レッドソックスファンの好事家ブログ




ジョー・ニークロ


オハイオ州マーティンス・フェリー出身。

ウェストリバティ大学からシカゴ・カブスに入団。1967年に23歳でメジャーデビュー、10勝7敗、防御率3,34、169回3分の2を投げて、77奪三振、与四球32。1968年には14勝10敗2セーブ、防御率4,32、177回を投げて、65奪三振、与四球59。1969年途中からサンディエゴ・パドレス、1970年からはデトロイト・タイガースに所属。1970年、12勝13敗、防御率4,06、213回を投げて、101奪三振、与四球72。1973年に兄フィル・ニークロ と同じアトランタ・ブレーブスに所属。2年で5勝6敗3セーブ・・・。


1975年にヒューストン・アストロズに移籍。1976年には生涯唯一のホームランを記録。32歳でようやく開花、1977年、13勝8敗5セーブ、防御率3,.04、180回3分の2を投げて、101奪三振、与四球64。1978年には14勝14敗、防御率3,86、202回3分の2を投げて、97奪三振、与四球73。1979年には21勝11敗、防御率3,00、263回3分の2を投げて、119奪三振、与四球107で兄フィルと並んでナショナルリーグ最多勝。またこの年にはオールスター選出クラッカー。1980年には、20勝12敗、防御率3,55、256回を投げて、127奪三振、与四球79で球団初の2年連続20勝投手クラッカー


1985年シーズン終盤、40歳の時に再び兄と同じチーム、ニューヨーク・ヤンキースに所属。この年10月6日には兄が史上最年長での通算300勝を達成、真っ先にマウンドに駆け寄って兄を祝福、それを最後に兄は1986年開幕前にクリーブランド・インディアンスに放出。1987年には、兄弟での勝ち星のメジャー記録を作った数日後に、ジョーもまたミネソタ・ツインズにトレード。同年8月3日に、マウンドでポケットに爪ヤスリを入れていたのを発見され10試合の出場停止。ダグアウトで爪を磨いていたと主張も認められず・・・。

この年ツインズはワールドシリーズ制覇王冠1ジョーもキャリアで唯一、そして兄の果たせなかったワールドシリーズでの登板。デビューから21年目でのワールドシリーズ初登板は、現在でもメジャー記録。

1988年5月4日にツインズを解雇され、引退。

2006年10月27日、脳動脈瘤のためフロリダで逝去。61歳没。


通算221勝204敗、防御率3,59、1747奪三振。フィル・ニークロの弟、ランス・ニークロの父で兄同様ナックルボール使いとして有名でした。兄弟揃ってナックルボーラー、そして兄弟で稼いだ勝ち星539というのもすごいですね。開花までに時間を要しましたが、すぐに開花するナックルボーラなどいないもの。今後も、このナックルという球種を絶やさないでほしいですね。