戦前ドイツのツァイス・イコンが製作した35ミリカメラ、、これがコンタックスである。
初代Ⅰ型が発売されたのは1932年であるからもう80年前の事だ、、ちなみにプラネタリュウムの上映機はもっと前の1926年だ。
そして私が現在でもも趣味として実際に使用しているⅡ型が出たのが1936年、、、そう、もう70年年以上の時を経てなお、、メンテナンスをちゃんとすれば実用になるのだ、、、凄い事である、、飛燕のエンジンでも書いたがドイツ恐るべしである。
そのドイツに追いつき追い越せの日本と言う国も凄いのだが、、、。

向かって右がコンタックスⅡだ、シャッターは本当に鎧戸式のシャッターで、これを動作させているリボンを新しいものにして現在も好調だ、、もちろん純正部品など無いから手術用のリボンを応用してある、浅草のカメラ修理の巨匠に感謝だ。
付いているレンズは旧ソビエト製のオリオン15と言う28ミリレンズ、、、このマウントのものはかなりレアだ。写りも信じられないくらい良い、、、歪曲も無くカリッカリで濃くの有る描写である。
上部に乗るファインダーも戦前ツァイス製の純正。左に付いているのは35ミリF2.8のジュピター12と言うレンズ、かなりの高性能である、発色も濃厚で独特だ。
そして左に有る文字違いなカメラがこれまた旧ソ連製のキエフと言うカメラ、、おおっ㊥のようにコピー物か。
では無いのです。戦後ドイツは東西に分断された、、ツァイスの工場はほとんどが東側でドレスデンとイエナがカメラ製造とレンズを作っていた、、。
これは資料を基にした仮設なのだが。占領したソ連はドレスデンに有ったカメラ製造機器を技術者や労働者ごとキエフ市(現ウクライナ)へと移転する命令を下すのだが戦後のごたごたなどで失敗して。そこで占領下であっても何とか再建したイエナの工場でコンタックスが再び製造されると今度はその生産ラインをキエフへ持っていくという暴挙に、、、もちろん人材ごとである。
戦後再建されたイエナで作られたイエナ・コンタックスと言うものが存在し、これが戦前ドレスデンで作られていたものとは内容が異なり、(ドレスデンのものはキエフへの移転失敗で損出し新たに製造機械も作り直したよう)。キエフで作られた通称キエフⅡがイエナ・コンタックスに近い部分が初期生産分に見られることから(contaxの文字をつぶしてkievと入れたものも有る)キエフはイエナコンタックスを祖としたドイツ人による設計の、初期のものは連行されたドイツ人技術者にて生産されたカメラなのである、、。
当然マウントが同じなので両方のレンズには互換性があり、、一時はソ連製ということで数千円の価格で取引されていたレンズを買い漁り現在使用しております。
当然初期のレンズはドイツ設計、製作と同じなので材質は劣るが性能はピカイチのレンズばかりだ、、。
映画用のレンズも製作していたツァイス・イコンだから当時からカラー撮影を考慮しており、、濃厚な発色のシャープなすばらしいものばかりです。

キエフ自体もとても安く売っていた(1万円代)ので初期のものを複数所有、、右は85ミリF2のユピテル9と言う大口径のレンズで、ファインダーに筒状のアダプターを取り付け視界を修正している。これもかなりレアなパーツだ、下側に有るノブを回すとマスクが現れ135ミリ用にもなる、戦前のツァイス製である。左は50ミリF2、これもすばらしいレンズである、これに関してはツァイスのゾナーそのままであり私もドイツ製ゾナーを持っているのだがまったく遜色のない写りだ。
ただしこれらは初期の物にだけに当てはまる、、大体1950年代製作の物までだ、、それ以降1960年代になるとガクッと精度が落ちてくる。
だ捕されたドイツ人労働者や技術者が引退し不慣れなソ連人にて生産された為とカメラを理解していない設計者の合理化による質の低下により、(コンタックスⅡは使う部署によりネジの材質やタップのピッチ等を変えていて最適な部品にて構成されていた)、、どんどん酷い物となっていく、、、。
だからこのキエフ高性能論理は古いものだけに当てはまる事例であるから注意が必要だ、、、。