こここそいつか行こう行こうと思いつつなかなか行けなかったお店だ、、。
それは偶然この店を発見した20数年前からなのだ、、。
車で走行中にかかってきた電話を取るために車を端に寄せた時に偶然見つけた、、。
その時の携帯電話は自衛隊のトランシーバーみたいにでかいやつだったからもっと前だったかもしれません、。
そう、ここは偶然じゃないと発見できない、。現在はラーメンマップという便利なスマホのアプリが有るが、無ければ絶対にラーファンには知られない店である、、。

場所は江東区塩浜という場所、。近くに東西線の操車場が有るので地図でもわかるか、。
この周辺は倉庫などが多く住宅地からは離れているのだが、なぜか懐かしい古い町並みが限定的に有る、。
今回その理由も分かったのですがそれは後で、兎に角その成り立ちを見てください、。

店は通りを入った場所だ
入り口の路地の角には野立て看板が出ています、、。

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そう、通りから見えるのはこれだけ、なので車だと止まらないとまず見つけられない、、。
この角からのぞくとー、、。

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幅2メートルに満たない路地に店は張り付くようにあります、、。
近づくとー、、、。

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こんな感じで店ありましたぁ、、。
最近はRDBやラーメンマップのおかげか、休日に並びが出るようで表には丸椅子が用意されています、。

はてさて、その内容はどうでしょうかねーーー、、、。

店内は奥に厨房とカウンターは余裕の3席、。
二人テーブルが4でこれは自由にレイアウト出来る、まさに地元のファミリー対応仕様という所でしょうか、。

女将さんでしょうか50前後の女性と娘さんかなぁ、20代の女性二人でのホール、、。
厨房には旦那さんでしょうか店主さん一人でオペしています、、。

平日の1時過ぎですから客は私一人でした、でもここはやはり地元の方が夜や休日に利用されているようですねー、。

というのも、店に入って席に着きすぐ目に入ったのがこれなんです、、、。

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おしんことモヤシナムルが取り放題、煮椎茸も有ります、、、。
これご飯も食べる方にはいいですよねー、私も食物繊維補給で頂きました、、。
この下にはうまかぼうが並んでいて、お子さんは2本まで゛ご自由にお持ちくださいだって、、。

ここはスープ未化調、麺も添加物一切なしの手もみ麺との事、期待が膨らむ、、。
待つ事5分程でラーメン登場です、、。

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味玉1けはトッピングです、よく見ると味玉の上の所に焦がしネギ、その右には柚子が確認できます、。
和風らーめんですからねー、すでに和出汁が香っていますよーーー、、。
澄んだスープに浮く油、これはもう見ただけで美味しいラーメンであることが確定できるビジュアルだぁ、。

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モヤシナムルとピーマンとニンジンと大根の浅漬けと共に、いっただきまーーーす、、。

そのスープは、、、、。

はいはいはいー、、。和風ですよ、魚介、それも街の蕎麦屋のつゆみたいな出汁感だ、、。
鰹節じゃなくってもサバ節や宗田節に煮干しが少々、。分かりやすく言うとその蕎麦屋のつゆを豚鳥をゆっくりと採った端麗なスープで割るといった感じでしょうか、、、。

いやー、この年になるとこういうのはたまりませんねー、、、。
正に滋味深系なのですが、ここはそれだけじゃないんですよー、、。

浮かんでいる焦がしネギ、これが所々で香ばしく主張する、いいぞ―これー、、。
そしてこれまた所々で柚子を感じるんですよー、こちらは主張が控えめで抜群の使い方だ、、。

他には小松菜に穂先メンマ、これはかなり前からのようで昔は珍しかったと思う、、。
肝心のチャーシューはモモとかアシとか言われている部分で、柔らかく煮込まれてはいますが、肉自体はしっかりとしたもの、、。
なので箸ですぐにほぐれますが、肉感はしっかりとあり、しっかり醤油味でこれ好きな方にはたまらないでしょうねぇ、、。

そして添加物一切なしの麺である、、。

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そういわれると何か期待しちゃいますが、見た目通りにごく普通の中華麺です、、。
味も際立って小麦がたつとかじゃ無いが、でも安心して食べられるっていうのはこれ重要だと思いました、。

見た目通り油もラード中心にそこそこ浮いているので、さっぱり味ですがコクもあって美味しい、、。
この他に昔ながらの中華そばというメニューが有るんですよ、。大手チェーンじゃ控えてしまうメニュー名ですが、ここならばかなりドンズバな物が出てくるんじゃないですかね、、。

というのもこの店は昭和40年の創業で、今年で53年目になる、、。
私の年齢より低い店を老舗とは呼びたくはないですが、その味はすでに老舗の風格です、、。
タンメンも有りこれも美味しそうですねー、再訪しますよーここは、、。


帰りに奥の店主さんと話が出来ました、、。
店主さんは2代目で50歳位ですが、店の成り立ち、。特に木場の住宅地から離れたこの場所に、なぜ密集した居住地が有るのが不思議で質問してみました、ここは戦火でも燃えなかったんですかと、、。

そしたらやはり燃えて無くなっちゃったとの事、でも戦前はなんとここは漁師町だったと、。
つまりこのすぐ前の用水路が戦前は海岸で漁業関係者が住んでいたと、なので住宅が密集してあったのだと、、。ただ東西線操車場整備などで区画整理はされて少しは移動してるという事ですが、、。
漁師だけでなくすぐ前の干潟で江戸前の海苔の生産が盛んに行われていたという事です、、。
いゃーーー、これは驚きの歴史発見ですよー、、。
埋め立てで現在の海岸線はさらに1キロ以上は先ですからねー、さらにその先に豊洲とかお台場は有ると、。

私の幼少の頃はまだ現在ディズニーランドの有る浦安で盛んに海苔業はいとなわれていましたが、。埋め立てによる拡張で壊滅しました、現在は木更津の金田辺りまで後退しています、、。流石にきれいになったとはいえ現在では無理でしょうかね、。



奥からわざわざ出て来てお話ししてくださった店主さんやその奥さん、やはり店の看板は人ですねー、。
つくづく思い近い再訪を約束して店を出ました、、、。
いゃあ、もっと早くから行っていればよかったですねー、、。今回はそう思うお店でしたよ、、。

おいしかったです、ごちそうさまでしたぁ、、。