レッドソックスファンの好事家ブログ




ジョー・トーリ


ニューヨーク州ブルックリン生まれ。子供の頃は父親が家庭内暴力を振るう中で育ちました。しかも、父親は警察官。警察に通報することもできません。兄が父を追い出しますが、この環境が影響していたのか、トーリ自身、結婚生活に2度失敗、3度目にはセミナーに通い、それまで、抑え込んできた家庭環境の話をするようになり、正面から過去と向き合う努力をします。2003年、「ジョー・トーリ・セーフ・アット・ホーム基金」を設立し、DVに対する本格的な啓蒙・救援活動を行っています。


1960年アマチュアフリーエージェントでミルウォーキー・ブレーブス(現在のアトランタ・ブレーブス )へ入団。兄フランクブレーブスの選手としてメジャーリーグでプレー、兄を追う形で1960年にブレーブス(本拠地はミルウォーキーにあった時代)と契約。プロ1年目のシーズン終盤にメジャーリーグの試合に出場。

1961年は3Aで開幕を迎えるも、27試合で打率3割4分2厘でメジャーに定着。この年はメジャーで113試合に出場し、打率2割7分8厘、10本塁打、42打点を記録。1963年にはブレーブスの中軸として、打率2割9分3厘、14本塁打、71打点、オールスターゲームにも初出場。1964年は154試合に出場し、打率3割2分1厘、20本塁打、109打点。1965年も打率2割9分1厘、27本塁打、80打点、捕手としてゴールドグラブ賞を受賞。1966年、チームがアトランタに移転した年に4番捕手として打率3割1分5厘、36本塁打、101打点

1969年の開幕前にトレードでセントルイス・カージナルスに移籍。カージナルス時代は主に一塁手として活躍。1970年には捕手に戻り、1971年には今度は三塁手に転向。

1970年に打率3割2分5厘、21本塁打、101打点。1971年は打率3割6分3厘、24本塁打、137打点で首位打者と打点王のタイトルを獲得王冠1。この年記録した230安打もリーグトップ、シーズンMVP王冠2。その後、メッツへ移籍。1977年よりメッツの兼任監督となるが、この年限りで引退。

1977年に現役引退。選手生活18年間の通算成績は打率2割9分7厘、252本塁打、1185打点、2342安打。

1981年のシーズン終了までメッツの監督を務めるが、プレーオフへは届かず。1981年で解任。1982年からはブレーブスの監督となり、1年目に地区優勝を果たすがポストシーズンは勝ち抜けず・・・。2年目の1983年には地区2位、1984年には3位に陥落。3年間のブレーブス監督を経て解説者。

1985年から数年間テレビ解説者として活躍した後、1990年にセントルイス・カージナルスの監督として現場復帰。しかし結果を残せず、1995年のシーズン中に監督として3度目の解雇を経験。


1995年11月2日にニューヨーク・ヤンキースの監督に就任。ニューヨーク・デイリーニューズは"Clueless Joe"(訳の分かっていない、トンチンカンなジョー)と酷評(ブラックソックス事件で永久追放になったShoeless Joeとのもじり?)。しかし、ヤンキース監督1年目の1996年、デレク・ジーターアンディ・ペティットマリアーノ・リベラバーニー・ウィリアムスホルヘ・ポサーダ という生え抜き選手をうまく生かし、チームに18年ぶりの世界一。トーリの落ち着いた振る舞いやチームをまとめる人心掌握力は、それまでの低い評価を覆しました。1998年から2000年にかけてワールドシリーズ3連覇を達成クラッカー

2007年6月7日の対シカゴ・ホワイトソックス戦ではメジャー史上10人目の監督通算2000勝を達成し、メジャーリーグ史上初めて「選手として2000本安打、監督として2000勝」を達成。クラッカーヤンキース監督時代の12年間すべてでポストシーズン進出(地区優勝10回、ワイルドカード獲得2回)。

2007年はディビジョンシリーズで敗退。球団から提示された出来高を含む契約を「侮辱」と受け、契約を固辞。プンプン10月18日にニューヨーク・ヤンキース監督を退任することを球団フロントに通知。これによってヤンキースは周囲から激しい批判を受けました。レッドソックスの主砲デビット・オルティス「トーリが辞めたらヤンキースは弱くなる」と忠告したほど・・・。

その約半月後11月1日にロサンゼルス・ドジャースと3年契約年俸総額1,300万ドルで合意し監督就任。就任初年度の2008年は、若手やベテランを上手く駆使しながら見事に地区優勝。一方、トーリを退任させたヤンキースは旧ヤンキースタジアムラストイヤーを飾れず、ポストシーズン進出ならず・・・。ガーンドジャース2年目の2009年も前半から快進撃を見せ、31年ぶりの地区連覇。

2010年シーズン終了後、監督を退団。後任の監督はヤンキース時代からの同僚ドン・マッティングリーが就任。

2011年2月、メジャーリーグ機構副会長に就任。2012年1月4日、副会長を辞任し、ロサンゼルス・ドジャースの買収を目指すグループに参加。できればレッドソックスの監督になってほしかったです。


大型補強を続けるヤンキースには扱いにくい選手もたくさんいました。少し挙げるだけでも、チャック・ノブロックデビット・ウェルズロジャー・クレメンスゲイリー・シェフィールドケニー・ロフトンケビン・ブラウンハビアー・バスケスアレックス・ロドリゲスジェイソン・ジアンビランディ・ジョンソンカール・パバーノホセ・コントラレス井川慶ジャレット・ライト。また、毎年のようにスター選手が入ってくるため、「チームになじめるか?ニューヨークのプレッシャーに負けていないか?」も配慮しなければなりませんでした。「他のチームでは素晴らしい選手だったのに、ヤンキースに来ると???」という選手も大勢・・・。


どんな選手に対しても「信頼・誠実を旨とした」トーリ。チーム内のバランスを何とか保ち、常勝チームの指揮しました。オーナーのジョージ・スタインブレナー やニューヨークのマスコミなどからの強いプレッシャーにも負けず、選手からの信頼を勝ち取って見事に成功したジョー・トーリ。将来の殿堂入りは確実でしょう。レッドソックスファンの私から見ても、素晴らしい監督だなと思っていました。


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