レフ・トルストイ『文読む月日』より『悔い改むる罪人』。a | barsoのブログ

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 文豪トルストイが「自分の著述は時が経つにつれて忘れられるだろうが、この書物だけは、きっと人々の記憶に残るに違いない」と言っていた本があります。

 1906年に発行された『文読む月日』ですが、そこから一話を要約しました。

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『悔い改むる罪人』――――レフ・トルストイ

 十字架に懸けられたる悪人の一人言ひけるは「イエスよ、御国に入り給ふとき、我を憶えたまえ」。イエス言ひ給ふ「われ誠に汝らに告ぐ、今日なんぢは我とともにパラダイスに在るべし」――――ルカ伝23章42,43節

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              Bernard van Orley (1515-1520)

 ある男が七十年間この世に生きてきたが、その間ずーっといろんな罪を犯してきた。男は病気になっても悔い改めようとしなかった。
 やがて死が訪れたとき、彼は泣きながら「主よ、隣りの十字架に架けられた盗賊のごとく、われを赦したまえ」と言って息を引き取った。
 この罪人の魂は神を慕い、その慈悲を信じて天国の戸口へやってきた。

 罪人の男が扉を叩いたら、「この男は誰か。地上にいたとき、どんなことをしたのか」と尋ねる声が聞こえた。
 告発者がその男の罪状を並べ立て、善行のことは一つも言わなかった。すると、その声は「そのような罪人は天国に入れない。立ち去るがよい」と言った。
 罪人の男は言った。「主よ、あなたのお顔もお名前も私は存じ上げません
 すると声は言った。「私は―――使徒ペテロだ
 そこで罪人の男は言った。
憐れみをお掛けください。使徒ペテロ様。人間の弱さと神様の慈悲を思い出してください。あなたは主から直接選ばれたお弟子さんだったではありませんか。主が最後の晩、憂いと悲しみに沈まれ、あなたに『眠らないで祈っていてくれ』と頼まれたのに、あなたは睡魔に負けて三度も眠ってしまわれました。あなたは主に向かって、『たとえ死んでも主を知らないとは言いません』と言ったのに、大祭司カヤファの庭では、三度も『そんな人は知らない』と誓うことまでしました。おんどりが鳴いたとき、あなたは庭の外に出て激しく泣かれたことを思い出してください。私もやっぱりそうだったのです。どうぞ私を扉の中に入れてください
 すると、天国の扉の中の声がやんだ。

 しばらくして罪人の男がまた扉を叩いたら、別の声が聞こえて、こう言った。
この男は誰か。地上にいたとき、どんなことをしたのか
 そこで告発者がその男の罪状を並べ立て、善行のことは一つも言わなかったら、その声は「そのような罪人は天国に入れない。立ち去れ」と言った。
 罪人の男は言った。「主よ、あなたのお顔もお名前も私は存じ上げません
 すると声が言った。「私は、王にして預言者のダビデだ
 そこで男は言った。
憐れみをお与えください。ダビデ王様。人間の弱さと神様の慈悲を思い出してください。神様はあなたを愛してイスラエルの王に任じられました。あなたは国も名誉も富も大勢の妻も備わっていました。それでも、あなたは屋根の上から自分の家来の妻バテシバを見て欲情を起こし、女を奪っただけでなく、その夫を戦場で死ぬように仕向けました。あなたは富める者でありながら、貧しい者が愛する貴重な妻を取り上げ、その男を殺してしまいました。あなたは悔い改め、『われはわが罪を知る。わが罪は常にわが前にあり』とお嘆きになったことを思い出してください。私もそれと同じことをしたのです。どうか私を扉の中に入れてやってください
 すると、扉の中の声がやんだ。

 しばらくして罪人の男がまた扉を叩いたら、別の声が聞こえて、こう言った。
この男は誰か。地上にいたとき、どんなことをしたのか
 そこで告発者がその男の罪状を並べ立て、善行のことは一つも言わなかったら、その声は「そのような罪人は天国に入れない。立ち去りなさい」と言った。
 そこで男は言った。「主よ、あなたのお顔もお名前も私は存じ上げません
 すると声が言った。「私は―――使徒ヨハネだ。主キリスト様の愛弟子だ
 それを聞くと罪人は大喜びで言った。
今度こそ私をお入れになってくださるでしょう。使徒ペテロ様とダビデ王様も人間の弱さと神様の慈悲をご存じですが、預言者ヨハネ様は多くの愛があるので、必ずや扉の中に入れてくださるでしょう。ヨハネ様はご自分の書物の中で『神は愛である。愛なき者は神を知らず』とお書きになっています。老後は人々に向かって、ひたすら『兄弟たちよ、汝ら互いに愛することをせよ」と繰り返されました。そのあなたが私を憎んだり追っ払ったりなさる理由があるでしょうか。あなたとしては自分自身の言葉を否定するか、それとも私に愛を示して天国に入れてくださるか、二つに一つしかないと思います
 すると、天国の扉が開き、ヨハネは、この悔い改めた罪人を抱いて天国に入れてやった。


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   聖書の良い点の一つは、人間の欠点や弱さを率直に記述していることです。
 十二使徒の代表格であったペテロは、主イエスの最後の夜、自分も捕まることを恐れ、弟子であることを三度も否認しました。ダビデ王は美人の人妻と関係したうえに夫を亡き者にしました。使徒ヨハネはイエスからボアネルゲス(雷の子ら)という異名を付けられたほど激しい気性の持ち主で、イエスから何度も叱責されています。

 しかし彼らはみな最後は、神と人を愛する信仰の人として聖書に名が残されています。特にヨハネは最後まで生存した使徒として、艱難と忍耐の中で、もっぱら神の愛を語りました。

 もし私たちが死んで神の座の前に立つことになった場合、ここは私バーソが冗談半分で言うのですが、ひたすら「その神の愛は無償の愛、無条件の愛ではありませんか」と訴え、その慈悲の実践を願ったほうが良さそうじゃないですか。無条件の愛ならどんな大きな罪も赦されるはずですから。




 レフ・トルストイ『文読む月日』編者:ピリューコフ 訳者:北御門二郎
 地の塩書房1985年発行・武蔵野書房発売の25-28ページを基にしています。