。基本、どう生きてもいいのです。
では、自分はどう生きたいでしょうか。どんな人間になりたいでしょうか。この話の孔子と盗跖は、生き方の両極の比喩となっています。
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[1] 原典は『荘子』にある架空問答ですが、『宇治拾遺物語』が巻末で紹介しています。『源氏物語』の第二十四帖「胡蝶」の巻でも源氏が恋文に関連して引用しているので、平安時代はよく知られていた話のようです。→「右大将が高官の典型のようなまじめな風采をしながら、恋の山には孔子も倒れるという諺をほんとうにして見せようとするふうな熱意のある手紙を書いているのも源氏にはおもしろく思われた。」与謝野晶子訳
[2] 司馬遷は『史記』の列伝において、孤竹国の義人である伯夷と叔斉が主殺しの周に仕えるのを善しとせず、首陽山で餓死した一方、盗賊の盗跖が富裕のまま天寿を全うしたことに触れ、「天道は是か非か」という疑問を提出しています。
[3] ちなみに『呂氏春秋』(仲冬紀・当務)によれば、盗跖の仲間が、泥棒にも道はあるかと聞いたところ、盗跖はこう答えたそうです。すなわち「道のないものは無い。他人の持ち物を見つける聖。人より先に入る勇。出る時は義。時期を見る智。均等に分配する仁。この五者に通じないで大盗をなせたものはいない」 。盗人にも三分の理があるのですね。
[4] この話の原典『荘子』では、 孔子はほうほうの態で逃げ帰り、「私の行ないは生きた虎の髭を撫でてそれを編むように無謀な真似だった(虎鬚を編む)」とため息をついたとのことで、ここがトラ年の話として取り上げたゆえんです。(笑)
[5] 宗教は、教え(教義)と実証(経験)の両面から信者を励まします。信心のお陰で病気が治ったとか悪い性格が直ったという現世ご利益と、死後に天国または極楽に行けるという予定約束を語ります―――――