デーブ・コンセプシオン


遊撃手の名産地ベネズエラ出身。卓越した守備力と粘り強い打撃でシンシナティ・レッズ一筋に19シーズンプレイし、活躍。

1967年にアマチュア・フリーエージェントでシンシナティ・レッズに入団し、レッズ一筋。

新監督に就任したスパーキー・アンダーソンによって起用され、1970年4月6日にメジャーデビュー。 1973年 にはレギュラーに定着。

1974年は160試合に出場して打率2割8分1厘、14本塁打、82打点、41盗塁と活躍。初のゴールドグラブ賞に選ばれ、この年からの4年連続を含めて通算5回受賞。 1975年、1976年にはチームの2年連続ワールドシリーズ制覇に貢献。 王冠1Big Red Machineと呼ばれたメジャー史上に残る最強チーム、ジョニー・ベンチ ジョー・モーガン ピート・ローズ ら名選手が勢ぞろい。

1981年、1982年にはシルバースラッガー賞を連続受賞クラッカー

1982年7月13日、オールスターで2本塁打を打ち、MVP。 1986年シーズン後半には、ショートをバリー・ラーキン に譲り、貴重な控え要員として活躍。1988年限りで現役を引退。通算打率2割6分7厘、通算安打2267安打


2007年8月25日 、現役時代の背番号「13」が永久欠番。その際、13番は不吉な番号なんかではない。ラッキーナンバーだ。」と・・・。そもそも何故、欧米で13が忌み嫌われるのかについては諸説あります。「最後の晩餐にイエス・キリストと12人の弟子を足すと13」とかそれぐらい・・・。私は「13」というと「上手い遊撃手」と思いますけどね。


映像でしか見たことがありませんが、二遊間を抜けそうな当たりを上手くさばいていた記憶があります。こういう、渋い働きをする選手がいたからこそ、Big Red Machineは強かったんですね。


<最終更新日 2012年12月17日>