赤羽有紀子の北京オリンピックは8月19日の夜で終わりました。


8月15日 10000m決勝 32分00秒37 20位

8月19日 5000m予選 15分38秒30 2組12位予選敗退(総合25位)



現地、または日本から応援してくださった皆様、ご声援ありがとうございました!

皆様のご期待に応えることができず、本当に申し訳なく、また悔しい気持ちでいっぱいです。



敗者の弁を語るつもりはないのですが、このブログを通じて赤羽有紀子を応援してくださっている皆様には、今の正直な気持ちや考えをお伝えしたく、ブログを更新することにしました。



オリンピック代表の内定を頂いてからレース本番へ向けての調整合宿を行った時間

北京入りしてからレースを終えるまでの時間

長かったような、短かったような・・・

今、落ち着いて消化してきたスケジュール表を見直すと、色々なことが見えてきます。



本来の力を発揮できなかった要因はいくつか考えられますが、一言で言えば『経験が足りなかった』ということになります。

この経験とは、

代表内定からオリンピックレース当日までのスケジュール管理

大会会場周辺の地理、ホテル・選手村の設備、食事内容の把握

世界トップレベルの選手達と共に走ることの難しさ

これらすべてのことが初体験で、すべての経験が不足していました。

これは選手当人は勿論、我々スタッフにも同じことが言えます。


オリンピック2レース目となった5000m予選。

10000m決勝時より少しでも良い状態でスタートラインに立たせたいと我々スタッフもレースまでの中3日間必死に取り組みましたが、残念ながら調子を上げることができませんでした。


普段のレースであっても、レース当日に向けてのピーク作りは非常に難しいものですが、今回のような調子でレース当日を迎えることになってしまったのは本当に久しぶりです。


『悔やんでも仕方ない』と言われるかも知れませんが、私の場合

しっかり悔やんで

しっかり反省して

しっかり分析して

そして次の新たな一歩を踏み出したいと考えています。



有紀子はこの北京オリンピックのレース本番に向け、本当に一生懸命に取り組んできました。

一日一日を大切に、強い気持ちを持って日々のトレーニングに励んでいました。

その努力をすべて間近で見ていたからこそ、万全の状態でスタートラインに立たせてあげられなかったことが非常に悔しいです。


北京オリンピック最後のレースとなった5000m予選を走り終え、スタジアムで応援していた我々の元に戻ってきた有紀子は、悔し涙を流していました。

その顔を見た時、私も

『まだ終われない』

そう思いました。


有紀子のレベルアップ云々の前に、私自身がもう一段階、もう二段階レベルアップする必要があります。

知識、行動力、マネージメント力、その他すべての競技支援能力において、まだまだ世界大会で戦う力が足りませんでした。



オリンピックで感じた悔しさを晴らすことができるのは、次のオリンピックしかありません。

次のオリンピックはロンドンで開催されます。

4年後、もう一度この舞台に立ち、思う存分戦い、この日とは違う涙を流して欲しい。



今日、娘は2歳の誕生日を迎えました。

先に日本に戻ったユウナに電話で『誕生日おめでとう』を伝えると、

『もう2歳になったよ~』と無邪気な声が・・・


2005年の結婚式以来、何かを誓ったことはありませんでしたが、今日久しぶりに夫婦で誓いを立てました。

この誓いを果たす為、我々はこの舞台で戦い続けます。



次なる新たな挑戦も温かく見守って頂けたら幸いです。