ふと愛についての定義を考えた。

振り返ると私が追い求めた愛は
いつも都合が悪い存在や状況などで
発動するものであって
そういう風に愛してきた。

私の周りにいる幸せそうな人たち
本当のところはわからないが
つまり一般的な勝ち組みたいな
生活を送っている人たちの
価値観や台詞を聞いてると
都合のいい存在に対して愛を費やしている。


好きと都合がいいは似ている。
ある人は一緒だと言っていた。
私は好きに愛を費やしたい。
都合がいいは好きの勘違いだと思っている。
寂しさと好きも似ていて
これも同様、寂しいは勘違いで
好きに愛をあげたいと思う。
これに関してはよく間違えまくって
寂しいに愛を無駄遣いしまくった。


この間、例の
衝撃的事実を教えてくた友達に
「よく、減るもんじゃないしー!
   とかって言うけど、そういうのは減る。
   だからあなたは今まで
   恋愛をいっぱいしすぎて、減っている。
   もう残り少ない。」
と言われた。


本当そうだと思った。


別にセクロスの回数や
経験人数の話をしてるのではないが
私の貞操や純愛は
もう残り少ないような気がする。

間違えて無駄遣いしたくない。


話を戻すと
私は今まで自分の定義
都合がいいや寂しさに間違えて
愛を費やしたくない。
と思ってきたのに
ここにきて
勝ち組彼女たちの
都合がよいに注ぐのが正解
だったかのように思える。

彼女たちの愛はあり余っているし
また日々の幸せから増えたりもする。

私の愛は
不都合な存在や状況に発動するので
いつもすり減ってボロボロで
絞り出すといった表現になる。
増えることもあるけど
その分消費される。

愛ってそんな
醜いものじゃないはずなのに
私の心はいびつな形をしている。

愛に溢れた人間でありたいなら
かしこい彼女たちの
言うことを聞くべきなんだろう。

そして彼女たちの言うことは決まって
好きじゃない人と付き合いなさいだったり
年相応の恋愛をしなさいだったり。


好きじゃない人とセクロスできないよ。
年相応って言われても
私の精神年齢が低いから
チンケな恋愛それが年相応なんだが
どうすればいい。

普通の33歳はどんな恋愛するんだ。
遠慮してする恋愛ってどんなのなんだ。
わからないよ。

私が間違っている事はわかる。
でもどうすればいいかわからない。



好きじゃなくても
いい人と付き合って
結婚して子供を産む。
それが幸せなのかな。

本当かな。
本当なんだろうな。

かしこい彼女たちが言うのだから。

年相応に生きるって難しい。

自分らしく生きるのと
年相応に生きること。
どっちが正解なんだろう。

誰か教えて。