ゾルキー5は表題のように初期型と後期型が有りその両方はそんな区別では出来ない位違う代物だ。

私が大好きなのは初期型です、ゾルキー5のキリル筆記体文字が赤く入るので赤ゾルキーと呼ばれている。

 

 

なんかかわいいでしょ、発売は1958年で私と同じ年なのも気を引く。

ベースは勿論バルナックライカ、旧ソ連で有名なライカのコピーモデルゾルキーⅠ~が元になっている。

2型まではバルナックライカのコピーで、これのトップカバーをライカの刻印にしたものがヨーロッパ各国に流れて。

本物のライカと思ってこの偽物をつかまされた観光客も多かったとか。

 

3型になると独自の進化をしてファインダーが大型になり単眼式のファインダーになって。

4型ではトップカバーの形状を見直してよりスタイリッシュになって登場した。

 

 

私のゾルキー初体験もこの4型だ。

この後の4Kはこの形のまま5型のフィードバックでレバー巻き上げになりゾルキー5と併売していたようだ。

 

5型は有効基線長を増大してレバー巻き上げとして登場、より近代的になってスタイルも統一感のあるものとなり前述筆記体ロゴが赤く墨入れされてキュートになって登場した。

 

 

現在4台持っているのだが完全作動するのはこの2台です、どちらも発売年の1958年製の物。

バルナックサイズなのでレンズは小型の沈胴レンズ、インダスターの50㎜F3.5を付けた。

プリズムを模した刻印からクラスゴノルスク製なのが判る。

 

 

これは見てわかるように沈胴エルマーのコピーだ、1954年製とかなり初期の物を入手している(ソ連製のレンズ、カメラはシリアルの先頭2桁が製造年です)。

これは後述しますが旧ソ連製のレンズは1950年代から格段に性能がアップしてる。

戦後ドイツ人技術者が製造機械ごと鹵獲されて作っているからだ。

1960年代以降はロシア人による製造のようで徐々に品質が落ちていくのでなのでなるべくこの年代のレンズを入手した方が良い。

 

 

見た通りエルマーコピーである、その写りも正にそっくりで3郡4枚のテッサータイプの端正な写りだ。

コーティングもしてあるので戦前のエルマーに比べ逆光も若干強い。

 

広角レンズにインダスターの28㎜を付けてみた。

 

 

これ実はチャイカ2というハーフサイズのトイカメラについているレンズなのだが、マウントがL39なので流用している方が多いレンズだ。

ハーフ用なのでフルサイズで使えば当然四隅は蹴られる、だがアダプターを介してAPS-Cサイズで撮ると問題なく使える。

ただこのように取り付くもののフランジバックが違い無限遠が出ない。

これは改造や調整で何とかなるようで、私のも一度バラしてヘリコイドとの組み合わせを調整して合わせています。

でも描写はかなりポケポケで、面白いが作画には使えるようなものでは無いですね。

 

なので28ミリはこうなる。

 

 

オリオン-15、これもクラスゴノルクス製トポゴンタイプの28ミリだ、これらは前述のように戦後拉致されたドイツ人により設計され、ドイツ製の機械、治具などでドイツ人職人により制作されたもの。

時代と共に製作はソ連人に移り、金型や工作機械も彼らの手で合理化されていく。

なので1950年代のカメラ、レンズ、特にレンズは鏡胴材がアルミになった以外ツァイスクオリティなのは実写して沢山の方が確認してます。


ルサール20ミリはソ連オリジナルでルシノフ博士が設計した独特な4郡6枚構成の対称型レンズである。

これを付けるとかなり精悍である。

 

 

このレンズはライカMを使っていたフィルム時代にその描写、緻密さ、歪曲の少なさは驚く程なのを確認している。

薄くて小型軽量なのもいい。

こいつも初期型の白鏡胴と後期の黒鏡胴があるが、これだけは後期黒鏡胴の方を買うべきだ。

理由は初期の物はコーティングされているもののそれが後期型よりも薄いんですね。

余計な光が入ることが多い超広角にはこれ重要です。

国産のフードを短く削って取り付けてます。

 

となると他の50ミリレンズも気になってくる。

私の持っているのは後3種類で。

 

 

インダスター50㎜F3.5、これは先の沈胴タイプの固定鏡胴タイプだ。

なのでフェドなどの普及価格のカメラに装着されて発売されていたよう、事実フェドブランドの物も多い。

1956年製の物はかなり少ない、クラスゴノルクス製というのも貴重な物。

当時数千円という価格からカメラを買うとキャップ代わりに付いてきたレンズなのだが写りはかなり良いですよ。

 

 

こちらはクラスノゴルスク製のジュピター8、50㎜F2.0だ。

これこそコンタックスⅡ用のゾナー50㎜F2.0のLマウントタイプまんまで、よくソ連によるコピーと呼ばれるが。

くどいですが戦後ツァイスイエナより鹵獲された機材、技術者共々キーフ連行され、コンタックスマウントと共にLマウントで製作された正にツァイスのレンズとの認識です。

詳しくは以前書いていますので興味のある方参考に。

コンタックスとキエフ、、、。 | redtylerのブログ (ameblo.jp)

 

写りに関してはツァイスゾナーと全く変わらないのも確認しているし、他の様々な資料でもそれは同じ事となっています。

 

 

そして旧ソ連50ミリレンズのラスボス、ジュピター3 50㎜F1.5だ。

これまでのレンズがクラスノゴルスク製だったがこちらはアーセナル製、刻印で分かる。

旧ソ連にはあとリトカレノというメーカーの物もあるが、少し精度が劣るといわれていますね。

こちらもF2.0同様コンタックスマウントのゾナー50㎜F1.5をL39マウントにした物との認識で問題ない。

 

 

鏡胴一杯に前玉が入る、見た目のインパクトも凄い。

写りも勿論ツァイスゾナーで、解放では軟らかながらピントの合う一点は正に鷹の目(これはテッサーですね、引き合いにしました)。

そして一段絞るだけで緻密で力強い描写をする。

 

これまた懐かしのフードを付ければ。

 

 

国産のワルツ製ですが刻印にはゾナーの文字がある。

 

 

素敵な外観だ、威風道道ですね。

もうこのジュピター-3を標準として、メインはオリオン-15で撮影行きましょうかね。

勿論カバンにはルサール入れてね。

 

 

シャッター速には制限あるが、M2とMDaでの写って当たり前な組み合わせよりもこっちの方が楽しいんじゃないかと。

 

 

 

バルナックライカが単眼ファインダーになり、有効基線長を広くしてレバーにての小刻み巻き上げが可能になったと。

これはライカがMとなって一気に飛躍したのに対し、少しづつであるが確実に進化していったバルナックスタイルの一つの完成形なのだと思う。

そう、途中で放棄したライカよりも(勿論英断ですが)最後まで改良し続けた(改良していくしかなかった)ゾルキーはなかなか侮れないカメラなのだ。

この後裏ブタが横開きになりフィルム交換が飛躍的に向上したゾルキー6でその歴史を終了する。

やはり1眼レフの台頭はソ連でも加速していきレンジファインダーは廉価版のフェドが残るのみとなって。

ゼニット等1眼レフの新機軸を作るものの、日本を筆頭に急激に進化する一眼レフカメラ市場には対応出来ずにソ連カメラは縮小していきます。

 

 

そんな中で、このゾルキー5の初期型は、私の中ではとてもいとしくて大好きなカメラなのですね。

フィルム詰めて、この愛らしいボディとツァイス直系のレンズを楽しみましょう。