ライアン・ジマーマン
高校時代に高打率をマーク、バージニア大学へ進学。大学進学後はすぐにサードのレギュラーを獲得打。全米選抜として国際試合に参加。
2005年に当時ワシントンに移転したばかりのナショナルズからドラフト1巡目指名を受け入団。契約金は球団史上最高額となる297万5,000ドル。
A級で4試合に出場し、AA級で63試合に出場。9月1日にメジャーデビュー。20試合の出場ながら3割9分7厘という高い打率。シーズン終了後の11月に球団は正三塁手のビニー・カスティーヤをサンディエゴ・パドレスへ放出。同月にベースボール・アメリカ
による2006年の有望株ランキングで球団トップの評価。
実質メジャー1年目の2006年は新人選手としての球団記録に並ぶ20本塁打を放ち、チームトップとなる110打点をマークし、ナショナルズの三塁はしばらく安泰と言われる成績を残します。ナショナル・リーグで新人選手が1954年以降で100打点を上回るのはマイク・ピアッツァ 、アルバート・プホルス に次ぐ史上3人目、47二塁打は新人選手としては歴代2位タイ。また、サヨナラ安打を3本を放ち、9月2日のアリゾナ・ダイヤモンドバックスとのダブルヘッダー初戦で延長11回にサヨナラ四球を記録 。守備では守備率が.965でスコット・ローレン 、アラミス・ラミレス と共に三塁手としてリーグ1位タイ。走塁面でも11盗塁を記録。新人王の投票ではフロリダ・マーリンズのハンリー・ラミレス との新人王争いはわずかの差で2位。
2007年、全162試合に出場し、2年連続20本塁打以上となる24本塁打を記録。守備面では失策23個と多かったものの、三塁手として1位となる守備機 511回を記録。
2008年は、ナショナルズの新本拠地ナショナルズ・パークでの開幕戦となった3月30日の対アトランタ・ブレーブス戦でサヨナラ本塁打。5月18日のオリオールズ戦で二塁へヘッドスライディングした際に左肩を痛め、その後も出場し続けていたが、5月26日から欠場。連続試合出場が205で途切れ、6月3日に故障者リスト入り 。7月22日にメジャー復帰してからは打率3割6厘を記録。シーズン終了後、年俸調停権を得たジマーマンは、調停を避け、2009年開幕後の4月20日に2009年から球団史上最高額の5年総額4500万ドルで契約延長 。![]()
2009年は開幕3試合目の4月8日から5月12日にかけて30試合連続安打を記録。球団史上、ブラジミール・ゲレーロ の31試合(1999年 )に次ぐ歴代2位。33本塁打、106打点も記録。
2010年、打率3割7厘、25本塁打、85打点で2年連続でシルバースラッガー賞を受賞
。
2011年は盲腸炎になってしまい、数字はダウン。打率2割8分9厘、12本塁打、49打点。
三塁守備は極めて評価が高く、メジャーリーグの中でもトップクラス 。
地元記者は、「将来は首位打者 、打点王を獲れるだけではない。30-30も狙える。完璧な選手」と高く評価。率先して練習に励み、人格もしっかりしているため天性のリーダーと評価。幹部にもしっかり自分の意見を伝えるなど、もはやチームリーダーと言っても過言ではないでしょう。![]()
低迷が続くナショナルズ。その中で結果を出し続けるジマーマンは高く評価されています。スコット・ローレン後のナショナルリーグナンバー1サードの座を、アマチュア時代のチームメイト、メッツのデビット・ライト
と争ってほしいですね。![]()
<2012年9月17日>
